Tweet |
SCRIBBLE 1
◆「核のゴミ」を地球上にばらまく手段と概念 その1
●米政府の「核のゴミ清掃計画」
昨年の「ユーゴ空爆」と同様、アメリカは「湾岸戦争」の時も、国際的な戦争
回避の努力を害し、はじめに戦争ありきの路線を強行突破した。
「湾岸戦争」は、巨大メディアを通じて、「クリーンなハイテク戦争で、一瞬に
して終わった」というイメージが強い。多くの人々は今でもそう信じているに違い
ない。
米政府は現在でも、事実を公式に認めてはいないのだが、過去10年間の戦争で、
米軍は「通常兵器」のレッテルで覆い隠された「核兵器」を使った。
覆いの裏側には、国内における大量の“核のゴミ”(劣化ウラン:Depleted
Uranium)処分という、言い知れぬ苦しみにのたうつアメリカの顔が浮かび、『劣
化ウラン』のあれこれを調べているうちに、“核のゴミ”を湾岸諸国に分散・移転
する「清掃計画」というとんでもない狙いが、浮き彫りになってきた。
「いまさら湾岸戦争でもないだろう!何でこんなことを話題にするのか」という
疑問を、読者が持たれたとしても不思議ではない。それほどに、すでに“風化した
話題”である。
だが、この戦争の始末に負えない本当の恐ろしさは、“風化”の後にやってき
た。
今がそのピークであり、明日はもっと惨たらしくなる。しかし、対策は何もな
い。
劣化ウランは、本当の戦死者数が分かるまでには、何十年あるいは何世代もかか
る「遅発反応性」の核物質である。
米政府が明らかにしたところによると、1945年以来、アメリカ国内に抱え込ん
できた核廃物(廃“棄”物ではない)は、数十億ポンドを超えているという。
棄てる(つまり自然に返す)ことのできない廃物である「劣化ウラン」の処理問
題、すなわち「分散・移転」は、長年アメリカを悩ませ、苦しませてきた。
大なり小なり、他の核保有国も同様の悩みを抱えているはずだが、アメリカはこ
の悩みと苦しみを、地球上のあちこちに分散・移転させる「概念」と「手段」を開
発した。
「劣化ウラン」という核廃物が、国内にあふれかえっている「核超大国」アメリ
カにとって、「極秘・清掃計画」の実施は急務であった。
この深刻な「核のゴミ問題」が、強引な「手段」(戦争)をとらせた背景にあっ
た。
●ドーハ米軍基地火災後の「放射能汚染」警告印
その一挙的な大量“不法投棄場所”に選んだのが、イラクを中心にした湾岸諸国
であり、「湾岸戦争」がそれを可能にした。昨年の「ユーゴ空爆」中も連日イラク
への空爆を平行して行うという、執拗に繰り返された「イラク空爆」や、「ユーゴ
空爆」で締めくくった10年に及ぶ「ユーゴ分割干渉戦争」においても、大量不法投
棄がつづいた。
91年7月11日、クウェートのドーハにある米軍基地の、兵器貯蔵庫にあった実
弾を積んだ車両1台から火災が発生した。火はたちまちのうちに実弾を装填した大
砲などに延焼し、激しい爆発が6時間つづく大火災となった。現場で作業にあたっ
た兵士たちの証言が集められている。
この火災で、劣化ウラン弾や劣化ウラン装甲を施した戦車などが破壊され、
9000ポンドを超える目に見えない「劣化ウラン酸化物」の粒子が、周辺に拡散し
た。
米軍兵員は防護用具を着用せずに、消火活動およびその後の清掃作業を行った
が、彼らは「劣化ウラン汚染の警告」を受けておらず、何も知らされないまま劣化
ウラン粒子を浴びた。
消火活動の後、数人の士官がやってきて、飲料用のドラム缶などをしらべ、それ
らに「放射能汚染」の警告印をつけた。
その中には、劣化ウラン撤甲弾の破片が入っていた。
暑い真夏の盛り、兵士たちが繰り返しこの水を使った後のことであった。
陸軍兵器軍用化学司令部が、「劣化ウラン撤甲弾が命中した装置はどのようなも
のであれ、劣化ウランの汚染があるとみなしうる。劣化ウランで汚染されたもの
は、汚染地区を洗浄し、被服を廃棄すべきである」という警告が、湾岸地域の司令
官に送られてきたのは、43日間にわたる戦闘が終結してからであったが、それはこ
の部隊まで届いていなかった。
「湾岸戦争」が終わるまで、「劣化ウラン汚染の危険」については、現地の米軍
はじめ同盟軍に何も知らされず、極秘にされていた。
劣化ウラン撤甲弾の破片が入ったドラム缶に、「放射能汚染」の警告印をつける
ほどのものであったにもかかわらずである。
