■ルーズベルト秘録(36) 第2部(産経新聞)

 
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投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2000 年 5 月 31 日 14:30:56:

大恐慌のたたり(16)【盗聴事件の怪】「関係者」は激戦地に送られた

ルーズベルト大統領の妻<Gレノア・ルーズベルトはジョセフ・ラッシュにあてた手紙の中で次のように書いている。
「人間ってこれほど簡単に親しくなれるのかと思うとおかしく思います。でも、私はあの公聴会であなたと出会った瞬間、友達になる運命なのだと予感しました」
ルーズベルト時代を描き、一九九八年(平成十年)のピュリツァー賞(歴史部門)受賞作となったドリス・グッドウィンの「ノー・オーディナリー・タイム」によると、ユダヤ系ロシア人移民の家庭に育ったラッシュはソ連の指示に無条件に従う米共産党に幻滅し、「平和運動」を続ける学生運動から身を引いたばかりだった。定職もなく、かつての仲間からも相手にされず、孤独の最中にあったその時に大統領夫人から手紙を受け取ったのである。
ラッシュは最初、親子ほども年齢差があり、しかも政治的に大きな力のあるエレノアがなぜ特別の感情を抱いてくれるのか分からなかった。だが、四〇年夏、ニューヨーク州ハイドパークのルーズベルト家の敷地内にあるエレノア専用の離れに招待され、エレノアから子供時代の不幸な思い出などを聞かされるうちに理解し始める。
「夫(大統領)は公務に没頭し、しかもルーシーという恋人の存在を考えると、エレノアは心の悩みをうち明けることのできる身近な友人をどうしても必要としたのだろう」
こうして始まった二人の関係は三年後、米陸軍情報部(G2)の防諜部隊による盗聴事件に発展する。米連邦捜査局(FBI)の報告書は事件の概要を次のように伝える。
「エレノアは四三年三月五日金曜日朝、身の回りの世話をする秘書役のマルビナ・トンプソンとともにシカゴのリンカーンホテルにチェックインした。エレノアは受付に大統領夫人の滞在を公言しないでほしいと頼み、後で若い男性が来ると言って続きの部屋も同時に予約した」
「ラッシュがホテルに現れたのは午後九時。ラッシュは当時、陸軍航空部隊天候予測班に配属されており、週末休暇を利用して列車を乗り継ぎ、到着している。二人は一度だけホテル内レストランで昼食を取った以外はすべてルームサービスで済ませており、七日朝にエレノアが支払いを終えてチェックアウトした後、ラッシュは一人でホテルを出た」
《防諜部隊の捜査記録を下敷きにした五四年二月二日付のニコルスFBI次官報告書は八二年に公開されている》
エレノアはチェックアウトの際、ホテル責任者から部屋に盗聴器が仕掛けられていたことを知らされ、ホワイトハウスに戻るとまず大統領側近のハリー・ホプキンズに調査を命じた。その結果、陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルが事実関係を確認する騒ぎに発展している。
ルーズベルトはその夜、妻と男友達の密会場面を陸軍が許可もなく盗聴したことに激怒し、即座に軍の情報収集見直しと防諜部隊員の配置換えを命じている。
この関係者処分については四三年十二月三十一日付の「G2防諜部隊の解体」と題するFBI報告書(八〇年公開)がさらに具体的に書いている。それによると、盗聴作戦の責任者、ストロング将軍らはその日午後十時、すべての記録と関係書類を持ってホワイトハウスに出頭するよう命じられ、大統領とホプキンズ、マーシャルによって厳しく追及された。盗聴の内容が夫人とラッシュの特殊な関係を示すものだったと分かると大統領は翌朝、ヘンリー・アーノルド将軍を通じて「関係者全員を太平洋戦線に送り込み戦死するまで戻すな」と命じたことになっている。
《ラッシュと仲間は実際、南太平洋の激戦地に転属された。防諜部隊についても一部は戦地に送り出され、残りも配置換えになった》
このスキャンダルについてエレノアは生涯、発言を控えた。だが、ラッシュは八二年に出版した「愛、エレノア」で、「われわれの関係は想像されるようなものではなかった。純粋に友人関係、さらに言えば世界に自由をもたらす同志のような関係で結ばれていた。大統領が私のことを好いていなかったかもしれないが、この事件ではむしろ妻と友人を盗聴するというバカなことをしでかしたG2に腹を立てたのではないか」と説明している。
《ラッシュは戦後、リベラル系で知られた新聞の論説委員をしたあと、エレノアの手紙などを元に七五年に「エレノアとフランクリン」を発表してピュリツァー賞を受賞した。八七年、七十七歳で死亡。エレノアは六二年に七十八歳で亡くなっている》
エレノア盗聴というスキャンダルははからずも、ルーズベルトの陰の部分をあぶり出す結果になった。米連邦最高裁が三九年に盗聴を違法と判断したにもかかわらず、ルーズベルトは四〇年五月、「スパイ活動あるいは破壊活動」を理由に盗聴を許可する命令書にサインするなど盗聴捜査に歯止めをかけなかった。
その対象は必ずしも敵性国民とは限らず、大統領の政敵に対しても容赦なく行われたのである。
《チャールズ・マッカリー著「権力の中枢」によると、ルーズベルト時代の盗聴許可は年平均三百十五回、無許可盗聴は計千八百八十八回にのぼった。フォード政権時代の上院情報委員会は、フランクリン・ルーズベルト政権を盗聴が最も盛んな政権と位置づけている》(前田徹)



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