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ロシアの地震兵器
●「地震兵器」というキーワード検索で出てきた国内のサイトから、ロシアの地震兵器についての関連情報を以下に紹介しておきます。
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1.日本の新聞に載ったロシアの地震兵器
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【モスクワ三日=浅海保】
ソ連の週刊誌「メガロポリス・エクスプレス」は、三日発行の最新号で、ソ連は地球表面の地殻変動などを利用し、敵領土内に人工的に大地震を発生させる「巨大地震兵器(地殻変動器)」の開発直前にあると伝えた。
研究スタッフの一人イワン・アヌイレイエフ陸軍少将が、同紙のインタビューに答えたもの。例えば、地殻を構成するプレート(板)の変動により、大きなひずみが生じた地点に小さな核爆発を起こすことで、大地震を誘発させるというのがその仕組み。
地殻の分布状況によって、核爆発を起こす地点(震源)と実際に大地震が発生する地点が、何千キロも離れていることも可能、というのが特徴。とくに、地殻構造が複雑で、ひずみの発生しやすいユーラシア大陸の山岳地帯や米大陸西岸などで有効、ともいわれる。
これまでも西側諸国では、北極海のノバヤゼムリヤ島で行ったソ連の核実験が、イラン地震を誘発した?などの報告があった。アヌイレイエフ少将は、このような説には「証明されていない」と否定的だが、「一日も早く、開発中止のための手を打つことが必要だ」と訴えている。
〔1991年5月四国読売新開朝刊 国際面(五面)〕
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2.「諜報員」さんのサイトで見つけたロシア軍事情報
の一環としての「地震兵器」関連情報
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http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6105/material/earthquake.htm
我が国の科学者の地殻兵器開発に世界の全諜報部が関心を示した。
ソヴェルシェンノ・セクレートノ紙1998年8月
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国連協定にも関わらず、日本、米国及び南アフリカの秘密地球物理学研究所において、大量破壊兵器、すなわち必要な場所と必要な時間に破壊的な地震を起こせる地殻兵器の開発に関する計画的な作業が行われている。これらの開発の科学的基盤となったのは、ソビエトの軍産複合体『メルクーリー(マーキュリー)−18』(科学研究作業No.2 M 08614産業複合体)の最高機密プログラムであり、その成果は日本の秘密諜報部の手に渡った。社会の安全のため、今日我々は、7年間に渡る記者の調査の結果手に入れることに成功した国防省の『極秘』(訳注1)文書を公表せざるを得ない。
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●爆発による地震
今年の2月12日の夜、チェチェン国営テレビのセンセーションな番組に、チェチェン民族保安局(NSB)議長レチ・フルトィゴフ(訳注2)が出演した。彼は、ロシア連邦FSBが作成した計画が彼の掌握下にあり、それに従い反抗的な共和国においてスピタスコエを上回る地震が計画されていると表明した。
レチ・フルトィゴフの言葉によれば、1997年12月末に退役したロシア連邦FSBの将軍(名前は不明)は、暗号名『ヴェズーヴィー(ヴェスヴィオ)』計画の核心を暴露する秘文書の束をチェチェンの『同僚』に手渡した。「2月23日、ロシアの特務機関により創設された機動グループは、チェチェン共和国領内に事前準備された炭坑に降り、強い地震を引き起こせる強力な装置を作動するはずである・・・。」
