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沖縄サミットの前後に関東(大規模)地震が
予告”されているのは不思議なタイミングだ
●いろいろな情報を眺めていくと、夏から秋にかけてかなり破壊的な地震が日本列島を襲うのではないか、という気にもなってくる。 まあ、警戒するに越したことはないが、この時期に沖縄でサミットが開かれて東京の政府機能の中枢部分が、ほんの数日であるが沖縄に移転したのとほぼ等しい状態になるのは、タイミングから言って興味深い。
●その沖縄を強引にサミット会場に決めた小渕首相の思惑は、単に沖縄県民に対する贖罪のためであったのかと、勘ぐりたくなるくらいだが、今となっては死人にクチナシ。降霊会でもやらなきゃ知りようがないですな。
●95年の阪神大震災の時にはタイミング良く日本で地震災害対策の国際会議が開かれていたわけだが、FEMA(米国・連邦危機管理庁)の長官が昨年暮れに米国内で行なった演説を以下に再録しておく。(ロゴヴィスタで機械翻訳しただけのものなので、読みにくいですがご勘弁を。)
●最近のFEMAは“災害復興にむけた強化都市づくり”に力を入れているらしい。 その事業計画の名前は「プロジェクト・インパクト」なんだとさ。 ガツンとやられて、そこから立ち直るという意味だ。
●もしも……の話だが、かつての関東大震災のような大地震が起きて日本の主要都市が壊滅的打撃を受けたら、これまで市場障壁によって日本に参入できずにいた米国のゼネコンにとっては“特需”でありましょう。 もちろん土建政治で権力基盤を築いてきた日本の某保守党にとっても“天恵”となる。 世界銀行や世界の主要金融機関にとっても、回収の当てがある国家に巨額の投資が出来るわけだから、まさに美味しい話である。
●経済が破壊と再生の繰り返しのなかでしか“健全に回転”しえないものならば、北側世界の豊かな国々を戦場にした世界大戦が容易にできなくなった今、“ナマズの神様”に願掛けしている勢力がいても不思議ではない。
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【参考】 連邦緊急管理庁(FEMA)
ジェームズ ・L・ウィット長官の講演
http://www.fema.gov/library/jlw121399.htm
「プロジェクト・インパクト」サミット
(ワシントンDC、1999年12月13日)
ご紹介ありがとう。
私は新たな千年期の「プロジェクト・インパクト」 (Project Impact) に向けて新しい協議事項を概説するために今日ここに来た。
簡単にいえば、私はあなたに旅に加わるよう招くため―― あなたにしきりに促すために――ここに来た。悲嘆から希望に向かう旅に。
この旅は世紀の夜明けに始まった。といってもこれから始まる新世紀ではなく、これから終わろうとしている今世紀おことだ。
1900年のことである。 場所はガルベストン 、テキサス 州南東の海岸から外れた細長い島である。
その年の9月のある朝、ひと握りの暗号文のような電報メッセージ以外の警告以外まったくないままに、恐ろしいハリケーンがメキシコ湾の オーバーガルベストン島 を襲った。
まる一日に及ぶ暴風と高波の後、都市のその家の半分は破壊された。 すべてが損なわれた。 そして6,000人の人々が ―― およそ12,000人という見積もりさえあるが―― 死んで横たわっていた。
我々の旅の次の立ち寄り先はサンフランシスコ である、1906年のある朝、人々が毎日の煩わしい仕事に行く途中に、突然、強力な地震がその地面を開いた。
街の区画全体がカードで出来た家のように倒れた。 送電線が分断され、何日間も猛威を奮う火事が起きた。 火事が収まり瓦礫がきれいにされた時にはすでに3,000人の生命がなくなっていた。
最後に我々はミシシッピ川の盆地に旅するが、1927の春に、激しい雨が洪水を起こし300人以上の人々を殺して破壊で何十万もをホームレスにし、そして何億ドルもの損害を出した。
それは今世紀の緊急マネジメントの夜明けであった:災害 が警告なしで襲った。 地域共同体はたいてい準備ができていなかった。 そして生活の大規模な損失は型通りであった。
