投稿者 隣の見過ぎ 日時 2000 年 7 月 07 日 22:25:48:
右翼板を読んできた小生が、新入りの方、浦島太郎な方の為に鐵扇會設立以前、
以後の様子を説明したい。
記憶のみに頼って書くので不足、間違い等が有れば積極的に指摘して頂けると有難い。
好評の為これからは月初めに「鐵扇會に対する基礎認識」をお届けする。
鐵扇會構成員の方は鐵扇會の事は鐵扇會の板で言えと思われると思うが、鐵扇會
の板で書いて個人情報を補足され「あーあ、もしもし」等と電話が掛って来ては
堪らないので鐵扇會の板では書かない。
個人的見解は行頭に「※」印を付す。
2659年 春
初心者氏と燎原氏、岩井氏、奥村氏らの対立が表面化。
2659年 昭和節
鐵扇會発足。同時に燎原氏、岩井氏、奥村氏が鐵扇會に対し妨害活動開始。
2659年 5月12(?)日
燎原氏、岩井氏、奥村氏その他の方が極秘裏に集っていた板を鐵扇會に
補足され、鐵扇會がログを一部改変し公開。
http://www.tetsusenkai.net/kuzuita/
2659年 5月??日
奥村氏が鐵扇會に対抗し「やれうちわ」を製作。
鐵扇會が公開した物と同じ物を設置。
http://www.kojyaku.co.uk/yareutiwa/
2659年 6月13日
燎原氏、この日を境に半年ほどネットから身を引く。
燎原氏、岩井氏、奥村氏らの表立った妨害活動は終息。
鐵扇會設立初期
蓑田氏が鐵扇會首魁と抗議活動に関して意見対立。
が、蓑田氏は代案を出せず。
2659年 10月下旬
鐵扇會首魁が、鐵板8に於いて、鐵扇會の板に二、三月程定住していた
心身共に中学生程度と思われる大和魂君のカキコを「あーあ、もしもし。
基本的な事を勉強してから書け」と粉砕。大和魂君は鐵板を去る。
※かわいそー。
2659年 11月中旬
鐵扇會首魁が、共和派の板で妄想モード全開。
共和派の人間が鐵板に来なかったので、共和制批判を共和派の板では無く
鐵板8に展開。
※共和派の批判は共和派の板に書こう
2659年 11月25日
鐵扇會首魁、ネット自決。
方々から失笑を買う。
一方、鐵扇會構成員jazzman氏に因ると、内外あわせて、50通の
ねぎらいと賛辞を鐵扇會首魁へ送られる。
2659年 12月6日
鐵扇會構成員人吉皇彦氏が掲示板鐵の扉に於いて、ゴジラ氏の字が小さい
という指摘に対し粗雑な対応をとる。これに鐵扇會構成員、旗御飯氏、
降魔の翼氏が人吉皇彦氏に成り代りゴジラ氏に謝罪。
が、人吉皇彦氏に対し鐵扇會を脱会したばかりの亞死亞氏が執拗に
絡んでくる。これに対し常連のつつじ氏が意見。これを亞死亞氏が粉砕、
まだ管理権が有った亞死亞氏がつつじ氏の発言を削除。
亞死亞氏の発言を、田村清次郎氏、当時鐵扇會構成員高橋博彦氏が一部誤読。
同時に高橋博彦氏は鐵扇會に対して意見する。
※誤読した者が一人だけならまだしも二人も誤読したのだから亞死亞氏の文章に
※問題があるのでは?