ロシア連邦FSBは、センセーショナルな事件を公式にコメントすることを拒否した。FSB社会関係センター長アレクサンドル・ズダノヴィッチは、以下のように拒否を論証した。「私には、戯言とも言える表明に答える能力がない。」
指摘された日に、ロシア連邦非常事態省は、グローズヌイの東50kmにおいて2つの震源地を記録した。地震の規模は、震度2.5から3(訳注3)であった。犠牲者と倒壊はなかった。
クレムリン側からのいわゆる地殻兵器の使用の脅威に関するそのような『戯けた』警告は、カフカーズ諸国のリーダーにより既に再三以前から行われていた。今回、推理はかつてないほど近かった。だが、『ヴェズーヴィー』計画の秘密をレチ・フルトィゴフは墓の下へ持っていってしまった。6月21日、彼は、グローズヌイでの大規模騒擾時に殺された。
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●『地球物理学』兵器レース
既に第2次世界大戦末に、ある科学者が日本領土に地震を引き起こし、一挙にサムライを葬るために強力な航空爆弾により富士山をふさぐことをソビエトの司令部に提案していた。このアイデアは、当時実現しなかったが、平和愛好家の指導者達の頭を長い間真剣に興奮させた。
1961年のノーヴァヤ・ゼムリャにおけるTNT換算5,000万トンの世界最大の熱核弾頭の実験成功後、地殻兵器の夢はかつてない現実性を帯びた。
KGBの努力により、ソビエトの何らかの強力な爆発からの衝撃波によりその潜水艦が破壊的な影響を受けたというアメリカの潜水艦艦長の報告を伴った1つの科学技術論集がニキータ・フルシチョフの目に止まった。この報告においては又、米国沿岸での複数の熱核水中爆発が北アメリカ大陸の大部分の浸水をもたらし得るという恐るべき意見も述べられていた。
報告は、正確だった。フルシチョフの想像力は、巨大な津波によるアメリカ帝国主義への壊滅的な損害の光景を瞬時に描いた。そして党のボスは、そのような『エキゾチック』な戦闘行動の実施の可能性の詳細な研究を行うように命令を即座に出した。
KGBにより控えめに示唆されたフルシチョフのアイデアは、スターリンの『収容所』において苦難の試練を経たソビエトの科学者達により大変真剣に受け止められた。熱核特殊爆弾の米国沿岸への運搬案の立案に、アカデミー会員アンドレイ・サハロフが参加したことは十分に言える。だが、短期間の理論的報告の後、大陸棚の長い距離と浅い水深が水中原子力攻撃を行えなくすることが明らかになり、その結果、ソ連科学アカデミー・シベリア支部は、国防省を通してソ 連共産党の指導者に、見通しのない実験を中止することを要請した。だが、地殻兵器の開発者は、当然の事ながら、これでおとなしくなったわけではなく、大洋の深海へ目を注いだ。
70年代始め、KGBの諜報は、アメリカの学者が地球物理学戦争に備えるため、自国の海底の地震観測により海底断層を積極的に探り始めたことを知らせた。今度は我が国も、一組の核弾頭をそこで爆発させ、カリフォルニアに壊滅的な地震又は津波を引き起こすため、太平洋の海底の断層の探索に没頭した。この輝かしい時代から我々に残されたのは、恐らくマリアナ海溝の海底に潜水できる軍用潜水機『ポイスク』である。GRUは、手動で操作されるこれらの機材の設置のため、考えられる全潜水記録を敗り、このためソ連邦英雄の称号(!)を授与された将校の名前を今に至るまで秘密にしている。
作業は、『引き起こされた』、言い換えれば、地球への人間の背信的な作用(石油及びガスの採掘、巨大な貯水池の建設、土砂の採取作業、最も重要なのは地下核爆発)により引き起こされた地震と自然のものが異なることを科学者達が直ぐに習得したくらい上首尾に行われた。暗黙の相互協定により、軍事地球物理学者は、いくつかの記憶に残る破壊的な地震が核実験により引き起こされたことを、米ソの人民から入念に隠蔽した。我々全員は、いつか地震により被災した市民が、自分の『超大国』の国防省を告訴し、しかるべき補償を要求するときを待っている。この訴訟において彼らを助けられるのは、例えば、1970年の地震上の観点から平穏なロサンジェルスでの震度8の地震は、市から150kmの実験場で行われた核爆発により引き起こされたことを証明できた数人の平和愛好的地球物理学者である。あるいは、震度4地帯のガズリ町(ウズベキスタン)での破壊的な震度9の地震は、セミパラチンスクでの核実験(1976年と1984年)後2週間以内に起こった以上、人工的な性質を有していたことである。