今世紀の終わりに、災害がたいていの生命を割愛する。 しかしハリケーン・アンドリューや、ロマプリエタおよび (Loma Prieta) と ノースリッジの 地震のとどろき、1993年の中西部 洪水は、失われた不動産と破壊された記憶で我々に災害がまだひどい苦痛を与えることを思い出させる。
緊急マネジメントのために、今世紀は恐怖から始まった。 それは、まだ、あまりに多くの悲嘆で終わる。 けれども一緒に、今日、我々はその次の世紀が希望の土台を基盤として作られることを確かにすることができる。
あなたがすでに希望が我々の握りの中であることを明示したから、私はその挑戦をこの聴衆にもたらす。
長い、厳しい世紀の間に、我々は多くの災害を予測することを学んだ。 我々は人々を片付けるその輸送と通信技術を所有する。 そして我々はどのようにその損害に耐えるために構成を強化するべきか知っている。
この世紀の始めに、我々の人々は自然だけと取り組むことを委ねられた。 今日、我々の挑戦は人間性とともにある。我々自身、お互いと我々の共同体に行動をする動機を与える。
つい最近、 FEMA は単純観念で悲嘆から希望までの旅を始めた。 我々は災害のあとに共同体が最良の結果を生み出すことを見てきた。 そして我々は災害が起きる前に、損害を妨げるためにその倫理のその能力を使うことができたと信じた。
我々はそれを「プロジェクト・インパクト:災害に抵抗できるコミュニティづくり」と呼ぶ。 そしてごく近年、ひとつの考えとして始まったものはアメリカ 全域のほとんど200の共同体で繁栄している運動になった。
一緒に、我々は氾濫原にこれ以上建築を続けるのを止めさせ、代わりに人々がより高い土地に動くのを手伝っている。
我々は災害防止での最も良い武器であり得るその天然資源を侵食するよりむしろ受け入れている。
我々は次のハリケーンや地震に耐えるために建物を改造している。
1,000以上の企業のパートナーが彼ら自身の先物に投資して、「プロジェクト・インパクト」 に参加することによって、彼らの近所にいっそう従事している。
この運動は災害の危険から生まれた、しかしそれは将来のために機会に成長した。 あなたたちのような共同体が、災害防止が問題を無視するのでなく機会を引き付けるものであることを発見している。
災害防止の見解は着実に我々の地域共同体を設計するその方法、我々がどこに住むかを決める方法 を変えている。
都市のスプロール化をめぐる論争で分裂させられた共同体が、災害防止を利用してより住み良い都市を築くための行動課題を出し、それを通じて統合を成し遂げようとしている。
環境について心配している共同体のために、災害防止がその自然のままの状態に空き地と海岸線に湿地のその修復を刺激した。 氾濫原と海岸線、断層線と山麓の丘に沿って、自然が恐怖よりどちらかと言うと、もう1度、美しさの源になった。
災害防止が経済発展、歴史保存と他のローカルな挑戦の後ろにそのエンジンになった。
1900年のガルベストン の恐怖から1993年の中西部洪水の悲嘆への、 破壊の1世紀の後に「プロジェクト・インパクト」 が自然災害に直面する共同体で希望の炎に火をつけた。
今日、我々は進歩だけではなく、災害についてのまったく新しい考え方を模索している。それによって歴史のページを開くだけでなく新たな章を開くのだ。 我々が一緒にこの構想を追いかけるとき、我々を導くのは災害の中で死んだ人たちへの追憶、生き残った人たちの苦しみ、そしてとりわけ再建する決意の人たちの闘志である。
その精神はこの会場で今日活発である。 我々が「プロジェクト・インパクト」 を始めたとき、我々は内部に手を伸ばして、災害損害を妨げるために地域共同体でその最も良いものを見いだすことができたと信じた。 あなたはその証拠である:「プロジェクト・インパクト」 のために我々に加わることによって、コミュニティはより親密でより強力になった。 言葉は私の感謝を表現するのに十分ではない。
それはあなたの精神である。 これはあなたの運動である。 そしてこれは私の挑戦である:
次の世紀に、我々が悲嘆から開始し希望にまで至ったこの旅を完了することを約束しよう。
次の千年期の間、一緒に結び付くことを今日約束しよう:我々は、失われた生命の数によってだけでなく、補修された建物のその数によっても災害の獰猛さを測ることを止めよう。
次の世紀に、我々は豊かにされる人生までに「プロジェクト・インパクト」 (Project Impact) のその成功を、災害防止の共有されたビジョンで一緒により近い強くされた共同体と描かれた隣人を測るであろう。
「プロジェクト・インパクト」の第一世代のリーダーとして、あなたたちはこの運動のその先導者、これらの思い出の守り手、この新しい希望の導き手である。
それゆえ私は、21世紀に悲嘆から希望まで我々の旅行を完了するための「プロジェクト・インパクト」 (Project Impact) のために新しい協議事項を発表するわけである。
私は我々が一緒にこの構想を達成することができると知っている。なぜなら私はすでにあなたたちがかくも偉大に達成するのを見たから。
ほんの数年で、我々は一緒に、アメリカ すべての共同体で災害防止のためにそのインフラストラクチャーを建てた。
全国洪水保険プログラム (National Flood Insurance Program) は何十億ドルもを蓄えて、そして19,000以上の共同体がより安全になるのを手伝った。
1993年の「 Volkmer 法 」は48州で氾濫原で23,000件の不動産を取り除くか、あるいは高地に移動させて、被害を減らすための供給資金を引き上げた。
各州は強い建物規制を採用している。 そして多くの州で、病院のような重大な共同体構成が災害の後に機能できることを保証するためにもっと厳しい標準に建てられている。
FEMA はすべての州で「危険軽減役人」 (Hazard Mitigation Officer) に資金を供給した。 彼らの手助けを得ながら、各州で州全体の軽減計画を発展させている。
我々は、近代的で洪水地図を更新する新しい防止技術に投資した。 子供たちと家族が、我々が家と学校のために開発したその最新の安全部屋技術によって竜巻の間に保護されている。
HAZUS 技術が我々に地震危険を査定することを可能にした。
FEMA は工兵隊と共同で、湿地干拓工法を改善してきた。 人々が不必要な、不経済な痛みのになる運命であるであろうポジションを組み入れることに対して、我々は我々が決して再び許可証を公表するべきではないことを決心している。
我々は都市計画者、インフラストラクチャー、非営利の、そして志願の組織、火と非常事態サービスと他の市の高官と組んだ。 中小企業管理局 は「プロジェクト・インパクト」に参加している 共同体でのビジネスが災害に対して抵抗するのを手伝う1千5百万ドルのプログラムに着手した。
この動きはカリフォルニア州ナパ と バークレイ で全部の選挙民に、投票者として広がった。 ユタ 州ソルトレークシティーや オクラホマ州タルサ、フロリダ州の海岸沿 とディアフィールドビーチ は災害防止のために基金創設を承認した。
「プロジェクト・インパクト」に参加している共同体が公共および民間のドルで FEMA 交付金を抵当として借金している。 ビザ (Visa) のような企業のパートナーが成功した「プロジェクト ・インパクト」参加自治体を承認している。 Fannie Mae (Fannie Mae) は低利貸付けと交付金の手伝いをしている。 Solutia は我々がハリケーンから保護するために shatter-proof ウィンドウを取り付けるのを手伝っている。
我々の運動はひとつの考えからほとんど200の地域共同体と1,000以上の企業のパートナーまで広がった。 そして「プロジェクト・インパクト」 は今では国際的になり、3つの共同体がアルゼンチン でこれに加盟し、さらに多くの参加地域が見込まれている。
大胆な理論として始まったものは今、成功が証明されたのである。 「プロジェクト・インパクト」は、持続可能で住み良いコミュニティを築くための健全で強力で持続的な方法である。
「プロジェクト・インパクト」が働く!