記録によると、ドーハの火災の際、「約8ノットの北西風に乗って、劣化ウラン
粒子は現場から数マイル離れた場所まで運ばれた」という。
●長期の慢性疾患に苦しむ米軍帰還兵
湾岸戦争での米軍の死者は147人と発表され、「戦死者の数が圧倒的に少なかっ
たこと」が強調された。その半数は同士撃ち、すなわち味方が放った劣化ウラン弾
などによって焼き殺された。
米軍およびその連合軍の「戦死者数の少なさ」がセールスポイントとされ、この
場合の「少ない」ということは、とりわけアメリカ人の“心の均衡”を保つ上で、
有効な「バランサー」となった。だから、戦後アメリカ人が、パウエルとシュワル
ツコフを熱狂的に凱旋将軍として迎えた。
やがて、それが問題のすり替えによる、ひどい虚構に過ぎなかったことが、「湾
岸戦争症候群」として明るみに出るのだが、取り返しのつかない人的被害が、誰の
目にもごまかしようがなくなるまでには、数年という年月の経過を必要とした。
それまで頑健であった湾岸戦争帰還兵数万人の青年男女が、次々と原因不明の病
に倒れたり慢性疾患に苦しむようになっていった。
政府や軍は、「湾岸戦争症候群」に苦しむ人々の訴えに、一切耳を貸そうとして
いない。それ以前から、放射線によって最も傷つけられた退役軍人や、ウラン採掘
などに従事させられてきた先住民の補償を拒否しつづける、政府の事実隠しの歴史
が尾を引いていた。
湾岸帰還兵の一人、キャロル・ピコー元米陸軍2等曹長は、1996年9月12日、
UNチャーチセンターで講演をおこなった。彼女は准看護婦として90年8月1日、
陸軍に入隊。翌日、特命で湾岸に派遣された。彼女は医療班150人の一員として前
線で働いた。
女性では2番目に高い地位にあり、7人の男性兵士が前線行きを拒否したため、
代わりに7人の部下の女性を連れていくことになった。前線に行った全員が病気に
なった。後に後方に残った男性兵士たちは健康そのもので表彰もされた。だが、前
線に赴いた彼女たちには、惨い仕打ちが待っていた。以下は彼女の講演の一部であ
る。
*【ピコー元・米陸軍2等曹長の講演抜粋】
最も前線に近い第41野戦病院に配属され、数マイルもつづく焼けただれたイラク
の車両の間を、負傷兵や病人の手当をしながら移動して回った。死体が散乱し、あ
ちこちで車が燃えていた。汚染物質の警告は誰からも受けておらず。15日間滞在し
たが、敵味方の別なく、治療に専念した。
イラクにいるときに、全身の皮膚に黒いシミがあることに気づいた。からだの変
調が始まった。腸と膀胱がおかしくなった。帰国後、答を探していろいろ調べ回っ
ていると、軍隊での仕事をなくすぞと脅され、実際にそうなった。医療班として一
緒に前線にいった150人のうち、40人が病気にかかり、6人が自殺などを含めガン
などで死亡した。
砂漠の嵐作戦に参加した兵士に何かが起きていることを公にすることにした。原
爆にかかわった退役軍人から、「劣化ウランの毒にやられている」と教えられた。
劣化ウランがどんなものであるか全然知らなかった。
長期的と短期的な記憶の喪失がある。毒物による脳腫瘍にかかっている。甲状腺
の機能も低下している。帰還兵からは、甲状腺のない子が生まれる。腸も膀胱もコ
ントロールできない状態にある。陸軍はおしめを支給してくれたが、92年からカテ
ーテルを入れている。
手袋なしで患者を扱い、戦車によじのぼって入ったり出たりして死体を回収し
た。
私たちは国民に奉仕する。国に奉仕する。兵役につき、倒れた兵士のそばに付き
添い、守る。死にゆく兵士の手を握る。もう一度そうしたい。
国防総省は、私の検査、私との面会、私の質問への回答を拒否している。
私は軍での仕事をなくし、夫も仕事をなくした。私は民間の健康保険も生命保険
もなくした。私の病気が戦闘に由来する病気だからと、保険会社は言う。しかし、
除隊させられたとき、国防総省は私の病気が戦闘とは関係ないと言ったのだ。
国防総省は、このウランの影響を表面上は知らないようだが、94年6月付の秘密
報告によれば、実はすべての情報をもっていたのだ。
私は闘うみなさんと共にある。そして、自国に放置された汚染物質で苦しむイラ
クの人であろうと、そのような
人のために闘うみなさんと共にある。■
SCRIBBLE 2
◆「核のゴミ清掃計画」を可能にした手段と新概念 パート2