80年代始め、『地球物理学』兵器の開発の軍事的意義が、米ソが限界線に達しないために、核兵器競争を中断し、自国の戦略戦力を相互管理の下に置かざるを得なかったことと関連して何倍にも増大した。核兵器はつながれたが、地殻兵器はどうなのか?特にこのとき、軍の地球物理学者には、来世紀の大量破壊兵器を開発するという困難な任務が与えられ、その破壊的作用が地球上のいかなる所定の地点でも秘匿されねばならず、既存のいかなる管制システムの影響も受けてはならなかった。このときから『地殻』プログラムは厳格に始動し、地球上空での地球物理学実験の禁止に関する国連の特別協定すらそれを停止させなかった。政治家達が地殻兵器について忘れていないことを証明しているのは、例えば、1994年に旧ソ連の国家元首の審議に付せられた『CIS共通科学技術空間再建協定』草案である。集団安全保障に充てられた第6編(P30-31)においては、以下のように述べられている。「過去数年間、軍事技術の『知性化の比率』は、急激に増大している。特に、益々やっかいになりつつあるのは、攻勢技術と防勢技術の差異である。既に締結及び現在締結中の各種兵器の削減、国家の軍事活動に対する監督に関する条約及び協定等は、既存の技術及び手段に指向されている。その結果、共同体は、一定期間、エキゾチックな種類の兵器(地球物理学、生物学、超心理学等)も含む、あり得べき新たな敵の予期せぬ出現に準備されていないことがあり得る。」
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●『地殻爆弾』の父
我々は、1991年夏のバクーでの『引き起こされた』地震に充てられた第1回地球物理学者国際会議時に、これらの人々と知り合った。科学にとって歴史的な行事は、本質的に『軍事機密』の暴露に関する刑事条項の脅威の下で長年地下核爆発による地震の危険性について沈黙せざるを得なかった地球物理学者達の国際的反乱であった。特にそこでは初めて、ソ連科学アカデミー・アカデミー準会員アレクセイ・ニコラエフの、核実験とそれに引き続く地震の直接関係に関するセンセーショナルな告白が聞かれた。このようにして、米国、ソ連、中国及びフランスに対して、彼らの領土における地震の誘発の罪を核大国に再三説いていたメキシコ、ペルー、チリ、キューバ、イラン及びその他の諸国の昔からの要求が科学的に確認された。報告後から夕食まで、我々は、『反乱を起こした』アカデミー準会員ニコラエフと旧アゼルバイジャン共産党の穴蔵の赤ワインを嗜み、彼は地球物理学の秘密を我々に打ち明けた。その時だったか、我々は、魅力的で知的な、物理・数学科学博士イクラム・ムアリム・ケリモフとも知り合った。2人の科学者の食卓での抗議がいかに興味深く、役に立つとしても、彼らが明らかに何かを最後まで話さず、彼らの告白が『軍事地球物理学』の名の下での限界であることを感じ取った。特にその時から、我々の記者による調査が始まった。結局のところ、忍耐と論理は、最近我々の手に入った衝撃的な文書の束をもたらした。最終的に明らかになったのは、実際に科学者達が1991年にバクーにおいて無言の抗議を行ったことであった。彼らは、地殻兵器の動作の基礎的原則の主要開発者であり、『軟弱な地震多発地帯を使用した震源への遠隔作用及び爆発エネルギーの移動の方法論』を開発した最高機密軍事プログラム『メルクーリー−18』の直接の参加者であった。この軟弱地帯をコントロールすることを初めて研究したのは、アゼルバイジャンの科学者イクラム・ケリモフだった。
