投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2000 年 7 月 16 日 12:48:48:
2000.07.16 Web posted at: 5:44 AM JST (2044 GMT) ワルシャワ(ロイター)
第二次大戦中、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)を連合国側に最初に伝えたとされるポーランドの「密使」、ヤン・カルスキー氏が13日、米国ワシントンの病院で死亡した。86歳だった。
カルスキー氏は大戦前は外交官だったが、大戦中、連合国に密航しようとして、ナチスの秘密警察ゲシュタポに捕まり、拷問を受けた。その後、ポーランド国内の抵抗組織「国内軍」に救出され、国内軍とロンドンのポーランド亡命政府との間の密使となった。
1942年10月に国内軍の命令で、ワルシャワのゲットー(ユダヤ人の居住地)で情報を集めたほか、強制収容所にも潜入して、ホロコーストの実態を見聞きした。こういった情報を持って、何度も連合国に渡り、ホロコーストに懐疑的だった連合国の指導者に、ナチス支配の実態を伝えた。
ホロコーストの生き残りで「夜」などの著作があるエリ・ヴィーゼル氏は「20世紀の最も傑出した人物が亡くなった。彼は高潔、公正で、真実を伝えるために、命をかけることもためらわなかった」と、カルスキー氏を賞賛した。
戦後は祖国に戻らず
連合国への密航では、ドイツ軍士官に偽装したり、ポーランド・チェコ国境の山岳地帯を歩いて踏破したりした。しかし、カルスキー氏がもたらしたホロコーストに関する情報は当初、容易に信じてもらえず、ある米国高官はカルスキー氏に対し、「君がうそを言っているとは言わないが、信じられない」と述べたという。
カルスキー氏は戦後、多くのユダヤ人を救ったとして、イスラエル政府から、「諸国民の中の正義の人賞」を受賞した。しかし、ソ連軍が駐留する戦後の祖国には戻らず、米国に住み、ジョージタウン大学で政治学を教えていた。
ナチスは600万人にものぼるユダヤ人を虐殺したが、その半分がポーランド領に造られた強制収容所で殺されたとされる。