●「350万トン」の劣化ウランが湾岸地域にばらまかれた
湾岸戦争症候群が目立つようになる以前、「43日間戦争」の終結直後の4月、イ
ギリス原子力公社(UKAEA)は、ある「秘密報告書」を作成していた。
「放射性の粉塵が戦場に拡散し、飲料水や食物連鎖に侵入する恐れがあり、劣化
ウラン兵器から生じた40トンの放射性の残滓が50万人以上の死者を出す危険性が
ある」
というものであった。
むろん、このアメリカが必要とした「核のゴミ清掃作戦」の最大の被害者が、イ
ラクを筆頭とするアラブ地域の人々であることは、年端も行かない子供にでも分か
ることであろう。
劣化ウランの真実が公にされることを望んでいるのは、湾岸戦争帰還兵とその家
族だけではなく、アラブ地域の人々を筆頭に、世界中の人々にとっても同様であろ
う。
UKAEAの「秘密報告書」では40万トンとなっていたが、ペンタゴンがその後、
使用量を追加的に認めたことから、劣化ウラン弾の数はクルクル変わっており、
「約100万個の劣化ウラン弾が、イラクをはじめとするアラブの地に撃ち込まれ、
約350万トンという膨大な量の劣化ウランがばらまかれた」とされている。
しかし、正確にはもっと多量であった可能性が高く、「800万トンをこえる」と
いう米報道もある。
「イラクに対して本当は何が行われたのか」といった多くの事実が、「経済封
鎖」によって広く世に知れわたるチャンスは、ほぼ完全に封じられてきた。
「経済制裁」が、そのために果たしてきた有効性は、特筆すべきことであろう。
「経済制裁」という名の「逆鎖国」を強制することによって、実際にアメリカ軍
がイラクに対して何をやったのかは、およそ10年の長きにわたって、外部に知られ
ないように幕が張られ、充分な調査など、行われようもない状況を生んできた。
イラク国民全体が、放射能その他の汚染をいちばん恐れ、苦しんでいる。そのこ
とは少しばかりの想像力を働かせるだけで充分であるにも関わらず、「経済制裁」
が学術交流の分野にまで高いハードルを築いている。このハードルが、“さわらぬ
神にタタリなし”というバランサーを、多くの学者に植え付けている。
今年の3月、「経済制裁が保健医療に及ぼす影響」の調査を目的として、『日本
イラク医学生会議』が第3回イラク訪問団を派遣した。しかし、このような例は極
めて希なケースである。同会議の活動と報告は、下記アドレスのホームページにあ
る。またメールマガジンも発行している
(http://square.umin.ac.jp/ihf/iraq/index.htm)。
イラクでは、遺伝性奇形があって長くは生きられない乳児が、小児病棟に見捨て
られ、子供たちの間でも、白血病、リンパ組織の異常増殖、ガンなどが急激に増
え、大人たちの間
でもこれまでにない奇病が蔓延した。
しかし、それほどの年月を経た時点では、「43日間戦争」のような人々の感情を
直接的に激しく揺さぶる“枠組み”は存在していなかった。
こうなると、今さら何万語を費やして、「アメリカが行った劣化ウラン兵器を使
った歴史上かつてない残虐な核戦争」という事実を語っても劇的に「現実」を揺さ
ぶるほどのインパクトは持ち得ない。
「現実」というのは、その水面下で蠢くさまざまな“隠しごと”が、あたかも
“バランサー”のごとき役割を担って、危うい均衡を紡ぐ。
紡ぐことが「現実政治」の核心となっている。そういう意味で、アメリカは「現
実政治」のチャンピオンである。
真実が逐一明らかになるならば、そもそも戦争など成立し得ない。
人もまた、自らが存在している「現実」が脅かされるような真実までは、必要と
しない。
意識的にせよ無意識的にせよ、“見て見ぬ振り”が安定的な日常性を保たせてい
る。
マイケル・ディヴァーはいみじくも、「人々はテレビで見ないともう何も信じな
い」、同時に何よりも、「人々は真実を知りたいわけではない」と喝破した。
情報操作を通じて人々の意識の奥深くで働く「バランサー」を、日常的に操作す
るための政策(心理戦争)を確立し、システム化した男のあからさまな“勝利宣
言”である。
彼は元・米政府高官として、政策の中心に日常的な“心理戦争”を組み込んだ。
自ら「報道の管理操作技術のすべてを開発した」と豪語するのだが、それは過不足
のない冷静な自己評価といえる。*(1999年04月15日号No.202参照)
