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●防衛戦略研究会議
1 目的
冷戦後の国際情勢を踏まえ、新たな安全保障秩序の創造を視野に、政治、外交、経済、歴史、社会、文化等様々な要因に配慮しつつ、
長期的な視点から我が国の防衛戦略構想についての検討を行うことが重要となっています。
このような観点から、防衛研究所は、我が国の防衛論議を実りあるものにするために、広く各界の有識者に自由な議論をしていただく
場として、平成11年7月に防衛戦略研究会議を設置しました。
2 参加者
防衛戦略研究会議は、防衛研究所を事務局とし、国際政治学、軍事科学、経済学、歴史学等の多様な分野の有識者をそのメンバーとし
ています。また、防衛研究所所長が事務局長として参加しています。
・防衛戦略研究会議メンバー
3 報告書
防衛戦略研究会議は、平成11年度及び12年度の2年間の予定で議論を進めています。
会議は、委員の自由な議論を推進するため非公開としていますが、会議設置の目的に鑑み、毎年1回、議論された様々な意見を紹介す
る報告書を公表しています。
・『防衛戦略研究会議平成11年度報告書』(概要)
防衛戦略研究会議メンバー(敬称略、五十音順)
秋山昌廣(米国ハーバード大学客員研究員)
伊那久喜(日本経済新聞社東京本社編集局編集員・論説委員)
小此木政夫(慶應義塾大学法学部教授)
北岡伸一(東京大学大学院法学部政治学研究科教授)
阪中友久((財)平和・安全保障研究所理事)
佐藤誠三郎(政策研究大学院大学副学長)(平成11年11月御逝去)
志方俊之(帝京大学法学部法律学科教授)
白石隆(京都大学東南アジア研究センター教授)
添谷芳秀(慶應義塾大学法学部政治学科教授)
田中明彦(東京大学東洋文化研究所教授)
筒井若水(早稲田大学政治経済学部特任教授)
中前忠(中前国際経済研究所代表取締役)
納家政嗣(一橋大学大学院法学研究科教授)
西原正(防衛大学校校長)
野中郁次郎(北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科長)
袴田茂樹(青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科教授)
福島安紀子(総合研究開発機構主任研究員)
山本吉宣(東京大学大学院総合文化研究科教授)
リチャード・クー(野村総合研究所主席研究員)
渡邉昭夫(青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科教授)
防衛戦略研究会議
平成11年度報告書(概要)
平成12年4月
防衛庁防衛研究所
概要
平成11年度は4回の会議が開催されたが、本概要は各回の会議ごとの要約ではなく、1年間の会議全体を通じて議論された内容を重
要な論点ごとに整理したものである。
1 今後の紛争の様相
(1)紛争の主体
紛争の主体としては、国家、非国家主体(non-state actor)、文明圏、人種の4つが考えられるが、今後は非国家主体による紛争
が増大するものと考えられる。
このような非国家主体としては、エスニック・グループや宗教グループのみならず、中国沿岸地域で暗躍している蛇頭(スネークヘッ
ド)、ロシア・マフィアなど犯罪集団も含まれるようになるだろう。ただ、ボーダーレス化が進行する中で、国家主権が弱まって非国家
主体の影響力が強まってくるという側面は認められるものの、非国家主体を過大評価することはできない。国家と非国家主体とは対立し
合う関係にあるというより、むしろ非国家主体と国家が相互に利用しあっているのが現状である。
(2)紛争の要因
紛争の要因としては、価値観の相違、非合法な軍事政権やマフィアのような「強権勢力」の台頭、領土問題が挙げられるが、経済力の
格差や軍事力の格差も紛争を誘発する要因になる。特に今後、注意すべきは資源問題であり、エネルギーや水資源の逼迫が紛争の要因と
して重要になると見込まれる。
さらにグローバル化ないしボーダーレス化の進展はかえって紛争を誘発し、促進する要因になると考えられる。例えば、ボーダーレス