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●ケリモフ教授の『双曲線』
1979年3月、イクラム・ケリモフの指導下にあったアゼルバイジャンの科学者のグループは、地球物理学分野における確固たる発見をした。(以下、『極秘』、通し番号No.2の公印が押されたアゼルバイジャン科学アカデミー地震学センターの『プログラム『ヴルカン(バルカン)』に関する1994年度科学研究成果報告』を引用する。)ケリモフは、以下のように述べていた。「地震直前の高周波の地鳴りの変則的変化に対して、脈動は、・・・。蓄積された理論及び実験試料は、活動過程の活性化、・・・必要な地域へのエネルギーの流動のための側支脈の創設の可能性のための、環境の具体的な状態に応じた一定作用のタイプ、強度、周期性及び継続時間を含む活性化作用の方法論を開発することを可能にした。」言い換えれば、イクラム・ムアリム・ケリモフは、自分の意志とは関係なく地殻兵器の父となり、地下環境のコントロールの方法を発見した。地震を適時に予測するという人類の長年の夢に近づきつつあった。この発見は、彼のグループに、イスマイルで4日前、ルーマニアで11日前、クリルで15日前の地震の接近を記録することを可能にした・・・。そのような『民間の有用性』にも関わらず、地球物理学におけるこの突破口は、十分に秘匿され
ると同時に、暗号名『メルクーリー−18』の下で地殻兵器の開発に関する大規模軍事プロジェクトの開始のための基盤に役立った。
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●地球よ!地球よ!私は、『メルクーリー−18』だ。
軍人のシニシズムには驚かされる。それにも関わらず、彼らの職業は、あらゆる手段をもって、たとえ全地球を破滅させてでも祖国を守ることである。だが特にそれ故に、ケリモフの作業は、最高度の援助を受けたのである。1987年11月30日、ソ連における地殻兵器開発をスタートさせたソ連共産党中央委員会及びソ連閣僚会議令No.1384-345が現れた。
我々の手に入ったのは、アゼルバイジャン科学アカデミー地質学大学校長、アカデミー会員L.アリ・ザジェとモジャイスキー名称軍事技術大学副校長L.トゥチコフの公式書簡(『極秘』、通し番号No.1の印判の付いた)である。1986年2月から1990年3月までの5年間に渡って、アゼルバイジャンの科学者に、『地球物理学の要素を考慮した軍事技術システムの機能化のモデル及び過程』を開発することが委任された。この計画に従い、1990年1月までに学者達は、『震源地への遠隔作用及び軟弱な地震多発地帯を利用した爆発エネルギーの移動の方法論』に関する結果報告を提出しなければならなかった。この軍事技術任務の『予期せぬ結果』の章においては、『地殻過程への遠隔作用の応用の見解』を規定することが記載されている。簡単に言えば、必要な場所と必要な時間に地震を起こす能力についてである。
この文書において特別な注意を引いたのは、以下の秘密保持体制である。
「第5、6段の科学研究作業(作用及びエネルギー移動の方法論)に関する科学研究作業の遂行のため、独立した建物を割り当てることが必要である。
外国の技術的無線妨害手段のため、相談、会議、ゼミナールを内部の視界の良い建物で行うこと(建物の窓は、研究室の中庭に向かなければならない)。会議の直前、何らかの技術装置(送信機、記録装置等)の有無に関して、建物(内部及び外部)を入念に検査すること。研究を架空名『地震の予測問題の開発』の下で行うこと。執行者のリストを制限すること。」
軍の地震学者V.ボチャロフ少将を長とするソ連国防省参謀本部の監督官とKGBの代表は、1990年までの急速なテンポで『地殻爆弾』を創設することを要求したが、科学研究の莫大な量を考慮すれば、恐らく実現しなかっただろう。それにも関わらず、1988年にケリモフのグループは、物理・数学科学博士と教授になったこのときまでに、バトキン市(キルギス)から約50kmの実験場で最初の実験に着手した。作業においては、特別注文によりイギリスで製造されたデジタル・システム『9690』の受信センターと3つの移動式地震観測所が使用された。専門家の意見によれば、最初の実験は上首尾に行われ、その後ウズベキスタンの他の実験場においてさらに集中的に継続された。
