マック医学博士のUFO誘拐体験に関する見解

 
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投稿者 SP' 日時 2000 年 6 月 30 日 20:06:27:

『UFO誘拐事件の真相−−MITからの報告(上)』(C・D・B・ブライアン著、日暮雅通訳、中央公論新社)より。


「異星人による誘拐体験を公表した人物、およびその関連現象については、様々な人たちが研究していますが、そうした研究成果における共通点と相違点を検証するため、私たちは科学会議を企画しました」
 一九九二年二月二十八日付の手紙は、そんな書き出しで始まっていた。「この会議の特徴の一つは、広範な層から選ばれた誘拐体験者たちがパネリストをつとめることです。もし非常に興味深い、または多面性のある誘拐体験をもった、はっきりとした発言のできる思慮深い方を調査したことがありましたら、その名前と住所、推薦理由を簡単に記してお送り下さい」。
 会議は六月十三日から十七日までの五日間、マサチューセッツ工科大学(MIT)で開かれ、MITの物理学者デイヴィッド・プリチャードとハーバード大学の精神科医ジョン・E・マック医学博士が共同議長をつとめると書かれてあった。手紙の返信先は、MIT物理学科のプリチャードの研究室。ハーバード大学の博士号取得者で五十一歳になるプリチャード教授は、一九六八年からMITで原子物理学と分子物理学を教え、研究してきた人物だ。彼は一九九一年に、原子物理、分子物理、または光物理の分野で際立った成果をあげた研究に対し二年ごとに与えられる、ブロイダ賞を受賞している。
 プリチャードと共同議長をつとめる六十三歳のジョン・E・マックは、ハーバード大学医学部を優等で卒業し、同学部にあるケンブリッジ病院の精神科の主任をつとめた人物。この二十年間は医学部で精神医学の教授をしているが、「核時代の心理学研究センター」を創設した所長で、自殺の研究でも認められている。また、核兵器開発競争が子どもや思春期の青少年に与える心理的影響について、議会で証言したこともある。精神医学をはじめとする学術誌や教科書そのほかに百五十以上の科学論文を発表しているほか、一九七七年にはアラビアのロレンスの伝記でピュリッツァー賞を受賞している。

“小さな緑色の男たち”に誘拐された体験を公表した人たちについての「科学会議」など、相手にするべきでないと思うのが当然かもしれない。実際、主催している人たちに肩書きがなく、『ホール・アース・カタログ』の編集発行人として知られるスチュアート・ブランドが「科学技術の総本山」と呼んだMITが開催地でなかったら、まるで相手にされなかっただろう。ただ、UFOに関する予備知識もなければお互いのことも知らない何百という人たちが、みな一様に、誘拐されてUFO内で異星人に検診を受けたという途方もない話をためらいながらもおずおずとするさまは、妙に信憑性があった。その異星人たちというのは、“小さな緑色の男たち”でなく、たいていは細長い脚で身長百五から百三十五センチ。テレパシーをもち、思わずつり込まれるような涙形の黒い目をしており、その目が非常に広い額の大部分をしめた、灰色の生き物だったという。誘拐体験者たちの話が細部において共通しているところに、真の謎があった。つまり、ジョン・マックがこの誘拐研究会議で問いかけたように、「この誘拐体験者たちが自分たちの身に起きたと言ってることが、もし本当に起きたのでないとしたら、一体何が起こったのか?」という謎である。(p13-14)


以下同下巻より。


 MIT会議の主催者の一人、ハーバード大学のジョン・E・マック医学博士は、最終日の報告を聞き終えるとその足ですぐケンブリッジ市からチェコスロヴァキアへと飛んだ。同時期にプラハで開かれていた国際トランス・パーソナル協会会議で「UFO現象:人間の意識の拡大から見たその意義とは?」という論文を発表するためだった。そのため、私はインタビューの約束を彼の帰国後に取り付けた。MIT会議が終了してから一ヵ月近くたっていた。(p43)

 人間のもつ自然をコントロールしたがる破壊的性格は、マックがプラハで発表した論文のテーマだった。彼は論文の中でこの要求の心理的作用は二元論的思考と物質主義という、人間の知性の二つの面からきていると示唆した。二元論的思考とは、世界を善と悪、黒と白というように、両極端に考えることだとマックは述べていた。そして、二元論的思考に見られる特質はその分離の仕方の両極性にあるということだった。「我々は、この分離という意識を、人間を含んだ自然から我々を全く切り離して考えるようにしてしまったのです。この極端な分離の結果が自然を搾取し、また目的達成のためなら地球を利用し、破壊する権利があるとすることです。同じように平気に大量殺戮をするほど人間同士からも離れてしまいました。他者を自分の一部と考えなくなってしまったのです」。
 物質主義者の立場には二つの側面があるとマックは述べた。物質的側面と精神的側面だった。「しかし、本当に受け入れられている現実とは、手の触れることが可能なもの、物理的物質の物です。精神世界ははるか彼方にあって、主観では感じることはできても、物理的現実のように実在しているものではないのです」。
 マックは「黒死病や、その他の病に対する無力感、あるいは自然界に対する恐怖心から生まれた征服欲と支配欲」が西洋における哲学として「二元論と物質主義を極端に発達させ、誇張する」ことになったという仮説を立てていた。またこの世界観は「地球における生命体のサバイバル原則と矛盾してしまった」とマックは主張していた。
 プラハでマックはこういった世界観を「種の傲慢、または途方もないうぬぼれ」と評し、その結果として「我々は全く今までとは別の状況に遭遇している。新しい心理学を、そしてその認識論を感覚的で、実証主義的な技法に頼らない新しい科学を必要としている」と述べた。
「我々は、内面的自然を含む、自然というものとの関係を失ってしまいました。同時に自然との深いつながりという意味があるいわゆる聖なる物に対する感覚を失ってしまったのです。つまり自然界を神の最高の創造物として敬うことをです」(p44-45)