化が進展する中、非国家主体の活動の内容と性格は複雑になっており、われわれにとって、それを正確に認識することが困難になってい
る。インドネシアのアチェには独立運動を進めている武装勢力が存在するが、この勢力のサンクチュアリ(聖域)はマレーシアに存在
し、精鋭部隊はリビアで訓練を受けている。そのための資金は、アチェで栽培した麻薬の密売によって得られている。そのようなことが
可能になったのは、ボーダーレス時代の中でマネーが自由に移動するようになり、また武器や麻薬の密輸が容易になっていることが背景
にある。
また、情報のグローバル化に関しては、いわゆるCNN効果、すなわちCNNのようなメディアを通して流れた映像に対して、民意が
エモーショナルに反応し、政府の決定がそれに押し流されることによって、かえって事態の収拾がつかなくなる可能性があることに注意
しなければならない。
(3)紛争発生地域
今後、安定した先進民主主義国間で武力紛争が起こる可能性は低い。その論拠の一つとして、現在見られる第3次産業革命、すなわち
情報革命の性質が挙げられる。第1次産業革命はパックス・ブリタニカの基礎を培ったが、第2次産業革命は、その結果としてドイツ、
日本、ロシアなど、英米に対して挑戦しうるチャレンジャーが台頭し、国際システムの不安定化がもたらされた。一方、現在進行中の第
3次産業革命すなわち情報革命においては、技術開発力と経済力において卓越した先進工業諸国以外に競争力のあるものは出てこない。
そのことが先進国間の戦争の可能性を大きく低減させる背景になっているものと思われる。コソボ紛争などの例を見ると、今後、先進諸
国は、「ローグ・ステート(ならず者国家)」や「破綻国家」内の非国家主体を相手にする武力行使に関わることが多くなると思われ
る。
他方、発展途上地域においては武力紛争の多発が予想される。紛争の主体について地域による相違はあまりないものと考えられ、アジ
アにおいてもフィリピン、マレーシア、東チモール、アチェにおける事例のように非国家主体による紛争が多くなるものと予測される。
(4)紛争形態
今後の紛争形態としては、低強度紛争と中小国家間の通常戦争が主体となろう。なお、発展途上地域における武力紛争において、通常
兵器で決着がつかない場合に戦術核兵器が使われる可能性は否定できない。
今後の紛争は低強度紛争が中心になるとした場合、これに対処するには軍隊と警察のいずれの能力が適切かという問題が生じるであろ
う。すなわち近代国家が登場し、常備軍が創設されて以来、軍隊と警察の分化が進んできたが、今
後、この関係はどうなるのかという問
題である。
また、米国を中心に軍事技術の大きな変革が起こっているが、それによって味方の戦死をほとんどゼロにし、相手にも従前の戦争にお
けるような形で大打撃を与えるのではなく、選択的な打撃を与えることが可能になってきた。このような技術革新が進行していく中で、
今後、どのような戦闘が行われるのか注視しておく必要がある。NATOのコソボ介入は、このような不可逆的に進行する軍事技術革新
の過程で起こったものと考えられる。
ただし、このような選択的打撃の効果はアフリカ諸国のような国家を対象とした場合は弱いと考えられ、対象国の性格次第となろう。
非国家主体による紛争への対処にあたっては今後、警察活動(policing)と監視活動(surveillance)が重要になろう。例えば、マ
ラッカ海峡の海賊問題への対処は、軍事的な対処よりも警察的な対処になると思われるが、そこにおいては情報収集力が決定的に重要に
なろう。
2 コソボ紛争における人道的介入の国際法的評価
(1)国連憲章の位置付け
国連憲章は、それが制定された1945年6月時点の国際情勢の現実を反映したものであり、現在の国際情勢の実態とは必ずしも合って
いない。例えば、憲章第7章に規定されている強制行動は、これまで憲章の規定どおりに実施されたことは一度もないことをよく認識し
ておくべきである。とはいえ、国連憲章の法的な効力は確かに依然として続いている。したがってコソボ紛争に関しても、また今後紛争
が発生した場合にも、国連憲章に基づいて議論されることになろう。
