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5月18日(木) No.53
自由民主党の縮小再生産路線を憂う
本文最近、自公保三党の選挙協力に関する記事が各新聞の政治面で見かけることと思います。一見、それは与党の勝利のためにすばらしいことと思われる方が多いのではないかと思いますが、これは自由民主党という政党からみたら実に空恐ろしいことなのです。
以外にこのことに気づかれない方が多いものですから、このことを論じてみたいと思います。
その前に、このサイトにも掲載されている「自自公連立の政治論的批判」における(平成12年2月6日脱稿)の次の記述をお読みいただきたいと思います。
<縮小再生産の選挙協力>
自自連立の際、競合する小選挙区の候補者を現職とするという一項目があった。その現職には、比例で当選した重複立候補者を含むか含まないかなどという笑えない話があった。自公両党の選挙協力も始まった。公明党の小選挙区立候補者がいるところでは、自由民主党はできるだけ候補者をたてないようにするというものらしい。そんな選挙区は、いくつもないが…。
連立与党の選挙協力とは、いったいどのようなものでなければならないか?それは共通の敵に対する共同戦線であり、お互いの身の保身ではない。少なくとも、自社さのときは、どうしたら新進党に勝つことができるか、バラバラに戦って漁夫の利をしめられることをどうやって防ぐかを第一にして選挙協力することにし、いくつかの選挙区で候補者調整をし、成功した。
自自公三党で行なわれている選挙協力は、基本的な発想が違う。楽をしてお互いに当選する道を模索する選挙協力のように見えてならない。政党が違う以上選挙のとき相争うのは仕方のないことである。ただ、それぞれ立候補したために、相手方に漁夫の利をしめられることが予想される場合に、選挙協力が始まるのである。
例えば、自由民主党と自由党の候補者が競合しているため、下手をすると民主党に漁夫の利をしめられそうな場合、そこで初めて選挙協力の必要がでてくる。自由民主党と公明党の候補者が競合する場合でも同じであろう。この場合、自由民主党の支持者に公明党候補者に投票するようにいっても簡単にはそうならないから、自由民主党の候補者を立てることの方が得策だと私は思っている。公明党に配慮して候補者の擁立を見送った場合、かえって民主党などの候補者を利することになる場合の方が多いであろう。
いずれにせよ、現在のような選挙協力は、与党3党とりわけ自由民主党の縮小再生産となる選挙協力でありとうてい容認することはできない。
自自公3党、それぞれ自党の理念を損ない、また党の主体的な力を削ぐ自己破滅の道を進みつつあるのに、これに対する反省も反発もない異常な状態――これが、第3の自自公現象である。
自自公は、自公保となりましたので、自由党と保守党と置き換えていただければ結構です。事の本質は全く変りません。
自公保連立推進を主張する執行部は、数が足らないから公明党や保守党と連立しなければならないことを強調します。しかし、数が足らないというのであれば数を増やさなければならないのです。少なくとも自由民主党の議席数を増やすための戦略と戦術のもと、必死の努力をしなければならないのです。だが現在やっているような選挙協力は、自由民主党の縮小再生産路線を意味します。本当にこれで良いのでしょうか?
与党三党の協力や強調は政権運営のためには必要でしょう。しかし政党が違う以上、選挙となれば時には完全に激突しなければならなくとも、それは仕方のないことなのです。それは怨みっこなしのことなのです。その覚悟がないのならば連立など組まなければよいのです。あるいは、一つの政党になる努力をすればよいのです。いずれにせよ、現在進められている選挙協力はこの原理原則から離れていることだけは間違いありません。それとも、選挙協力を進めているわが党の幹部は、巷いわれているように、自公保三党が近い将来ひとつの政党になることを本気で考えているのでしょうか。保守党との合同ならば、それは考えられないことではないと思います。しかし、公明党との合同まで考えているとしたら、それは自公連立などの問題とはさらに次元を異にする大問題だと思います。いずれにせよ、総選挙という大事に臨むにあたり、もっとも大切にしなければならないのは、原理原則に則った天下の王道を歩むことです。それが勝利への道につながるのです。このことに思いをいたすとき、現在行われている選挙協力なるものは、わが党の将来に大きな禍痕をのこすことになるでしょう。私は、このことを憂えています。
15:10 議員会館にて