 私は七月十六日の木曜日に、ボストン郊外にある彼の自宅でインタビューを行った。そこで私は彼と同じく会議の主催者をつとめたデイヴ・プリチャードとも会ったことを述べた。アメリカ国内における誘拐体験者の人数は、最も控えめな数字で九十万人前後だと彼が言ったことを持ち出したのだ。私はマック自身どれだけの人数がいると思っているのか尋ねてみた。
 マックは、プリチャードと同じようにジョン・ミラー博士が会議で「外被疫学」と題する発表の中で使ったデータに触れてから、今のところこれをしのぐものはないと述べた。しかし、彼自身は控えめな数値を出すほうがいいと考えていると述べた。また「方法次第では、数十万から三百万人以上の差が見積もりに出てくること」も指摘した。だが、「心理的作用を念頭に置いておく必要がある」ということも強調した。
「アンケートのある時点までくると、『いいえ、私は誘拐体験者ではありません』と答えたために調査の対象から外される人たちのケースがあります。するとその後 でインタビューがきっかけとなって記憶がふとよみがえったり、何かを見たり記事を読んだりした拍子に思い出すことがあるのです。ラジオやテレビで私やバッド・ホプキンズやほかの関係者が話しているのを聞いているうちに、『そうだ、自分にも同じことがあったぞ!』ということになるのです。ですからこういうケースは次回のアンケート調査で『ノー』から『イエス』の項目へ移ることになります」
 プラハでマックは「アメリカだけでも数十万人から百万人以上の誘拐体験者がいる可能性がある」と発言した。ということは、つまり最低でも数十万人の誘拐体験者がアメリカにいると言っていることになるがとマックに聞いてみた。
「そのとおりです。ただし、統計学上どういう判断を下したらいいのかはわかりませんが」とマックは答えた。「この現象には、あらゆる直線思考をあざ笑うような傾向があります」。しばらく黙り込んでから続けた。「心理学者として、またはさらに人間の意識を見つめる立場にいるものとして私が引き付けられる点に、この現象が今までのすべての認識論的カテゴリーを粉砕する力を所有していることがあります。
 例えば、『本当か嘘か?』あるいは、『物理的世界の中では本当なのか?』といった疑問を例に取ってみましょう。UFOによる誘拐現象という立場からの答えはいつも『そのいずれでもない』ということになります。答えに差が生じるのです。時にはそれぞれ独立した目撃者が同じものを目撃するといった、ホプキンズ=リンダ・コータイル事件のように、はっきりとした輪郭をもって我々の物理的世界に現われてきます。こういうケースでは、実際に起きたことが論理の上ではなく、直接的な観察と実際の体験を踏まえた主観的で経験的な知の基準を満たしています。そうでない場合は得られた知識がとても危うい。誘拐中に当事者の姿が消えていることを目撃したケースもあります。例えば、私の患者の一人の誘拐体験者の場合、八歳になる娘が何かいやな感じがして明け方の四時か五時ごろに目を覚ましました。子どもは何かいやなことが自分の身に起きたように感じたわけです。起き上がって寝室へ母親を探しにいくと、母親の姿が見えない。父親はいるのに、布団の中に母親がいないのです。母親の話では、子どもが自分を探しにきた時刻と誘拐されていた時刻は同じだったそうです。つまりこれは肉体遊離でなくて実際に家の外に連れていかれたということなのです!」。
 マックはさらに続けた。「あるいは、ただ宇宙人たちが身近にいるという感じがするだけの場合もあります。誘拐されているという行為のエネルギーだけを感じる場合です。ちゃんとその場にいることを確認する目撃者が同席していながらですよ。一つ言えるとしたら、観察する立場にいる目撃者自身が、その人物が意識を消されているためにそこにいるような気がしているのかもしれないということです。つまり、その目撃者の意識が部分的に消滅しているため、本当はその場にいなくてもいるように見えてしまうということです。こういうあやふやな点が残ります。こういう誘拐例としては、キース・バスターフィールドが会議で発表した、モーリーン・パディというオーストラリア人女性のケースがあります。彼女はメルボルンから来た二人のUFO研究者と一緒に自分の車にいる最中に『気を失い』、再び意識が戻ってからその間に見知らぬ乗り物に連れていかれたと説明しました。相手はまず外から車の中の彼女に向かって合図をして、乗り物の中の窓も扉もない円形の部屋に彼女と一緒にいたというのです。
 物理的証拠という分野は、研究者だけでなく、懐疑論者も含めた関係者全員にとって落とし穴に陥りやすい分野なのです。精神科医としての私の立場では、物理界に起きた物理現象に対して主張することは専門外に属します。つまり、私にとって物理的証拠とは、何かを裏付けてくれるものなのです。もし誰かが目覚めた後、または誘拐を体験した後に生傷、くぼみ、流血、鼻血、その他の肉体的症状があったとします。その場合は私も物理世界と密着して暮らしている一個人として、現象に真実味を感じることができます。けれども、こういう確証事実は私がこの研究に対して貢献できる主な分野ではありません。こういう証拠は、この現象が物理界にインパクトを与えることもできるという確証にはなります。そして西洋科学の主流においてはこういう物理的証拠こそ論議の対象となるのですが、私個人の主張はそういったものとは別の分野にあるのです」。
「しかし、この確かな物理的証拠の欠如こそ現象の根拠のなさを問う争点となっているのではないのですか?」と私は尋ねた。
「もし議論を吹っかけられるとしたらおそらくこの点が問題になるでしょうね」とマックもうなずいた。「しかし、現時点において、私がこういう議論に応じるのは馬鹿げています。なぜなら、研究者たちがいくらかの肉体的証拠を出しながら体験の実際的レベルとその影響というレベルで問題を論じているところに、公認の審判者と名乗る人物が乗り込んできて、西洋物理科学における最大限のものさしで見ると、いかにしてUFOが顕著な物理的証拠に欠けているかという基準だけで論議を唱えるのですから。こういう議論こそ、体験的側面の複雑さと衝撃性、そして心理学や心理社会学的な立場から見て説明不可能な特徴を全く無視するものなのです。会議が終わりに差しかかったころ、ポール・ホロヴィッツがUFOからタバコのライターがポトリと降ってこない限りその存在は信じないと言ったのをあなたも聞いたでしょう」。マックは皮肉な微笑みを浮かべた。「もちろん気の利いた答えは、宇宙人たちは数十万年前にタバコをやめていたからだよととっさに言うことでした。しかし、誰もそんなに素早く反応する余裕を持ち合わせてはおらず、発言自体を深く受け止めている様子でもありませんでした。しかし、こういった物理的レベルの議論が現象そのものの衝撃度を無視していることになるのです」。
 私は、確固たる物理的証拠の要求は、この際関係ないという意味なのかどうか聞いてみた。
「関係がないのではありません。確認するもの、裏付けるもの、確証的なものと言っているのです。無関係だとは言えません。とても重要なものです。もしバッド・ホプキンズやデイヴ・プリチャードのような人、あるいは単に傷の病理学的側面を研究している人が、西洋医療や治療法では見られないやり方で傷が治っていくのを証明できたらすごいことです。また、彼らのような研究者には、そういうことをやり遂げる能力もあります。しかし、私の専門分野は違うところにあります。もし誰かが『誘拐後にこの小さい傷痕が見つかったからと言って、どうして誘拐のせいにできるのですか』と言ってきたら、私はお手上げです。しかし、その背後にまつわる関連事実というものがあります。事件のそのまた翌日というやつです。誰かが目を覚ましてから『こんな傷は前にはなかったぞ。これはあの後できたものだ……』と言うとします」。マックはいったん口をつぐんでから話を続けた。「身近な例を紹介しましょう。ある男が誘拐体験後、目を覚ましてみると足に四インチ大の傷痕を見つけました。骨ま で届く深さの傷です。医者に行こうと思っている間に、その傷が夕方には治ってしまうのです。彼の話ではですよ。もちろん誰かが『そいつは嘘をついている』と言うことは可能です。そして、それが嘘かどうかを見極めるのが私の仕事なのです! 私は今まで三十六年間精神科医として仕事をしてきました。専門は精神法医学です。誰かが私をかつごうとしていたり、嘘をついていたり、別の動機を隠していたり、事実を歪曲しているのを調べるのが私の専門です。精神状態の識別が私の専門分野なのです。私にとって、誘拐体験者たちが自己拡大のために体験事実を歪めたり、嘘をついたりする動機があるとはとても思えません」。マックは肩をすぼめると、「もちろん間違っているとも言えないことはありません。自分の身に起きたことを誤解しているということは……」。しかし、顔の表情から見るに、そう言った疑問の余地はありえないと考えている様子がありありと見て取れた。
「そもそも、この現象をまじめに考えるきっかけとなったのは何だったのですか? 例えばある……」と、私が言い終わらないうちにマックは口をはさんできた。
「これまでいくつものケースで、『おずおずとした』人たちを何度も目の当たりにしてきました。この『おずおずとした』というのは性格的特徴ではなしに、体験談を報告することに対して躊躇しているという意味ですよ。そういう人たちが、『ためらいながら』表に出てくる。この『ためらいながら』というのは、彼ら自身何が起きたのかという事実に対してやっぱり正直でありたいというある種の誠実さを抱いているからです。また、いまだに悩まされ続けている何かがこの体験の中に埋もれているのではないのだろうかという懸念につきうごかされているからです。だから勇気を振り絞って誰かに話しにやってくるところまでこぎつけられるのです」
「私のところには、バッドなんかと比べて、より助けを求めにくい立場にいる人が来ます。おそらくバッドが証拠を重視している複雑な事情からきているものだと思います。逆説的に言えば、こういうケースの場合、当事者は精神科医を訪ねたがりません。精神異常というレッテルを貼られたくないからです。私のところには、逆に精神異常ですよと言われたい人々がかなりの数で訪れます。例えば、会議中に話した大学のある管理者の例です。私は彼の話にじっと耳を傾けました。相手は私が真剣なのを見て取ると、異常者扱いされないということにだんだんと不安を覚え始めてきたのです。診察が終わる間際になって、彼は『ああ先生。気が狂っていると言ってくれると思っていましたよ。これでは起きたことが事実だと認めるしかなくなります。それが恐ろしいのです。どうやって対応したらいいのか全くわかりません! どうなっているのかさっぱりです!』と言いました」
「私にとって一番印象深いのは、当事者の本物らしい様子です」とマックは続けた。
「真実味あふれる話し方や、当事者同士が顔見知りでない確率……」。いったん言葉を区切ると、ここ一年の間に白熱してきたマスコミの誘拐現象に対する報道のせいで、以前よりは互いの存在を知らない可能性が薄れてきたことを指摘した。しかし、逆にマスコミが注目する以前から同じような体験をした他人の存在を知らない当事者たちが、互いに似通った報告をしていたことを否定できないことも同じように指摘した。マックは、「こうした一連の報告が、周辺に漂っている文化現象の残りかすから組み立てられたとは全く考えにくいのです」と言った。「そういった性格のものではありません」。
「体験者たちの性格がものをいうのです」とマックは話を続けた。「今まで三十六年間ずっと精神科医の道を歩んできたわけですが、この人たちから学んだようなことは普通の現場ではありませんでした。これが私にとって一番重要なことです。それ以外はごくごく普通で、とくに目立った特徴がない人たちが、自分たち自身信じられない話を、大まじめに真実味あふれる調子で語るのです。現実感覚に優れている人たちが、体験談のことを私に促されると、彼らは『先生、この出来事が嘘だったらいいのにと思います。信じなくてもいいようになりたいのです。さもないと、私は今までのすべての考え方を否定しなければなりません』と言うのです」。(p46-52)