(2)NATOの介入は国連憲章上、いかなる根拠を有するか
憲章第2条4項には武力不行使の原則が規定されている。また第53条に「いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、
地域的取極に基づいて又は地域的機関によってとられてはならない」と規定されており、地域的機関が独自の判断で強制行動をとること
はできないことが明確にされている。北大西洋条約機構(NATO)の介入について反対論が強いのは、このような規定が存在している
からであろう。
さらに、NATOは集団的自衛権を行使するための機構であり、安全保障理事会の承認を得て行動することを目的にして作られたもの
ではないとして、NATOは国連憲章で規定されている地域的機関にそもそも当たらないとする議論もある。その一方、現在の北大西洋
条約機構においても、第8章規定に基づいて強制行動が可能であるとする拡大解釈も以前からあり、コソボでのNATOの行動はこの解
釈に立脚しているものと見られる。とはいえ、安全保障理事会の承認がないことは確かに問題であり、この点から見ると、第8章をもっ
て今回のNATOの行動の根拠とすることは難しいだろう。
(3)人道を根拠にした介入の是非について
人道上の理由による介入については、18世紀から19世紀にかけてオスマントルコ支配下の東欧地域に対し、ヨーロッパ諸国がキリス
ト教徒を擁護するという名目で介入したことがあり、その国際法上の合法性を巡っては古くから議論されてきた。
国連憲章では内政不干渉の原則がとられているが、第39条によれば安全保障理事会が平和に対する脅威、平和の破壊あるいは侵略行
為の存在を認定した場合は、内政不干渉の原則にもかかわらず強制行動をとることができることになっている。換言すれば、他国の内政
に対して行動が起こせる根拠としては、平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為の三つしかない。しかしながら、国連憲章の規定とは
別に、人道法違反がなされたという理由で、国際的な行動がとられたケースがあることも厳然たる事実である。旧ユーゴスラビアにおけ
るジェノサイドを処罰する目的で国際刑事裁判所が設置されたが、安全保障理事会の権限の中に国際刑事裁判所を設置できるという規定
はどこにもない。ただ、人権は国連憲章に明記されていなくても特別の問題であるとの考えは説得力があるので、NATOがこのような
解釈に則って武力行使を行ったと考えることはできる。ただし、これが国際的な慣行として定着するかどうかは、今後の推移を見極める
必要がある。
国連は第2次世界大戦後、米国を中心とする戦勝国によってユニバーサルな国際機構として創設されたが、英国などは国際連盟におけ
る失敗の経験を受け、当初から地域的機構でなければ実効性は得られないと考えていた節がある。そのような考え方の延長として、世界
的なコンセンサスの得られている人道法に対する違反に対しては、NATOのような地域的国際機構が、ユニバーサルな国際機構(国
連)ではできないような強制行動をとるという方式が、今後、定着していく可能性がある。
3 今後の国際秩序の様相
(1)冷戦後の国際秩序
国際秩序の3要素として、power(力の構造)、justice(価値観)、peace(平和)があり、その上に立ってorder(秩序)が成り
立つと考えられる。冷戦後は米国を中心とする「一超数強」の力の構造が見られ、価値観については、民主主義、人権がキーワードにな
っている。
諸国家より構成され、国家の上位者が存在しないという意味においてアナーキーを本質とする国際関係において、厳密な意味での公的
権力は存在しないが、そのため、誰が正義を執行し平和を維持する公的権力の役割を果たすかが問題となる。いわば「王者」はいない
が、力のある誰かが「王者」の役割を果たさなくてはならない。しかし、力だけでは、その力のある者は単なる「覇者」に成り下がるこ
とになろう。
近年、わが国では「国際社会が○○する」と言うように「国際社会」を主語とする言い方が多くなり、積極的に「国際社会」を捉える
