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平成 12年 (2000) 6月 6日[火] 先負 (産経新聞)
主張 これこそ言葉狩りの典型
【「国体」発言】
森喜朗首相の発言がまた騒ぎを呼んでいる。「神の国」に続いて、今度は「国体」という
用語を使ったことが非難の対象となった。首相の不用意さは批判されてもやむを得まいが、
長い演説のなかの片言隻句をとらえた“言葉狩り”が横行する風潮には憂慮の念を覚える。
首相は自民党奈良県連の演説会で、民主党が共産党と連携する可能性に言及し、共産党は
綱領で天皇、日米安保、自衛隊を認めていないとして「そういう政党とどうやって、日本の
安全を、日本の国体を守ることができるのか」と発言した。
「国体」という言葉は、一般的には「国家の状態、くにがら、くにぶり」(広辞苑)を意味
する。だが、野党側や一部のマスコミは、戦前の国家体制を連想させる言葉を用いたとして、
激しく攻撃している。
政治論からすれば、総選挙を直前にして、野党側が首相の「失言」を攻め立てるのは当然
でもあり、そういう材料を与えてしまった首相の“軽率さ”が問題であることは確かだ。首
相がそうした反応をすべて計算したうえで、あえて一石を投じたというのであればともかく、
そうでないのならば、首相には危機管理意識が欠如しているとしかいいようがない。自民党
内も首相発言を守り抜こうというよりも、選挙戦への不利を思い、うんざりしているといっ
た空気が大勢であるようだ。
だが、言論・表現の自由を最も尊重しなければならない立場にあるはずのメディア側が、
言葉のちょっとした使い方を非難して大騒ぎするのはどう考えても尋常とはいえない。何ら
かの政治的意図を疑いたくもなる。自由闊達な論議を封じ言論統制がまかり通る社会を求め
ているのだろうか、といった疑問をすら提起せざるを得ない。
首相は「国体」発言について、「国体という言葉は、幹事長、政調会長時代でも使ってい
る」「国のあり方をいっているのであって、昔の古い国体と結びつけて話してはいない」な
どと述べ、失言ではないとしている。
先の「日本は天皇を中心にしている神の国」という発言については、首相も言葉足らずだ
ったと釈明した。国政の最高責任者として、その発言は慎重のうえにも慎重でなければなら
ないのは当然で、あとから釈明に追われるといった不始末は、首相の権威を落とすだけであ
る。
だが、今回の「国体」発言騒ぎは、「神の国」発言よりも、さらに一段と“言葉狩り”の
要素が濃いといわなくてはなるまい。もっと本質的な部分で国政論議を深めたいものである。
。コメント
・・・今回の「国体」発言については、野党やマスコミのあげ足取りである。もっと大切
な国政について議論すべきだ。・・・というのがこの社説のいいたいことでしょう。正論で
す。確かにこの頃のマスコミなどは首相の「失言」に大騒ぎし、本来の政策論争をなおざり
にしている点はあると思います。それは反省すべき点だと思います。
でも、最近の首相の発言は彼の考え方を疑わしめるものが多すぎるのです。今回の「国体」
についても首相は「国のあり方をいっているのであって、昔の古い国体と結びつけて話して
はいない」といっているそうですが、真実なのか?最近の首相補発言には一連の思想が見え
隠れしているように思うのです。それは「天皇を中心とした戦前の国家体制」への回顧主義
です。「この人はもしかしたら右翼ではないか?」と思わせるような発言が多いのです。問
題となるのは発言そのものではなくて首相のものの考え方なのです。これは、今回の総選挙
とは別におおいに問題にすべき内容だと思います。
確かにこの頃の、森発言を総選挙の争点そのものに結びつけようという動きには問題があ
るでしょう(森首相の発言=自民党の考え方とは限らないのだから。) 。しかし、「森発言
を問題にするな」と読み取れるこの産経新聞の社説にも問題はあると思います。これこそ国
民の目を他にそらそうという「何らかの政治的意図を疑いたくもなる」文章です。