2659年 12月7日
前日から早朝の件に関し、鐵扇會が処分。
人吉皇彦氏、旗御飯氏、降魔の翼氏 謹慎
高橋博彦氏 除名
後に撤回されるが常連だったつつじ氏に対して、亞死亞氏の人格を
知らずに正論投稿したという訳ワカメの理由で投稿自粛を要請。
※それまで亞死亞氏は殆どカキコしていなかったのに亞死亞氏の人格を
※知っている訳がない。
この「告」は鐵扇會の全ての板、鐵扇會外の数十の板に掲載される。
※鐵扇會會則に依ると除名処分は基幹頁に掲載を持って除名処分となるらしい。
※鐵扇會自体が會則に則らない行動を執っているのに除名云々とは笑止千万。
※鐵扇會は高橋博彦氏を精神病を想起させる理由で除名したが、鐵扇會は個人の
※健康問題を理由に除名を行ったりする會なのだろうか。
鐵扇會は、天皇陛下御即位十年記念祭典に出席したYOSHIKI氏に
意見した東大教授への公開質問状と回答を公開。
その後、何故か東大教授への抗議活動を決定。會内部のみならず各方面に
呼びかける。この行動は各方面で非難の声が上がる。
2659年 12月14日
鐵扇會、東京大学小森教授に対し抗議活動を敢行。
2659年 時期不明
鐵扇會構成員黒瓜氏は會員掲示板で
「「初心者・元気だぞ」氏を天皇の次に大事にしよう」
と発言。当時、會員掲示板でこの発言に異を唱える者はいなかったらしい。
2659年 12月20日頃〜年末〜1月
それまで散発的だった鐵扇會に対する話題がこの頃を境に急激に盛上がる。
鐵扇會構成員に除名の件を穿り返された高橋博彦氏は、本格的に鐵扇會首魁
に対し批判を開始。
高橋博彦氏。鐵扇會構成員よりメールで、「右翼共和派掲示板・憂國掲示板
より手を引け、引かないとボロボロになるぞ」と脅迫される。
謎の人物、ダビ男氏登場。
12月21日、心氏、鐵扇會総括掲示板「←↑↓→菩提僧莎訶←↑↓→」
を開設。12月30日迄に基本的総括が終了したので、12月30日頃閉鎖。
ダビ男氏は鐵扇會首魁ではないかという話題になる。
鐵扇會が、鐵扇會批判掲示板を開設。当初は公開されていたがすぐに会員制へ。
ダビ男氏は撤退を宣言。1月4日を持って事実上撤退。
ダビ男氏と入れ替るが如く匿名、後の棺光一氏登場。
棺光一氏は右翼共和派の板で弾かれるプロクシ[cache1.cc.interlog.com]
で憂國掲示板に精力的に書込を行う。
棺光一氏もまた、鐵扇會首魁ではないかという疑いを持たれ、
鐵扇會首魁=ダビ男=棺光一 は定説となりつつある。
2659年の鐵扇會入会者77名。
2660年1月30日現在、脱会、除名、行方不明者13名
脱会、除名、行方不明率 16.9%
2660年 2月現在
棺光一氏、未だ飽きもせず毎日、憂國掲示板に長文を大量投稿。
2660年 2月4日
圧力が加えられたのか?。右翼共和派の掲示板が停止する。(現在も停止中)
2660年 2月24日
憂國掲示板で、皇太子妃殿下に対する不敬発言を掲載した現鐵扇會首魁、
初心者・元気だぞ(=ダビ男=棺光一)製作によるwebサイトが、一年数ヶ月
放置されていたことが判明する。
2660年 2月28日
軍艦百年実行委員会の自動リンクペ
ージに独断でリンクを貼った
鐵扇會構成員人吉候彦氏に謹慎処分。
謹慎を知らせる「告」が鐵扇會とは無関係の板に貼付けられる。
2660年 3月13日
憂國掲示板で、鐵扇會掲示板鐵の扉、會員によるカウンターアップ疑惑発生。
真相は、カウンターの故障。修復する気は無い模様。
その後4月中旬、掲示板の変更により壊れていた日毎のカウンターを除去。
昭和節に行われた掲示板改変では、複数の掲示板に共通するカウンターを設置。
今後、鐵扇會の掲示板カウンターは、今までの鐵扇會掲示板鐵の扉のアクセス数と、