ようになったが、公的権力の役割を遂行する者が存在し、その者が秩序違反者を制裁する仕組みが「国際社会」であると言えよう。しか
し、実際にそのような「国際社会」が誰の目にも見えるような仕方で存在するかが問題となる。 力だけでは「王者」になりえず、こ
こに価値観の問題が出てくる。つまり、「国際社会」の名において違反者を制裁し、その根拠として世界的な共通の価値観の存在が問わ
れる。もし一つの共通の価値観がすべての者によって共有されるのであれば、インターナショナル・コミュニティとしての「国際社会」
は実在することになる。
(2)米国の戦略
「一超数強」の国際情勢の中にあって、今後の国際秩序の姿を考えるとき、もっとも重要なポイントは米国の動きである。米国は「王
者」の役割を果たしうるのか、それとも「覇者」に成り下がるのかを検討する必要がある。
力の構造の面で見たとき、米国の戦略の基本は「一超」としての自国の優越を
維持していくことであり、それを脅かす挑戦者の出現を
抑えることである。そのための戦略としてどのようなものがあるのかを優先順位別に示すと次のようになろう。
第1に国連常任理事国(P5)の分裂を避けることである。ここでもっとも重要なことが冷戦の旧敵国であるロシアと中国を取りこむ
ことであり、この観点から「関与(engagement)」や「統合(integration)」が重要になる。「一超数強」という力の構造において
は、米国に対抗しようとする国が登場しても不思議ではなく、中露の将来動向には注意を払う必要があろう。
第2に先進工業諸国(G7)の分裂を回避することである。第2次世界大戦の旧敵国である日独を同盟国として取りこんできたが、米
国としては今後もこの両国をつなぎとめておくことが重要になる。
第3に文明の衝突の回避である。ここで重要になるのが、大きな挑戦者となりうるイスラム原理主義にどう対応するかであるが、その
具体策は不明である。
第4に「南」の反乱・混乱への対応である。ここでは「破産国家」、「ローグ・ステート」が問題となる。そのための対応策として予
防外交やPKOを位置付けることができる。
第5に米国内の孤立主義的ナショナリズムの台頭を回避しつつ、米国の国是とも言える人権や民主主義を世界に訴えていくということ
である。
(3)「破綻国家」等への対応のあり方について
秩序違反者に対する対応の仕方として、基本的には2通りが考えられる。一つが「介入(intervention)」であり、「国際社会」の
名の下で、必要な場合には武力行使をも辞さずに介入することである。もう一つが「孤立化(strategy of isolation)」ないし「隔離
(strategy of quarantine)」である。あえて介入することなく秩序違反者を放置し、その代わり「国際社会」のメンバーであれば得
られる利益は得られないようにすることである。
中露の動向など現在の国際情勢に照らして考えると、今後とも長続きのする有効な対応の仕方は後者の「孤立化」ないし「隔離」では
ないかと考えられる。過去の「介入」の方法では、結果的に米国とその支援国は傷つくのではないか。
また、現在、「破綻国家」の問題、エスニック・クレンジング(民族浄化)の問題、民族自決をめぐる問題など、一国の内政上の問題
に由来するさまざまな問題が出来している。
これらの問題に直面すると、何かをしなければならないという雰囲気が登場し、しかもこれが先行するきらいがあるが、発生した問題
の処理のために、国家の持っている能力の限界を厳格に認識する必要もあろう。ある国家の内政に由来する問題に対して、他の諸国にど
のような対応ができるかを考えると、外からできることには限界があるのではないか。
基本的な考え方として、国内に問題がある国家はきちんとした国家になるよう誘導しなければならない。自己決定の能力のある国家が
形成されていなければ、国際社会はそのような国家が形成されるまで待つという忍耐が必要であろう。国家形成の問題は国民形成の問題
に関わってくるが、国際社会が外から国民を形成することは不可能である。国家形成の過程で、対立しあう国内勢力が拮抗し手詰まり状