「プロジェクト・インパクト」が都市であるか、あるいは田舎で、金持ちであるか、あるいは貧しい地域共同体で働く。 災害防止とそれを達成するために必要なその合名会社はどんな共同体銘柄の中にでも採用されることができる令状を明らかにした。
皆のために文化的生活環境基準を改善する解決のために土台を作ることによって、「プロジェクト・インパクト」が働く。
着実なステップによるステップ、我々は希望に向かって悲嘆から一緒に旅した。
私は感謝と挑戦両方のメッセージで今日ここに来る。 なぜなら「プロジェクト・インパクト」 の精神は、当分、しかし将来のために建築でその過去あるいは祝福に反応することにおいて、だけではなく横たわる。
これはあなたの運動である。 これらはあなたの業績である。 そしてこれは我々の挑戦である。
それで今日私は21世紀に「プロジェクト・インパクト」 のために意欲的な協議事項を申し出る。 私はその野心と指導力がすでにアメリカ に我々がいくらを達成することができるか...我々がいくつの生命を救うことができるか...我々がいくつの地域共同体を濃縮することができるか示した人たちにそれを申し出る。
21世紀に、次の目的に達することによって、我々は悲嘆から希望まで我々の旅行を完了する であろう:
最初に、我々は新しい「プロジェクト・インパクト」合名会社を設立して、そして決まった場所ですでにそれらを広げるであろう。
あなたの共同体がその資源と災害損害を妨げるために必要とする専門的知識両方を持っていることを保証するために、我々は農業、エネルギーと貿易のその部門 (Departments) との新しい連合とその環境庁 (Environmental Protection Agency) を設立するであろう。
我々は我々の生活様式に災害抵抗を取り入れるのを手伝うであろう容易に利用可能な、使いやすい道具を開発する技術におけるリーダーと共に働くであろう。
我々は、災害が起きたとき、我々が住んでいて、そして働くその場所が安全であることを保証するためにすでに強い友情の中にもっと深い家を建てる人と手を伸ばしている不動産業者と共に働くであろう。
いいですか、それは意欲的な考えである、しかしそれは高価な(の・もの・人)でなくてもよい。 アトランタ (Atlanta) でのハビタットフォーヒューマニティー (Habitat for Humanity) の試験的なプロジェクトが最近モデル家がわずか320ドルの割増し料金のためにいっそう安全に、そして強く建てられることができたと決定した。
我々は全国的にその概念を、そして世界中に − 我々は希望する − をとるであろう。 生活はこの上なく貴重である。 確かに320ドルがその生命と我々が一緒にセーブすることができる夢と思い出と比較される何でもない。
我々はアメリカ の労働組合とのもっと強い連合とメンバー...その環境保護の共同体...と経済発展高官を作り出すであろう。 そして我々はアメリカ ですべての消防署の中に「プロジェクト・インパクト」 をとるであろう。
そして、瞬間今から、私はアメリカの全域に都市と郡のリーダーと一緒に正式の関係に着手している 持続可能な共同体が災害抵抗のそのメッセージを国のすべての部分に持って来るために共同のセンター (Center) で組合契約に署名するであろう。
第二に、21世紀に、自然の危険を識別する新しい技術に投資することによって、我々は悲嘆から希望まで我々の旅行を完了するであろう。
我々はスマート地図を開発して、そして地方自治体が洪水地図を保守し、そして更新能力を発展させるためにデータを集めるであろう。
我々はハリケーンと他の危険にも対応するためにその HAZUS 地震モデルを広げるであろう。
第三に、21世紀に、損害を妨げて、そして、災害が襲うとき、生命を救う新しい技術を開発することによって、我々は悲嘆から希望まで我々の旅行を完了するであろう。
我々は竜巻のために病院と他の公共施設で安全なシェルターの意匠の中に研究を速めるであろう。 我々は全米気象局 (National Weather Service) と天気予測モデルを改善するその全国海洋大気管理局のために働くであろう。