 マックは、催眠療法中に患者が思い出すことのある、強い感情的反応を伴った記憶について説明した。「再体験の段階に近づくと患者は文字どおり恐怖の叫び声を発して、全身を震わす」そうだ。彼が強調するところによると、「実際に彼らの身に起きた事実を再体験しているのではない限り」は臨床上こういった類の反応を示すことはありえないそうだ。「私が知っている限りではあのような感情を引き起こし、表現するに至る状況はほかにはありえません。残されているのは、『一体どういうことをされたのか?』という疑問です」。
 つまり、第二の点は、当事者たちの記憶が強い感情を伴っており、それがトラウマの暗示となっていることだった。マックは、この強い反応をして、トラウマの原因は一体何か? と首をかしげているのだった。
 マックは、ありとあらゆる可能性を検討してみたことを話してくれた。何か別の次元のトラウマでもあるのだろうか? レイプは? 戦争経験の再体験か? 幼児期に虐待されたのだろうか? 今まで抑圧されていた子ども時代のひどい身体的損傷があるのだろうか? 絞め殺されかけたのだろうか? 乳児のとき、父親か母親のどちらかに殺されかかったことは? 「肉体的特徴を帯びたあらゆるトラウマの可能性を考えてみるのです。私が今までに調べた例では、いや、把握している限りでは、バッド、デイヴ、ジョン・カーペンター、私の場合を考えてみても、このような感情的反応の陰に潜んでいる別のトラウマ、または一連のトラウマを突き止めた人はいません」。(p53-54)