態になったら、そのとき国際社会が支援を与えるという考え方が大事ではないだろうか。
4 米国の役割
(1)米国は「王者」か「覇者」か
現在、米国はその国是とも言える人権尊重や民主主義を世界各地域に拡大しようとしている。このような米国の意図が善意に基づくも
のであったとしても、「介入」方式を繰り返すと無理が重なり、かえって米国が傷つき挫折するのではないか。米国が自国の狭い利益を
無理に他に押しつけようとする「覇者」になりつつあるかどうかは、現時点では微妙である。そもそも米国のみが超大国である「一超数
強」の構造は、バランス・オブ・パワーの観点からすると、脆弱性を内包した力の構造であると言え、そこに「王者」たる米国の悩みが
あると言えるのではないか。
(2)ブッシュ政権とクリントン政権
冷戦終結を迎えた最初の米国の政権であるブッシュ政権には、超大国としての米国の置かれた立場と役割について健全な判断があった
ように思われる。冷戦終結後、唯一の超大国となった米国を他の西側諸国は警戒した。米国を牽制する国は存在しないので、対米協力を
一旦約束したならどこまで行くか分からないという不安感があったからである。ブッシュ政権は諸国の抱くそのような懸念をよく認識
し、湾岸戦争の際においても細心の注意を払って、連合(コアリッション)の形成を図り、シリアをも含めた26カ国よりなる多国籍軍
を編成した。しかも国連の権威を尊重し、バグダッドまで攻めることはしなかった。
かりにバグダッドを陥落させていたら、その時点で国連の権威は大きく損なわれたであろう。ブッシュ政権時代の米国は超大国となっ
た自国の難しい立場をよく認識し、国際社会や国連に対して十分な配慮を払うだけの見識を備えていた。
これに対してクリントン政権は経済問題で選出された大統領であるため、国際問題には強くないことは否めない。中国は米国の覇権主
義を批判するが、覇権を求めるということよりも、戦略がないというべきで、大失敗もすれば大成功もする。しかし、中国・台湾問題に
見られる如く、安全保障政策にブレが大きすぎ、これが国際社会に大きな問題を残している。現在、大統領選が進められているが、次期
大統領がいかなる人物かが注目される。
(3)日本の対米関係のあり方
日本は王者たる米国を支えるという役割を果たし、また米国が覇者にならないよう必要な場合には良き助言者として諫めるというのが
1つの理想的な形であろう。米国の同盟国であるイギリス、ドイツ、日本は、世界の安全保障に関する枠組みや戦略について、米国と積
極的な意見交換をし、場合によっては米国を牽制しうる国にならなくてはならないだろう。
しかし、日本の場合、米国優位の国際秩序が基本的に日本の国益に合致するとの立場から、秩序維持に大きく貢献してきたにもかかわ
らず、ナンバー2の立場にあることから、「王者」を補佐しようとしてもかえって米国に警戒されることがありうる。従って米国に意見
を言うのは実際には微妙かつ難しい営みとなるだろう。現に、米国においては、日本がナショナリスティックになって米国から離れつつ
あるといった論調も出てきている。日本が米国を支援し、必要な場合には意見が言えるような関係になるための条件を今後、研究する必
要がある。それは、日本が安全保障戦略について、日本自身が責任を負える具体的提案ができるような制度的インフラを構築すること、
戦略的なものの考え方を
するようになることである。
5 朝鮮半島の将来
(1)南北対立下の安定した国際関係の可能性
過去1世紀における朝鮮半島をめぐる国際関係を概観すると大きく4つの類型があった。
第1に、朝鮮王朝が中国の東洋的勢力圏の中にあるという時期があった。この東洋的勢力圏が崩れて、その後に、日本、ロシア、中国
(清)が朝鮮半島をめぐって争う時期が続いた。これが第2の不安定な勢力均衡の時期である。この日露中の非常に不安定な競合状態の
中で、日本だけが勝ち進み、ついには朝鮮半島を支配し、35年余りこれを植民地としてしまったのが第3の時期である。第4は冷戦期
であり、この時期には南北分断と東西対立が同時に存在していた。冷戦終結後の現在、東西対立は消滅したが、南北対立は依然として残
っている。
