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『ロルティ伍長の犯罪 父を論じる』
ピエール・ルジャンドル著
西谷修訳・解説
人文書院1998 \2800 ISBN4-409-03053-1
一九八四年五月八日、カナダ・ケベック州の国民議会堂に、自動小銃で武装した
軍服の男が乱入した。男は居合わせた人びとに発砲して議場に向かったが、ちょ
うどそのとき議会は開かれておらず、議場は空っぽだった。そこで男は議長席に
陣取り、投降を呼びかける放送に向かって乱射を繰り返すなどしたが、議会の警
備にあたっていたある退役軍人の説得に応じ、話合いのためにと外に誘い出され
たところを逮捕された。
三人の死者と八人の負傷者を出したこの事件の犯人は、ドゥニ・ロルティという
現役の陸軍伍長だった。妻と幼い二人の子供がいる。
ロルティはある放送局に犯行声明を送っており、そのなかでケベック州政府を弾
劾していたため、マスコミの一部は事件を政治的テロとして伝えたが、警察の尋
問でロルティは、犯行動機に触れて「ケベック政府は親父の顔をしていた」と述
べた。そのときから事件は一転、精神異常者による狂気の犯行という色合を帯
び、裁判ではその責任能力の有無が大きな争点となった。ふつうならかれの行為
は重罪に値するところだが、責任能力なしということになれば、かれは「罪」を
問われるのではなく「病人」としてそれなりの措置を受けることになる。そこに
「精神鑑定」が介入する。
ところが、裁判は意外な展開になった。この事件は舞台となった場所が場所だっ
たため、議会中継用のビデオカメラが犯行時の様子の一部始終を録画していた。
そのビデオが証拠として法廷に提出され、被告の前で上映されたのだが、それを
見たロルティは荘然自失し、泣き崩れて法廷を飛び出した。休廷の後に再開され
た法廷でロルティは人が変わったようになり、自分の責任能力を要求しだしたの
である。
何が起こったのか?自分の犯行場面のビデオを見ることで、はじめて行為の意味
に目覚めたロルティに、はたして責任能力を認めることができるのか。それに、
犯罪が成立するには加害の意図が必要だが、ロルティの意図は「政府を殺すこ
と」である。ところがかれは、無関係な人びとの殺人と傷害のために起訴されて
いる。これを法廷はどう裁くことができるのか。
法制史学者であると同時に精神分析家でもある本書の著者ピエール・ルジャンド
ルは、この特異な事件に大きな関心を寄せ、被告の弁護人ラロシェル師と接触し
て、責任能力の不在を主張して免訴を求めるのではなく、被告の限定的な責任能
力を認めてそのうえで有利な判決を導くようにと、つまりは有罪判決へと導くの
が、被告にとっても社会にとっても望ましいことだと助言した。その背景には、
高度な産業主義的社会における規範システムの現状と裁判の役割、そしてそれと
不可分とみなされた主体形成の制度性に関する、著者積年の研究に培われた論理
と見通しがある。この本は「父殺し」としての国会襲撃という「狂気の犯罪」の
裁判を機会に、著者独自の「人類学的」観点から、規範システムと社会的主体形
成との関係、そして広くは「制度的なもの」の構造と意味とを、豊富な学識と強
靭な思考で洗い出しつつ、進行中の裁判への貢献を念頭に置きながら、「殺人と
は何か」、「父とは何かしという問いを、人間存在における制度性の根本から論
じたきわめて独創的な仕事である。
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という訳でこの本,今日的犯罪を読み解くうえで極めてアクチュアルな参考書と
なりうるとおもいます。
おそらく来月あたりの論壇雑誌で,西谷氏はじめ何人かの論客がこの本を参照して
いろいろ語ると思います。ので,早めに予習しとこう。
が,なっかなか狭き門ですこれヽ(´ー`)ノ。なにっしろ超難解。「父を論ず」と
書いてあるけど,そういう題名から予想されそうなエディプス物語の話なんかより
はるかにに難しいの。まあ,だからこそ読むに値するんですが。
西谷修氏の「解説」をよんでから本文に取りかからないと分からないです。
というわけで訳者西谷修氏の「解説」を用意しときました
http://members.tripod.co.jp/postx/bed/LORTIE.pdf
二次的転載はお控えください。
ホームページ容量の関係上週末までしか置けませんあしからず。
この解説を読めば分かる通り,西谷氏は完全にオウム事件・神戸事件以後の日本の
情況を射程に入れて論じてます。