軍事プログラム『メルクーリー−18』 の規模に関しては、このプロジェクトにおいて稼働した22の科学施設のリストから判断できる。その結果、I.ケリモフによると、90年代始めまでに 、「蓄積された理論及び実験資料は、環境における活動過程の活性化又は余剰応力の放出のための作用の方法論を開発すること」、言い換えれば、いかなる強度の地震も引き起こすことを可能にした。「作業に参加したのは、ソ連科学アカデミー地球物理学大学地形学研究所であり、それは地震エネルギーの優越空間、必要な地域へのエネルギーの流動のための側支脈の創設の可能性、不活断層の活性化の可能性等の分析のために数千kmに広がった、長く延びた地殻断層の研究のための特殊野外観測を行った。」である以上なおさらである。言い換えれば、人工地震活動地帯から何千kmも離れて、何世紀もの間いかなる地震もなかった場所に地震を引き起こす可能性が現れた。
ソビエトの政治システムの内奥において混乱が起きず、ソ連が崩壊しなかったのならば、ケリモフ教授の破壊的な実験がどのような結果に終わったのかを想像するのは難しい。プログラム『メルクーリー−18』が、衛星上の地震観測機材の設置を含む、莫大な出費を必要とした以上、財政の中断は、瞬時にそれを死に追いやった。
ケリモフのグループが成功した最後のものは、1991年のペルシャ湾における多数の人的損害とアメリカ人の大量爆撃とグルジアの地震の明快な相関関係を確定することであった。その後、科学の革新者達のユニークな集団は、静かに崩壊し始めた・・・。
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●特務機関の奇妙な『地震活動』
アゼルバイジャンが主権国となった後、イクラム・ケリモフ教授に、南アフリカに移住した地質大学の元同僚ニヤズ・バイシェフが問いかけた。彼の提案は、予期せぬものだった。「バクーでは、あなたの科学研究、イクラム・ムアリムは誰にも必要とされていない。南アフリカに移住したくはないか?地震研究のために必要な資金と全アフリカを受け取りなさい!」
科学の利益を最上とする科学者として、ケリモフは同意したが、1つの条件を付けた。「全グループが出国できなければならない。できれば家族と共に。」
回答を遅らせないと約束し、バイシェフは姿を消した。永遠に。彼に続いて、1992年11月にバクーから妻子と共にアゼルバイジャン科学アカデミー地質学大学の先任科学研究員ジャファル・ジャファロフが出国した。出国文書をジャファロフはなぜだかモスクワで手続きし、シェレメチェヴォ−2から南アフリカへ家族と共に障害なく飛び立った。ケリモフのグループにおいて、彼は主要なプログラマーだった。
公式資料によれば、現在ジャファロフは、南アフリカ共和国においてコンピュータ・グラフィックにのみ従事している。だが、この格別な民間業務だけで彼が食費を稼いでいるのかは不明である。募集係バイシェフの運命は、悲劇的となった。彼はつい最近死亡したのである。公式筋ではやはり、個人用火器の暴発だった。
ケリモフのもう1人の部下は、現在イスラエルで暮らし、働いている。彼の招聘と出国は、政府の高位レベルで手続きされた。
我々に明らかになったところによれば、1995年3月にケリモフ教授は、ある日の夜、ケリモフのグループの作業室に、捜索とも言える略奪が行われたため、アゼルバイジャン民族保安相N.アッバソフに緊急援助を要請した。省への書簡において、科学者は、誰かがドアの鍵を壊しただけではなく、分析プログラムの入ったコンピュータをかなりいじくり回しており、そして重要なのは、「過去2、.3年間に我々により行われた研究の成果に関する最高機密の情報と特殊テーマに関して行われた全研究の成果の分析が存在する」コンピュータを盗んだと伝えた。