今後の朝鮮半島をめぐる国際関係を検討するとき、南北共存の下で完全均衡型の体系が考えられるかが問題になろう。19世紀末から
20世紀初めの不安定な勢力均衡と異なり、南北共存が介在することによってバランスのとれた国際関係が成立する可能性がある。かり
に南北が平和的に統一した場合、統一朝鮮が日米寄りになると予想されるので、中露はそれを嫌うはずである。現在、中露日米のいずれ
も金大中現大統領の太陽政策に反対しておらず、南北が共存し、それを周辺諸国が多角的安保体制で支えることが望ましいという点につ
いて、大きな意見の相違はないように思われる。それが中露両国の意図する現状維持であろう。
(2)統一朝鮮の展望
2020年時点の展望を考えた場合、2つのシナリオがある。1つが何らかの理由で北朝鮮が消滅するというシナリオである。もう1つ
が先にふれた、南北共存と周辺の国々との間の多角的安保が重なり合う形の国際体制が2020年までの間に形成されるというシナリオで
ある。しかし、南北分断が永久に続くわけはない。この意味において、結局、その先に見えるのは統一された朝鮮であろう。
現在、朝鮮半島の現状維持については、4ヶ国の間で一定の利害の一致が見られる。そのことから、半島の問題解決のためには、まず
多角的な安保体制を構築し、その後、囲い込みのような形で南北の対立を解決していくアプローチが有効であるものと考えられる。
統一朝鮮については、そのナショナリズムの帰趨が懸念されることがあるが、これはむしろ中国やロシアが警戒していることであり、
統一朝鮮と日本との間には共通点が多くなるものと見込まれる。政治体制と経済体制が共通であること。日韓ともに米国の同盟国であ
り、安全保障面での共通点が多いこと。文化面でも共通性が多いこと。現在の韓国と日本との間のこのような共通性の高さは、アジア太
平洋を広く見たとき、非常に例外的なことであり、そのことへの理解が急速に拡大している。 おそらく統一朝鮮は日米との関係が近
くなるであろうが、中露はそれを阻止することはできないだろう。中露の抱いている大きな警戒心を他の手段によって解いていく必要が
ある。
将来的には、日米と統一朝鮮との間で何らかの安全保障の枠組みを構築する政策課題が登場するであろうが、その場合、米軍の軍事プ
レゼンスのあり方が問題になる。1つのアイデアであるが、日韓交流の1つのテーマとして、米軍のプレゼンスをサポートするための統
一朝鮮・日本の共同ホストのような枠組みの可能性を議論することがあってもよいのではないか。
最近日韓の防衛交流が進展しつつあるが、中国と韓国の間でも国防相同士の交流が進んでおり、将来的には艦隊の相互訪問や海難救助
の共同訓練にまで拡大していくことが予想される。日韓の間でも可能なことはこれまで以上に積極的に進めていくことが望ましい。
6 東アジア地域秩序の展望
(1)地域秩序の構造
東アジア地域秩序の構造的特徴としては3点が挙げられる。第1にあくまで米国をナンバー1、日本をナンバー2とする地域秩序であ
る。第2に安全保障面においては、米国をハブとし、2国間条約ないし協定をスポークとする体制が築かれており、これによって米軍の
前方展開が保障され、日本は米国の主導によってこのシステムに統合されている。第3に経済面については、米国、日本、韓国・東南ア
ジアの三角交易の構造が基本にあり、その構造が拡大して、1980年代に中国が入ってきたことである。
(2)日本の行動の特徴と「東アジア」
以上のような地域秩序構造を前提にして、日本の東南アジア政策があるが、そこには3つの大きな特徴がある。第1に、日米同盟が基
本であり、日本は米国の要請に応えて応分の負担を行う。第2に日本の国益はマクロ経済的に定義されており、具体的には経済協力とい
う形で実施されている。第3にアジア主義が言われたとしても、国際主義ないし米国第1主義に従属するアジア主義であったことであ
る。
東南アジアとの関係において日本の行動の特徴は、常に行動の自由を拡大することを基本としていたことで、ヨーロッパにおいて見ら
れるような地域統合によって日本の行動が拘束されることは可能な限り回避し、後ろから押していく(leading from the back)よう