「物理的な現われは」と彼は続ける。「自分の体験が現実のものだと信じたくない誘拐体験者を時におびえさせ、また時には自分が正気なのだと元気づけるものとなる」。
 物理的に現われるということは、鼻血、生々しい切り傷、あるいは窪みのような跡が、消えた時間後に意識を取り戻したとき、あるいは目覚めたときにできていることだと会議では言われていた。ベッドの中で逆さまになって寝ていたり、掛け布団の上に寝ていたり、別の部屋か、家の外にいることを意味している。体験者たちは、部分的か、時にはきちんと服を身につけていたり、衣類が消えてなくなっていたり、ていねいにたたんであったり、ごくまれのケースでは他人の服を着ていることに驚くのである。よくある物理的証拠とは、運転中に一瞬の間に今までいた場所から何マイルも離れた場所にいることに気がつくような、キャロルのケースである。
 マックにとって一番「気にかかる、得体の知れない」物理的な症状とは、胎児の除去が出てくる報告であった。マックとジョン・ミラーが述べたように、胎児の除去というケースはいくつも報告されているにもかかわらず、ただの一つも記録として残っていないのだ。
 注目すべき六つ目の点は、大半の誘拐事件において UFOがからんでいる事実が見られることである。当事者が誘拐されている間、その周辺地域では同じくUFOが目撃されているのである。目撃者は、知人の場合もあるし、他人の場合もある(後者の例は、リンダ・コータイルがマンハッタンの十二階にある自宅から空に待機していたUFOへ連れ去られていくときに、有力政治家、彼のボディーガード二人、ブルックリン橋をちょうどそのとき渡っていた年配の女性一人に目撃されたケースである)。端的に言えば、マックが本の中で述べたように、「多くの誘拐事件が当事者並びに第三者によるUFOの目撃を意味していないのにもかかわらず、UFOと遭遇することと誘拐事件との密接な関係が見られることが注目すべき点」なのであった。
 七番目で、おそらくこの誘拐現象の最も強烈で不可解な特徴は、ごくごく小さい子どもにも誘拐の手が伸びていることである。最年少は二歳児であった。こういう子どもたちは、知っている限りの言葉を使って、小さな男に窓から連れ去られたり、何かを入れられたり、鼻を「かじられ」たりしたことを説明しようとする。「小さな子どもたちはマスコミの報道や、家庭内の話題、友だち、あるいは同年代の子どもたちの話題にさらされている確率が低いため、幼児を対象とした誘拐は、特に科学的興味をそそるものではないか」とマックは著書の中で触れている。(p58-59)