このこと全ては、もし過 去に、地殻兵器の開発分野において、各国の特務機関が活発な諜報活動を行っていたことを疑いなく思い起こさせる奇妙な事件が起こっていなければ、注意を引かなかったはずである。
1981-1982年にユネスコは、1900年から1965年までの期間に渡る大規模地震の新しいカタログを作成する決議を採択した。このプログラムの枠内において、米国は、ソビエトの地震学者にしかるべきデータを提供するように要請した。しかしながらなぜだか、事件の瞬間とその強度に関する情報だけではなく、地震に先立つ全ての震動図のコピーも要求された。代わりに提供されたのは、コピーのために使用される携帯式コピー機だった。KGBは、我が国の地震学者達に照会されるデータを評価することを要請した。そして専門家達は、1つの結論に達した。すなわち、震動図から取り出された情報は、アメリカ人にソ連各地に何種類かの波動作用をシミュレートすることを可能にし、我が領土からの地殻兵器の実験の『展望』を明らかにする機会を与えるということだった。
その後、核実験全面管理プログラム実施の枠内において、米国防総省は、ソ連領土に30カ所の地震観測所を設置し、それにより同時に得られた情報を我々に提供することを提案した。6カ所の観測所が稼働したとき、アメリカ人が絶えず我々に不正確な情報を提供していることが明らかになった。恐らく、関連機関は考え込んだ筈であるが、プログラムは現在も上首尾に継続されている。
80年代に、「ソ連科学アカデミー地球物理学大学職員間の内部紛争により」、ケリモフのグループの科学活動の結果を日本の国家機関職員ハマダ・カズオが知ることとなった。アゼルバイジャンの同僚の作業について独自の否定的な意見を述べたモスクワ地球物理学大学のある職員は、ケリモフの発見の全詳細を日本人に打ち明けた。後にKGBは、これらの情報の流布による損害を評価するため、独自の非公然調査を行い、総合結果は悲観的なものとなった。すなわち、80年代に入ると直ぐに、日本は軍事地球物理学プログラムの積極的な立案に入ったのである・・・。
ロシアはどうなのか?我々の情報によれば、90年代始めにケリモフのグループに類似した5-6名の専門家のグループを創設し、軍事目的の地球物理学実験のために極東の2つの実験場を設備することが計画された。この状況下において、カフカーズ諸国に対する地殻兵器の使用の可能性に関するそれらのリーダーの表明の全ては、全くの戯言ではない。重大な財政上の困難のため、ロシアはこれらの開発における先取性を失った公算が大きいが、ケリモフのグループの発見の結果を西側及び東アジアの特務機関が利用した公算も大きいのとは別のことである。
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●追 伸
『ソヴェルシェンノ・セクレートノ』の本号で公表された、ソビエトの地殻兵器開発に関するプログラム『メルクーリー−18』の文書は、我々の要請により、既に彼がロシア連邦参謀本部情報総局長に在籍していた時に、フョードル・ラドィギンに提示されていた。この文書が偽物でないかを確認するために。GRU長官は、批判的だったが驚きを示して、自分の日誌に何らかの印を付けた。国産及び外国製の『地殻爆弾』の実験について何らかの詳細を打ち明けることを、ラドィギンは、当然の事ながら欲せず、1つの抽象的なフレーズ、つまり諜報員とジャーナリストの職業の類似性についての何かを述べた。
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訳注1:ロシアの文書の秘密区分は、秘密度の高い順に、『機密』、『極秘』、『秘』の3つである。
訳注2:民族保安局(NSB)は、チェチェン共和国のKGBに相当する情報機関。現在の長官は、レチ・フルトィゴフの弟のイブラヒム・フルトィゴフである。
訳注3:ロシアの震度は、12段階である。
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原文:ソヴェルシェンノ・セクレートノ紙1998年8月号