な形で国際環境の形成を図ってきた。つまり、日本は経済的、文化的交流によって、東南アジア諸国のインセンティブの構造すなわち国
益を定義する際のパラメーターを変え、行動の自由を確保しながら、日本が先頭になる雁行型の経済発展を進め、東南アジア地域をいわ
ば日本の裏庭にしていったということである。日本にとっては、ヨーロッパに見られるようなリージョナリズム(regionalism)に基
づく地域機構の構築よりも、事実上の地域化(regionalization)が重要であったと思われる。
1980年代後半に入って、日本政府が東南アジアを含める形で「東アジア」という言葉を用い始めたが、この「東アジア」という概念
はここで見たような意味での地域概念である。しかし、このような地域化は日本が米国のジュニア・パートナーであるから可能になった
のであり、日本を盟主として新しく地域秩序を形成する力は日本には備わっていない。この「東アジア」の中で中国をどのように位置付
けるかについては困難な問題が含まれている。
中国は東アジアの経済システムには入っているが、米国主導の安全保障システムには入っていないからである。この意味において、現
時点で中国は特異な存在であると言えよう。
(3)東アジア地域は実在するか
他方、別の角度から見ると、東アジアが1つのまとまりを備えた地域として実在することを疑わせる現実もある。すなわち、アジアに
おいては、ほとんどの国が米国を見ながら経済発展を図ろうとしている現実である。その典型が日本であり、外交・軍事を米国に
委ねつ
つ、米国市場依存の経済発展を行い、そして大きな成功を収めた。現在、中国も基本的にはこの路線に従い、政治問題を後回しにしてで
も経済発展に専念していると見ることもできる。米国市場に依存している限り、日本は地域のリーダーになることはできないし、他の諸
国も同様である。アセアンの発展や安全保障面におけるARF(アセアン地域フォーラム)の試みなど、域内諸国の対話と交流が多くな
っていることは確かであるが、地域としてのまとまりがあるヨーロッパや北米と比較すると、アジアは依然として1つの地域としてのま
とまりがあるとは必ずしも言えないのではないか。
(4)アジア通貨危機の影響
アジア通貨危機が引き起こした問題のうち、深刻な問題は日本を先頭とする雁行型の経済発展、それによる東アジアの地域化の進展が
頓挫する可能性があるということである。
ベトナム、カンボジア、ラオスはアセアンに加盟したばかりであるが、これらの国々は東アジアの地域秩序に参加することによって経
済発展が可能になると期待したのであろうが、経済危機によってその期待が裏切られたと考える可能性がある。
さらに、この地域内の国民国家の形成に支障をきたす可能性がある。経済危機を契機に、開発独裁が歴史的な終焉を迎えた。しかし、
開発独裁が終焉したからといって、その後、健全な民主化の方向に向かっているわけではない。長期にわたった開発独裁は人々の国家に
対する信任を崩したものと思われるが、開発独裁が終焉しても、ただちに国家に対する信任が回復されるわけではない。東南アジアにお
いては、複合社会の国が多く、人々が1つの国民としてまとまりうるほど均質なものにはなっていない。例えば、韓国においては、かり
に国家への信頼が崩れたとしても、それを補完しうるだけのソーシャル・ソリダリティ(social solidarity)が存在するが、多くの東
南アジア諸国においては、ソーシャル・ソリダリティが希薄であり、そのようなところで、人々の国家に対する信任が喪失したら、国民
国家形成に大きな支障が生じる可能性がある。
これらの問題への対処には、東南アジア諸国の政治的安定とともに経済発展の目途を立てることが必要となる。そのためには人作りが
重要であろう。また、これまで中央集権的な上からの国家建設で失敗したのであるから、権力分散型の国家建設を考える必要があり、そ
のための制度作りの問題が重要となる。さらに、それらの諸国の経済を引っ張りあげていくメカニズムを作り上げていかないと、アジア
の地域秩序は長期的にみるとかなり不安定化していく可能性がある。