「私の知っている限りでは、懐疑的で疑問を抱いている人の中には誰もこのことについて何か別の、もっと通常的な観点からこの事件を説き明かすことができるような人はいないのです」とマックは説明した。「私はどこで、どういう状況でこのことについて発表するかということにとても注意を払ってきました。私自身、かなりの数のケースを把握するまで公表しませんでしたから。あなたが指摘したように、自分自身で『これは何かあるぞ!』と思うまでは黙っていたのです」。
「私はこれが地球外のものであるとは言っていません。繰り返して言いますが、もしそうならばこの分類法自体に疑問が生じるからです。『地球外』ということは、我々が知っている限りの物理的世界に存在していることになるのです。単に、この惑星からでなくて、別の惑星から来たというだけのことです。そこに実際に存在しているということになるのです。はたして我々が知っている物理的世界の価値観で形付けをすることが役に立つかどうかは不明です」
「私はこの件について語るとき、言葉遣いに注意を払います。私の口からでは、単に我々の世界に強く、はっきりとした物理的輪郭をもって現われ、人々に衝撃を与えるものだとしか言えません。原因がわからないのです。根本がわからない。理解しようがないのです」
「人は、『時空を超えた次元から来ているのでは』と言います。あるいは、『宇宙を飛び回れるような物理学を、どういう形でか発達させた』というのです。もし我々が知っている範囲での物理的宇宙内のどこかの星に実際に存在しているとしたらの話ですよ。しかし私はこれについて話す資格はもっていません。今までやってきて唯一確信がもてるのは、あなたが指摘したように、私の手元にある資料が今まで自分が現実だと教え込まれてきた物理的世界以外のところで何かが誘拐体験者たちを強く揺さぶっていると告げていることだけです。つまり、この現象は、私自身にとって何が現実で何が現実でないかという考えを押し広げているのです」と、マックは背もたれに寄りかかりながら話した。
 私は、同じ精神科医で、反論を唱えている人たちは一体どのような精神病を原因の一つとして説明しているのかを尋ねてみた。
「精神科医ですか? 主な主張は、これはディソシエーション(意識・人格の解離)から来ているというものです。この意識の解離というのは、精神医学の文献で広く幅を利かせているテーマです。この論を唱える精神科医が見落としている点は、(a)トラウマの原因、(b)単に昔ながらの順応機能としての意識の分裂が及ぼす心理的内容です」
「意識の解離というのは、一種の自己防衛手段です」とマックは説明した。「つまり、何かがあなたの身に起きたとします」と言うと、前かがみになって胸の前で両手で握りこぶしをつくった。「誰かに何かをされたせいでショックを受けるとします。レイプや性的暴行を受けたショックから立ち直れないとする。この経験が精神面に及ぼした不安、恐怖心、怒り、そして圧倒的な精神的外傷に耐えることができないとします。そして、これを自己破壊的で分裂的なひどいこととして受け止めるよりは、むしろ、意識の解離が生じるのです。その中身がどこか別の場所に追いやられます」。マックは右手でその中身を押しやるふりをした。「これで意識の解離ができました」。
「頭の中では、部分的にこのトラウマと呼応した反応が起きます。当事者独自の回避機能によって、正当化、追放、無視、抑圧がなされるのです。つまり、この部分で」と言うと、マックは、今度は右手で握りこぶしをつくり、「後からきた精神的なものが」と言うと、左手を体の正面で開き、「自分の生活をできる限り続けることができるように自由にさせてくれるのです」と続けた。
「しかし、ときどき緊張感、悪夢、対人問題、何かかき乱されるような想像によって隠された部分が剥き出しにされる場合があります。いわばそれは、自分が許容できないものに対応する意識の分裂の結果なのです。人と交流する際に、相手にこの閉鎖された戸棚をこじ開ける権限を与えてみて」と言うと、マックは右手を開き、「何か新しいものが見つかるかどうか自分で覗いてみるのです」と言った。
「機能自体を理解することと、意識の解離が体験の内容をでっちあげる機能そのものだということは全く別の話です。つまり、誘拐現象を意識の解離につなげて考えることは、実際より大きい飛躍をしてしまうことになります」
「もう一度、精神を形成している二つの側面に話を戻しましょう」。マックはそう言うと、左右の手のひらを上向きにして、体の前にもってきた。左手で重量を確かめるように上下させると、「現在の部分」と言い、同じしぐさを右手ですると、「意識の解離が起こった部分」と述べた。「今の状態を表わす部分には、おぼろげな記憶、恐怖心、悪夢、そして関連性が深い象徴的内容があります」と言うと右手を一瞥し、「しかし、全記憶としては残っていません。それが解離作用なのです。断片や夢、動揺、不安、その他の症状が表われるだけです。肉体に何か症状が出てきたり、トラウマの原因が病院だったとしたら、病院に行くことに対する恐怖心が出てきたりします。それがトラウマを意識の外に追い出してしまう意識の分離作用です」。
 マックは再び右手に目をやった。「治療を受け、埋もれている部分を剥き出しにすると、多少の歪曲を含んだ実際の記憶の把握に少しずつ少しずつ近づいていきます。実際にレイプした男の代わりに、夢の中にはお化けが出てきたりするのです。そして、実際に何が起きたかという記憶が戻らないとしても、トラウマの様々なバージョンがちょっとずつ浮かび上がってきます。誰かに絞め殺されそうになったと言ったり、子ども時代に受 けた手術の思い出などが出てくるのです。しかし、完全にでたらめで複雑きわまりないのにはっきりと説明することのできる高度な物語が、実際に起きたこととは無関係に、意識の解離によって創作されたとする研究は私自身知りません! 意識の解離とは、構造的な用語でしかありえません。内容自体を指す用語ではないのです。とすると、物語の創作機能を意識の解離作用に加えるしかありえなくなってきます」。
 私が話についてきているかどうかを確かめるためにいったん話を区切ると、再び説明に戻った。
「誘拐体験者たちには、確かに意識の解離作用が見られます。つまり、実際に目で確かめられる症状があるのです。私が非日常的な意識状態を使って、一般にいわれている記憶というものを掘り起こさねばならないということはすでに意識が解離しているということなんです。そうでないと、今私たちがしているように、話の中で記憶をたどることができますからね。ですから、拒否された記憶とともに、彼らの埋もれている内面層を取り戻すという、記憶の中心部に到達できるような何らかの手段を使う必要があるということは、彼らの意識が解離作用に侵されているというだけでなく、何かが実際に起きたからその反応として解離してしまったという意味があるのです! 何が起きたのかということの説明ではないので、謎は未解決のままです。一体記憶を拒否するはめに至った原因は何だったのでしょう?」(p63-66)

