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回答先: ローマ法王が80歳、退位論議活発化か(読売) 投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2000 年 5 月 18 日 22:24:24:
教皇ヨハネ・パウロ二世の説教
ファチマの羊飼いフランシスコとジャシンタ・マルトの列福式
2000年5月13日 土曜日 ファチマ
1・「天地の主である父よ、あなたを褒めたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者に隠して、幼子のような者たちにお示しになりました」(マタイ11・25)。
兄弟姉妹である皆さん、イエズス様はこのような言葉で天の御父の御計画を褒めたたえられます。イエズス様は、御父が引き寄せてくださらない限りだれも御父のおそばに来ることができないことを御存じです(ヨハネ6・44参照)。ですから、イエズス様は御父の計画を褒めたたえ、それを子として受け入れます。「そうです。これは御心にかなうことでした」(マタイ11・26)。あなたはその御国をもっとも小さな者たちにお示しになりました。
神の摂理によって「身に太陽をまとった一人の女が」(黙示録12・1)、御父から特別に選ばれたあの子供たちに、天から地に降りてきました。そして、母の声と心でもって彼らに語りかけ、償いの生け贄として自分たちを捧げるよう求められます。そして、彼らを神に導くことを約束なさいます。するとどうでしょう。子供たちには御母の手から光が輝き出て、自分たちの心の奥を照らすのが見えました。子供たちの説明によると、ちょうど鏡で見るように、自分たちが神様の中に沈められていると感じたのです。
三人の子供たちの一人、フランシスコは「わたしたちは神であるあの光の中で燃えていたのに、燃え尽きなかった。神様がどんな方かを、言葉でほかの人たちに言うことはどうしてもできません。」燃え尽きることなく燃える光である神様、モーセも燃えるやぶの中に神を見たときに同じ経験をしました。モーセは、民が奴隷になっている状態を心配しており、自分を通して彼らを救い出すことにした、と神が言われるのを聞きました。「わたしはあなたと共にあるだろう」(出エジプト記3・2〜12)。神の現存を喜んで受け入れる人たちはいと高き方の「燃えるやぶ」になります。
2・福者フランシスコにもっとも深い印象を与えて、夢中にさせたのは、三人の子供たちの心の深みに達した大いなる光の中におられた神様でした。しかし、神様はフランシスコにだけ御自分が「ひどく悲しんでいる」と打ち明けられました。ある夜、彼の父親は息子が泣いているのを聞きつけ、なぜ泣くのか聞いたものです。彼は「悲しんでおられるイエズス様のことを考えていたんだ。犯される罪でイエズス様は悲しんでいらっしゃるんだよ」。彼の望みは「イエズス様を慰めて、幸せにしてあげる」ことでした。
彼の生活は根本から変わっていきます。あの年頃の子供には見ることのできない変貌を遂げます。彼は絶え間ない、熱心な祈りを特徴とする深い霊的生活に入っていきます。こうして、主と真に神秘的な一致を遂げます。彼は自分の楽しみをもう追い求めないようになります。子供らしい遊びにさえも興味を示さなくなり、ますます魂の清らかさを追い求めるのです。
フランシスコの死因になった病から来るひどい苦しみも、弱音を吐かずに耐え忍びました。イエズス様を慰めるためであれば、自分の痛みなどは無に等しかったのです。フランシスコが死んだとき、唇には笑みが浮かんでいました。小さなフランシスコはいい子であること、また犠牲と祈りを捧げることによって、罪人の背きを償うことを心から望んでいました。彼よりほぼ二歳ほど幼かった妹のジャシンタも同じように考えていました。
3・「また、もう一つの印が天に現れた。見よ。日のように赤い竜である」(黙示録12・3)。ミサの第一朗読の言葉を聞くと、わたしたちは善と悪の間で戦われる激しい戦いについて考えざるを得ません。そうです。人間が神を脇に追いやるとき、人間は滅びてしまうほかないことが分かります。
第二千年期の最後の百年間にどれほどの人々が犠牲になったことでしょう。わたしたちは第一次世界大戦、第二次世界大戦、そのほか世界各地であった戦争、強制収容所、死の収容所、ソ連邦の強制労働収容所、民族浄化、迫害、テロ、誘拐、麻薬、中絶、家庭の破壊の恐怖を思い起こします。
ファチマのメッセージは回心への招きです。それは人類に「その尾で天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた竜」(黙示録12・4)に関わり合わないように警告しています。人間の最終目的は、天の御父が慈悲深い愛をもってすべての人々を待っていてくださる天国です。
神様はわたしたちの一人として失われることを望まれません。そのためにこそ2000年前「失われた者を探して救うため」(ルカ19・10)に御子を地上に送られ、御子は十字架の死によってわたしたちを救われました。あの十字架をだれ一人として無駄にすることがないようにしまじいう。イエズス様は死なれたけれど「多くの兄弟たちの中で御自分が長子となられるために」(ローマ8・29)死者の中からよみがえられました。
聖母マリア様は母として人々を愛されるのでファチマに来られ、人々に「すでに十分なほどの背きを味わわれた主である神にこれ以上背くのを止めるよう」求められました。マリア様がこのように語られるのは、御自分がわたしたちの母親だからです。母親として悲しんでいるからこそ、聖母は滅びの縁に立っている御自分の子供たちの運命について語られます。だから聖母は「祈りなさい。たくさん祈りなさい。そして罪人たちのために犠牲をしなさいだれも祈ってくれないから、そしてだれも犠牲を捧げてくれないから、多くの魂は地獄に行きます」と幼い羊飼いたちに言われます。