鐵扇會の全ての掲示板の合計アクセス数が表示される。
2660年 3月19日
憂國掲示板で、peace 霊柩車氏は、棺光一氏と鐵扇會の広報文との決定的な酷似点を発見。
23日鐵扇會中央執行部は憂國掲示板で鐵扇會首魁と棺光一氏の同一人物説を否定する
公式見解を発表。
2660年 3月第5週明け
掲示板、「八紘一宇」と「民族の掲示板」が強制閉鎖された模様。
最近、活発になりかけていたのに惜しまれる。
2660年 4月10日
憂國掲示板で、棺光一氏は一水会機関誌「レコンキスタ」に時枝松陽の名で
政治結社国際愛国社総裁堂本直紀氏が特集を載せたと発言。
11日未明、堂本直紀氏は、「相手から接触があったらしいが、うちの団体の
時枝松陽という人物が対応した。それは自分ではない」と明言。
同11日朝、鐵扇會構成員黒瓜氏は「堂本さんにお会いしたことのある会員は、
レコンの後ろ姿のお写真を拝見して、「あ、おじちゃんだ、まちがいない」と
いう声がありましたことをお伝えしておきますが、勘違いであったかもしれません。」
と内部情報を暴露。
幽霊氏や妖怪氏は、棺光一氏と「ある会員」の、時枝松陽氏に対する認識が同じ
であると指摘。
※「あ、おじちゃんだ、まちがいない」この独特な言回しから「ある会員」とは
※鐵扇會首魁のことと思われる。
その後、棺光一氏はターボ氏から投稿姿勢の不整合性を指摘されるが、
苦しい言訳に終始する。
2660年 4月29日
鐵扇會構成員人吉侯彦氏は、鐵扇會発足一周年WEB更新告知を憂國掲示板に貼付ける。
当日、夏樹静子氏から、「平成11年4月29日・昭和天長節を機に、既存の右翼民族派と
一般市民とが大同団結し」という文に対し「これは嘘ですわね>お人よしさま」と、指摘が
入る。
同日から翌日にかけて鐵扇會構成員人吉侯彦氏は、同一告知文を数度貼付ける。
2660年 4月30日
棺光一氏、00時54分『■棺光一の「価値相対主義・基本用語解説13−K 個人主義」』の
投稿を最後に憂國掲示板から消える。ダビ男時代を含め昨年末からの、高橋博彦氏
管理の掲示板の書込をネタにした価値相対主義講座などと題した執拗なネットストーカー
行為に終止符を打つ。ただ、撤退宣言が有った訳ではなく自然消滅のような状態。
当日10時45分野嵜健秀氏、「Cieldo漢孝市の世界」なるサイト、を
憂國掲示板で紹介。その後5月3日、野嵜健秀氏はエキサイト掲示板で
※以上、棺は69件もの大量投稿(電波入り捲り)を行つた。※この後、私は次の様な指摘を
した。 (憂國掲示板4月30日 10時45分の野嵜氏自身の書込を転載) ※これを見た
棺=漢は、サイトを消して逃亡。現在、上記URIにアクセスしても繋がらない。
と、野嵜健秀氏勝利宣言。
小生が野嵜健秀氏紹介のサイトの確認を怠ったため、棺光一氏の撤退と野嵜健秀氏の
書込の因果関係は不明である。
読者の方で詳細をご存じの方は情報をお寄せ頂きたい。
2660年 6月6日
鐵扇會は、森喜郎内閣総理大臣の「神の国」発言騒動で「昭和の日」が廃案になった
ことに対して、森喜郎内閣総理大臣、主要野党党首、報道各社に抗議活動開始。
これを呼びかける告知を数々の掲示板に投稿。
この告知のリンク先のカウンターは、鐵扇會各掲示板に共通するものを設置。
告知があったひとつの日本茶掲示板で、さぶ氏が掲示板での抗議要請に違和感を表明。
これに対し、鐵扇會構成員黒瓜氏は苦情は鐵扇會に直接よこすようにと発言。
その後、さぶ氏には鐵扇會からの説明と思われる添付ファイル付き470KBのメールが届く。
2660年 6月6、7日
日本茶掲示板で、抗議活動の告知を3回張付け、イエローカードを2枚獲得する。