『準備レポート』の中で、マックはUFO現象を「コペルニクス、ダーウィン、フロイトに続いて、我々の集団的エゴに与えられた四番目の打撃」と評している。これにより我々は「物理的に言ってもほかの生命体や、同じように精神面における理性的な仲間を超越して宇宙の中心にいるのではなく、心理的存在と物理的存在のコントロールが利かない、突出した高度な知的生命でもない。一見したところ、文字どおりほかの生物でないならば、何か別の存在、あるいは意識のままに我々が理解できなくても彼らの目的達成のために『侵入』または侵略される立場にいる」のだという。
「こう理解することが、一番重要な生命体であるという自負から出てくる種の傲慢にどんな影響を与えると思いますか」とマックは私に聞いてきた。
 私は、リンダ・ムールトン・ハウが教えてくれた報告書を持ち出してみた。それによると、宇宙人たちは何万年も昔から我々が重要な存在になれるようにと遺伝子工作を行ってきたということだった。
「なるほど」とマックは答えた。「我々がいじくり回されてきたかどうかは知りませんが、そういう経験を促すような、文字どおり種族間の掛け合わせとも呼べる、何かの技術や情報が頭脳の中に注入されてきたとします。一体この事実は何を意味するのでしょう? こういった強力なエネルギーの連結があるとしたら……この際『種』と言ってしまうと我々と同じように実在の分類から生まれたという意味になってしまうので、別の言い方をしているのですが、もし我々にとって理解できないところからエネルギーが我々や、ほかの存在、または異なる知性とつながりをもっているのだとしたら、これは一体どういうことなんでしょう? 純粋なトラウマとしてとらえる人も出てくるかもしれません」。
「また、研究者に合ったタイプの体験者が出てくるように私には見えることについてバッド・ホプキンズ、デイヴ・ジェイコブズ、そして私の三人はいつも議論しています。つまり、デイヴ・ジェイコブズにとって典型的な誘拐のシナリオというのは、ジョー・ナイマン、ジョン・マック、あるいはほかの誰かにとってのものと同じではないということなのです。また、体験者のほうでも、自らの体験と相性のいい研究者を無意識に選んでいるようでもあります」
「その逆も言えますか?」と私は尋ねてみた。
「言えます」とマックは愛想よく答えた。
「ジェイコブズ、ホプキンズ、ナイマンは、みなそれぞれ自分が投影したい事実を体験者たちから引き出しているように思えるのですが」
「そのことはよく会議でも引き合いに出されました。私の口からそんなことは言えませんが」とマックは答えた。「彼らの研究に対しては、多大の敬意を払っています。しかし、実は、私の自宅に二十人集まった中に、ただ一人だけバッドが研究のためにある晩私のところへ連れてきた女性が入っていました。私が翌月に自宅で開いたサポート・グループの会へと彼女を招いたからです」。
「グループは、それぞれ自分の体験を通して理解したこと、そしてその後も続くトラウマについて意見を交換していましたが、彼らはもう一つ違うレベルへと移行もしていました。グループは宇宙における我々の立場を再発見したということで、今までの自尊心が崩壊する思いをしたことや、何か深い目的がこの体験には隠されているのではないかということ、そして善玉悪玉というものの見方は、この際何の役にも助けにもならないということについて話していました。私ももちろんこういう話題には進んで参加するのですが、その最中にバッドのグループから来たその女性は、『何がどうなっているのかわからないわ! 私は犠牲者として苦しんでいるのに、あなたたちはみんな何か救いがあるかのように話をしているのはどういうこと?』と言うと、二度と戻ってきませんでした」。
「研究者の中には−−別にバッドやデイヴと言ってるわけではありませんよ」とすぐに付け足し、「両方の見方をしたがる人もいます」とマックは言った。「この事態を物理界に起きた異種交配と遺伝子学的現象というようにとらえたがるのです。文字どおり物理的にとらえようとするのです。彼らは実在しているし彼らはエーリアンなのだと。しかし、もしそう受け入れてしまうと我々の現実に対する衝撃的な意義や、我々と現実を超越する関係があることを見落としてしまうのです。
 つまり、片方でこの現象が我々の物質的現実に対する考えを打ち砕いていると言いながら、物理的現実という見方から離れようとしないのは無理だと言いたいのです」。マックは、一息入れてからこう付け加えた。「これは私だけの憶測ではありません。あなたも会議で見かけたハリーの身に実際に起きたことです。記憶の退行の最中に、彼はあそこのベッドの中で叫んだり、全身を震わせたりしていました。何ともひどい光景ですよ。『殺してやる! くそったれ! 俺から離れろ!』」。マックは、自分から宇宙人を押しやろうとしてハリーが空中で揉み合う様子をうなり声を上げてまねした。「その後、ハリーは私にこう語りました。『実はね、ジョン、自分の肉体に対して行われた仕打ちとトラウマとは別の類のものなんだ。精子を取り出したり、全身が麻痺するトラウマは、最大の恐怖ではないんだ。最大の恐怖は、もしこの生き物が実在しているんだと認めてしまったとき、自分の現実感が崩壊してしまうということなんだ!』」。
「体験者たちがよく抵抗するものの一つに宇宙人の目を見ないということがあります。もし覗き込んでしまうと、その存在を認めざるをえなくなってしまうからです。あまりにも互いのエネルギーのつながりが強く感じられるため、宇宙人の実在を 否定することができなくなってしまう。そうしたら何かの作用、力、エネルギー、あるいは何かが存在しているということを認めなければいけなくなってしまいます。それが何であろうとですよ! それが今まで維持してきた現実の構造と全く相容れないものになるのです。いわば現実が木っ端みじんになってしまった状態です」
「そして、これはあなたが投げかけた、何か文化的なものが否定に関わっているのではないのかという質問につながるのですが、私は最近もしこの話を本気で取り上げたとしたら、これは途方もないことになるという気が強くしてきているのです。もしこれが本当だとして、何か重要なことが実際に起きていて、単に心理的なものだけでなく、何かの接続がエネルギー、ないしは宇宙人、あるいは何かほかのものなど、我々の物理的次元以外のところ、あるいは意識そのものの観念を押し広げるような不可解な意識との関係ができているとしたら、これは西洋的なものの見方に大きな穴を開けることになります」
「ご存じのように、人は自分にとって何が現実か、何が実在しているか、どうやって世界が構築されているかという自分の考えに一番固執したがります。もしそれが脅かされ始めると人は恐怖に襲われるのです。抵抗があるとしたらそういう理由だと思います」
「西洋科学的な世界観は、十七世紀の聖職者たちが魔女を火あぶりにしたような、恐ろしい迷信に陥る弱さから我々を守る意味があるのかもしれません。あるいは魔女そのものへの信仰に対する手段としてです。あるいは黒死病という疫病をもたらした恐ろしい悪魔を信じることに対してです。あるいは物理的世界に直面したときに感じる無力さを克服する手段としての西洋科学・哲学的精神があるのです。ですから、UFO現象が本当だとするいかなる認識にも含まれている脅威がまた我々を迷信、中世にはびこっていた悪魔、魔術、その他の要素の危険性へと再度向かわせているように思えるのでしょう。我々は『宇宙を征服した』というふうにね。ここでまた創造の一部だとも現時点で断言できない生命体に直面して無力な存在に逆戻りしたのです」(p69-73)