4・幼いジャシンタは聖母マリアの苦悩を感じ、味わいました。だから、自分を罪人たちのための生け贄として捧げることにしたのです。フランシスコとジャシンタが病床に就くようになってからのことです。ある日、聖母マリア様は彼らの家に来てくださいました。ジャシンタはそのときの様子を次のように語っています。「マリア様がわたしたちに会いに来てくださいました。もうすぐフランシスコを天国に連れて行ってくださるって。わたしにはもっとたくさん罪人たちを回心させたいかって聞かれたの。だから、はいって言ったわ」。そのうちにフランシスコの死期が迫りました。幼い女の子は兄にこう言います。「イエズス様とマリア様によろしく言ってね。罪人たちの回心のためにイエズス様とマリア様の望まれることは、わたし何でも我慢していますって言ってちょうだい」。ジャシンタは、7月13日にあった御出現の際に見た地獄の幻視から深い影響を受けていました。ですから彼女は罪人を救うためなら、どんな苦行も償いも大きすぎると思われなくなっていたのでした。
ジャシンタは、聖パウロと共に「今やわたしは、あなた方のために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のためにキリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしている」(コロサイ1・24)と言えるほどでした。先週の主日、ローマのコロセウムで、わたしたちは20世紀に信仰を証した多くの人たちを記念しました。彼らが残した意義深い証によって彼らが堪え忍んだ苦しみをわたしたちは思い起こしたのです。無数の勇気ある信仰の証人たちが、第 三千年期にも生き続けるに違いない尊い遺産をわたしたちのために残してくれています。これら苦難の時代が予言され、その期間が短くなるために祈りと償いを聖母が求められたここファチマで、この日、これらの人々がその生き方で示した力強い証のため神に感謝します。そして、1981年5月13日、重傷を負いながらもわたしが死から免れたことで示された主の御慈悲を再びここで祝いたいと思います。福者ジャシンタには、示現の中で非常に苦しんでいた教皇のために捧げた犠牲と祈りについて感謝します。
5・「御父よ、これらを幼い子供たちに示されたことについてあなたを賛美いたします」。今日、御父に対するイエズスの賞賛の言葉は二人の幼い羊飼い、フランシスコとジャシンタの荘厳な列福式という形で目に見えるものになりました。この儀式でもって、教会は暗黒と苦悩の中にある人類を照らすために神がともしたこの二人のろうそくを、燭台の上に載せることを望みました。この二人が、ここに集まった人々、ラジオとテレビによってわたしと共にある多くの人々の行き先を照らしますように。フランシスコとジャシンタがすべてのポルトガル人、特にファチマのレイリア教区を照らす友情の光になりますように。
セラフィム司教様、輝かしいこの教会、あなたの歓迎の言葉について感謝します。さらに、大いなる喜びをもって、わたしが愛するポルトガルの司教様方とそれぞれの教区に御挨拶し、これら二人の福者に見習うようお勧めいたします。また、列席の枢機卿様方、司教様方、特にポルトガル語圏の共同体から参加していらっしゃる牧者たちに、兄弟としての御挨拶を送ります。アンゴラの人々に聖母マリア様が和解の賜を祈り求めて下さいますように。マリア様がモザンビークの洪水被害者たちに慰めをもたらしてくださいますように。東ティモール、ギニア・ビサウ、ケープ・ヴェルデ、サン・トメ・プリンシペの人々をマリア様が見守ってくださいますように。マリア様がブラジルにいる息子、娘たちの信仰を守ってくださいますように。
ポルトガル共和国大統領とここに参加している政府関係者たちに、特別な御挨拶を送ります。彼らを通して、わたしのこの巡礼を可能にするために尽力して下さったすべての人々に感謝します。福者の位に上げられた子供たちを生み出したファチマの町と教区に特別な御挨拶を送ります。
最後に、少年少女の皆さん、今日はようこそいらっしゃいました。皆さんの中にはフランシスコとジャシンタとそっくりの服装をしている子供たちがたくさん見えます。とても似合っていますね。だけど、家に帰ったら、そして明日は、もう普通の服装になってしまうでしょう。小さな羊飼いたちはもういなくなると言うことです。でも、そうであってはなりませんよね。ひどいことをされて悲しんでいらっしゃるイエズス様をお慰めするために、マリア様にはあなた方が必要です。イエズス様はあなた方が罪人のために祈ること、犠牲を捧げることを望んでおられます。
お父さん、お母さん、先生たちにお願いして、マリア様の「学校」で学べるようにしなさいね。そうすれば皆さんもマリア様の願いを何でも叶えようとした幼い羊飼いたちのようになれますよ。「自分の力だけに頼って長年頑張るよりも、マリア様に従順で、マリア様に頼っていれば、皆さんはもっと短い期間に進歩することができます」(聖ルイ・モンフォール、聖母マリアへの真の信心、155)。あの幼い羊飼いたちはこのようにして短い期間で聖人になりました。病気のジャシンタを世話したあるリスボンの女性は、ジャシンタが語るとても美しく、賢い言葉を聞いて、そんなことをだれから習ったのか聞いたものです。ジャシンタの答えは「マリア様からよ」というものでした。これほどの優れた先生の指図に惜しみなく心を開いたジャシンタとフランシスコはすぐに完徳の域に達することができました。
7・「天地の主である父よ、あなたを褒めたたえます。あなたはこれらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者たちにお示しになりました」。
御父よ、あなたのはしためである聖母マリアが育てた幼い羊飼い、フランシスコとジャシンタのためにあなたを賛美いたします。
二人の一生が伝えているメッセージが、永遠に人類の行く先を照らす光でありますように。