ついに、21世紀に、その資源が「プロジェクト・インパクト」 に資金を供給することができるよう努力することによって、我々は悲嘆から希望まで我々の旅行を完了して、そして全国的に災害防止の我々のメッセージを広めるであろう。
我々は「プロジェクト・インパクト」に参加している共同体のためにもっと多くの資金供給を公認するその 「Inhofe - Graham法案」や「Blumenauer - Bereuter法案」を通過させるために会議で我々のパートナーと共に働くであろう、そしてそれは我々が反復的な損失を扱うのを手伝う。
その次の年に、我々は100年にわたる氾濫原を作らないための誘因を実行するためにその環境保護の共同体で我々の州 (State) と支部 (Local) パートナーと我々のパートナーと共に働くであろう 。つまり100年にわたる氾濫原で新しい建築許可を公表しないよう励ますために。
ノースカロライナ州ではニューハノーバー郡政委員会が氾濫原で開発密度を増やすことになる提案を先週拒絶した。
今日我々は FEMA で洪水防止と開いている使用に対して・それらの土地を利用可能にすることに同意する農民に報酬を与える政策を追求している。 我々は、悲嘆から希望に至るこの旅に加わる人たちがその努力に対して罰せられるよりむしろ報酬を与えられるべきであると信じる。
FEMA は共同体が防止のために可能性がある地元の資金供給ソースを識別するのを手伝うためにストライキチームに資金を供給するであろう。 そして我々は防止、緊急と希望のこのメッセージを広めるために―― 我々が最近「マネー」誌と一緒に行なったような民間部門との共同作業で―― 全国的な国民意識キャンペーンに投資するであろう。
我々はこれらの共同体が―― あなたたちの多くが考えているように――災害の残骸から希望のインフラストラクチャーを建てることができることを発見するのを手伝うであろう。 我々は災害から再建している地域共同体が災害に抵抗できる地域共同体を築くことを保証するであろう。
それは意欲的な課題である。 けれども「プロジェクト・インパクト」 は内気な考えではない、そして新しい世紀のその夜明けは小さいゴールの時間ではない。
それで今日私は―― あなたの手助けと約束とともに――挑戦を並べ広げる、我々は21世紀のアメリカ で「プロジェクト ・インパクト」の思想をすべての共同体生活に持って来るであろう。
それは私の挑戦である。 これはあなたの運動である。 そしてこれは我々の――恐怖から悲嘆を経て最終的には共に希望に至る――旅である。
この旅は無意味で広範囲にわたる死と1900年のガルベストン 、1906年のサンフランシスコおよび1927年のミシシッピ 盆地の破壊から始まった。
それはハリケーンアンドリューの暴風、ロマプリエタ と ノースリッジの地震の破壊、そして1993年の洪水と、あまりにも長く続いてきた、
この旅は我々をもっと多くの災害に導くであろう。 けれども我々はアメリカの共同体のための新しいビジョンに向かって運動することができる ――これは 我々が災害を扱う新しい方法だ。
我々は、安全に生活できる地域共同体と建物を安全に建てることができる。
近所づきあいがやっていける都市と、天然資源が自然の美しさに復帰できる都市だ。
恐れが安全に取って代わられ、安全性が経済の機会、隣人が一緒により近くなる環境の機会へと活用された共同体へと。
我々は今、リスク・マネジメントの成功が、災害の生存者によってではなく、豊かな暮らしによって測定できる国家を築いている。
今日我々はリスク・マネジメントのだけではなく、アメリカ ca) における共同体生活のその歴史で新しい章を開く。 その物語は「プロジェクト・インパクト」 と呼ばれる。 その担い手たち、リーダーとなり、予言者となる人々がこの会場にいる。
それで今日私は感謝を提供する。 私は祝福を申し出る、そして私は言葉が完全にいずれかを表現するには不十分である ことを知っている。
けれども私は同じくあなたに挑戦を申し出る。「プロジェクト・インパクト」の前衛となるあなた方に。
我々に合流しなさい。
過去に別れを告げて、重苦しいコートを脱ぎ、未来に向けて腕まくりしよう。
悲嘆から希望に向かうこの旅で我々に合流しなさい。 より近い隣人、もっと金持ちの地域共同体ともっと強い国が待ち受けている。 ありがとう。
Updated :1999年12月13日