「もし仮にこの惑星に対して環境破壊を加えていることに対する危機感があるのだとすれば、なぜ『彼ら』は即刻手を打つことができるような人物にアプローチしないのですか?」と私は再度尋ねてみた。
「これはとても興味深いことなのです」とマックは答えた。「私もずいぶん考えてみました。まず最初にどうしてこの情報自体が謎なのかと。ジャック・ヴァレーは、あんなに大勢の人が実験のために必要だとは考えられないから誘拐の話は信じられないと言いました。しかし、そう言えるのは、そういう実験の中で彼らが何をしているのか把握しているということを前提としています」
「我々は一体彼らが何をしているのかわからないのです!」とマックは指摘した。「我々が想像もつかないような方法で細胞のエネルギー構造を調べているのかもしれません……ウイリアム・ブレイクが言ったように、一粒の砂の中に世界を見るようなことなのかもしれません。つまり、我々には細胞の中の宇宙の様子がわからないのです。ただ電磁気だかなんだかという方法でものを測るという大ざっぱなやり方しかできないのです。我々には彼らが脳みそを監視したり、ああいう実験を施す意味が全くわからないのです。もし宇宙間においてどのように情報が発展してきたかということを考えると、そのことについてもあまり知識がないことに気づかされます。物事は発展し、我々はなぜ? と問いかけるだけで、別に神が直接人間の営みに干渉してきたわけではないと思うのです。これもまた子どもっぽい宗教観だと私は思うのです。なぜなら、誰もホロコーストを阻止しようとしませんでしたし、地球上で起こる大飢饉、疫病、その他のむごたらしい苦難を阻止しようとはしなかったからです」。
「もしかすると、我々が理解できないような理由で、地球の破壊が許されてはいけないのかもしれません」とマックは言った。「そしてその修正作用を担っているのが我々なのかもしれません。つまり、ここで起きているのは我々自身の変容なのかもしれないということなのです。もしかすると彼らは何もしていないのかもしれないのです! もしかすると、何らかの形でこの新しい現実が我々の頭や魂の中に入ってきて、物事を変化させたり破壊行為を止めさせるように働きかけているのかもしれません。体験者たちは、それが起きているんだと報告しています。彼らが結論として言うのはそこです。体験者たちは政治論や哲学の知識はありません。そこが興味深い点なのです! 彼らはごく普通の人々です。一人が言ったように、『アオムシに茂みを丸裸にさせないようにと蝶々が戻ってくるようなこと』なのです」。
「私自身はこの現象を政治的、精神的、地球的な規模での変化としてとらえるところにはいっていません」とマックは話した。「けれど、関係者として、純粋に科学的・哲学的な意味の視点から見ているだけです。宇宙の中に何が存在しているのかという我々の考え方をみるだけでも興味深いと思うのです。まず言えるのは、『我々』と『彼ら』という定義は全く誤っているということです。この『はるか向こうに』という考え方は……繰り返して言いますが、『ここにいる我々』を『はるか向こう』に存在するものが影響を及ぼしているというのが西洋的な見方です。外界と我々の発達する心とに内なるつながりがあると見るのではなくてね。私自身もこの落とし穴によくひっかかります。こういう二元論にです。『地球外の』という考え方自体二元論から来ています。我々も見方を変えれば地球圏外なのです。我々の精神面はこの地球だけに限定されていません」。マックは一呼吸置くと、こう付け加えた。「もしかすると、『これは我々にとって外なるものか内なるものか』と問うこと自体間違っているのかもしれません。この現象は外界と内面という分類自体に疑問を投げかけているからです。すべては異なる源泉からの、何か技術的なデモンストレーションなのかもしれないのです」。(p75-77)

 私は、宇宙人論が確かであるなしにかかわらず、UFO現象に関して一般の人々が知識を深めることを妨げている政府の陰謀は存在していると思うかマックに聞いてみた。
 彼はしばらく考えた。「私が考えている政府とはこんな感じです。例えば、私が空軍の最高司令官だとします。任務は空を防衛すること。スターウォーズ戦略でもなんでもかまいません。そして、もし我々が所有しているどんな技術よりもすぐれた文字どおりぐるぐる飛び回ることができる技術と直面したとします。自由に旋回したり、我々の空を出たり入ったり、レーダー・スクリーン上に映ったり消えたりすることができて(あなたも長時間露出フィルムでジグザグに飛んでいる十八個の光線が一瞬のうちに消えたのを見たことがあるでしょう)、それからまたもし本当にそれが起きているとするならばですが、寝室から人々を連れ出したりしているのになすすべもない。空軍司令官としてはなんらかの形でこの情報を大統領に報告せねばならない。大統領はそこで『何々司令官、一体我々は何が できるのかね?』と聞いてくるのです。
『現在の技術でできることは何もありません。また、ちまたでは情報を得るのに必死です。どうしたらよろしいでしょう?』と今度は大統領に言うのです。
『そうか。我々の空を変な船で飛び回る宇宙人がいて、人々を連れ去っているのに我々は何もできない、しかし、現在研究中ですなどという発表は絶対にできない! みんなパニック状態になるからな!』と大統領は言うでしょう。『現実だと認めることはできないのなら否定するしかない』と。
 結果として政府は苦境に立たされます。一方では否定しなければならず、もう一方では保持している情報が誰の手にも渡らないように阻止しなければならないのです。こういう具合に陰謀が生まれると思うのです」。マックは肩をすくめた。「けれども、今の説明のように話は単純だと思います。政府も私やあなたと同じように理解できないのです。理解できない事実を無視できないということは、政府の役割を果たしていないことになる。もし自分の任務が防衛なのに、お手上げだったとしたら……」。
 マックは政府には同情していると告白した。「もし私の任務が我々の空を防衛することなのに、何もできないとしたら私だってそれを認めたくないですよ。いつか、あなたと存在論に関する政治学やある一定の文化の中で何が現実かを誰が定めるのかについて話をしたいものですね。それを定めているのは本当にごくごく少数の人たちなのです。昔、ヨーロッパで、教会組織が異教徒の信仰を支配下におさめたのと同じです。教会が国家宗教となったにもかかわらず、民衆は個人的に信仰していたものを信じ続けたのです。現在の状況もそれと似ています。七割から八割近くの人々がUFOの存在を信じているのに、科学界では存在しないと言う。だから存在していないことになってしまうのです。これは一部では経験的な問いに対する返答といわれていますが、私は政治的な問題も絡んでいると思います」。(p80-82)



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