●「これからも違法な戦争を引き起こす」という宣言
「湾岸戦争」でも「ユーゴ分割戦争」でも、米軍およびその連合軍は、明確に
「国際法違反」の大量破壊兵器を使用した。それは、広範囲にわたる「生命への権
利の侵害」という、国際的に確立された「人権」を踏みにじる、惨たらしい戦争で
あった。
加えて、その実態が明らかにならないよう、さまざまな真実を語るデータが隠蔽
さ>れた。
攻撃された側はもとより、攻撃を行う側の武器そのものが、それを扱う兵士たち
に、破滅的な毒性を浴びせていた事実もそのうちの一つであった。
だが、唯一の超大国にとって「核のゴミ処理」は、どんな国際法や人権よりも、
高い地位を占めている。日本のマスコミではあまり注目されていないことだが、こ
の超大国を代表して、公式の場でそのことが明確に宣言されていた。
1996年8月19日、『UN小委員会決議1996/16』が提出された。
この『決議』は、「劣化ウランを含む大量破壊および無差別的効果をもつ兵器の
製造と拡散を抑制すること」を狙いとしていた。同月29日、「賛成15、反対1、
棄権8」という結果で採択された。むろん「反対1」はアメリカであった。
この審議を巡り、アメリカ代表のデビッド・ワイスブロットは、決議の阻止に奔
走した。しかし、それに失敗するや、文面からの「劣化ウラン」はずしと、「ジュ
ネーブ条約および拷問その他の残虐で非人道的な刑罰」の文言を削除しようと、執
拗に働きかけた。
彼の一貫した不躾・非礼な態度は、語りぐさにさえなっている。
「戦争行為がたとえ違法なものであっても、被害者による訴追の対象にならな
い!」。
これがアメリカの公式見解であった。「核のゴミ」を地球上のあちこちに分散・
移転させるために、アメリカが新しく開発した「概念」とはこのことである。
“泣く子と地頭”のように手に負えないアメリカの傲慢さが、彼の「演説」に集
約されている。ここまで公の場で言わなければならないほど、アメリカは「核のゴ
ミ」という現実問題で追いつめられている。
だが、唯一の超大国は「核のゴミを不法投棄」する有効な手段を見つけだした。
この手段が「たとえ違法であっても、アメリカは行使し続けるためのフリーハンド
をキープする」という意志表明であった。UNが何を「決議」しようと知ったことで
はないのである。
ワイスブロットの「アメリカの正義」の主張は、アメリカに蓄積された劣化ウラ
ンを、大量に分散・移転させるため、「これからも違法な戦争を引き起こす」とい
う宣言であり、それ以外の方法を取る気などないというメッセージを世界に向けて
発している。もはやなりふりを構っていられないのだ。
●アメリカは「時間稼ぎ」には成功した
劣化ウラン兵器は、湾岸戦争で初めて実戦使用され、その破壊力の優秀さを証明
した。 この最先端の核兵器は、「安全性」の議論を回避したまま、何らの国際的
規制もなく、さらに劣化ウランに関する基本情報も明らかにされないまま、「通常
兵器」としてアメリカから世界中に、「輸出」という手段を通じてもばらまかれて
いる。
アメリカおよびその連合軍は、少なくとも、戦争の真実が広く知れ渡ってしまう
までの「時間稼ぎ」には成功した。この「時間稼ぎ」は、戦争への批判を極めて鈍
いものにするという大きな戦果を挙げた。
アメリカ政府は、「清掃計画」の一環として、“死の商人たち”に大量の劣化ウ
ランを無料で提供し、兵器生産の原材料とした。
原材料費が政府によって“タダ”で提供され、しかも兵器製造業者はしこたま儲
けることができる。シャレにもならないが、こういう関係は、“タダ”ごとではな
い。
しかも、この兵器は世界中に輸出されている。
ペンタゴンをはじめ、兵器製造業者にとっては“濡れ手に泡”である。この極上
の商売は、奨励されることはあっても、自ら自粛することなどあり得ない。
彼らに歯止めをかける有効な強制力は、いまのところ何もない。
この連中こそが、「地上の生きとし生けるものの“支配権”を握っている」とい
うのは、大げさでもなんでもない。
普通の商売なら、お得意さんには頭が上がらないのだが、何せ普通の商売ではな
い。お得意さんの方が頭が上がらない。いったいどこが、自由な「市場経済」なの
か!
日本は他の多くの国と並んで、彼らの上得意である。
当時、戦争協力を求められた小沢一郎・自民党幹事長と橋本龍太郎・大蔵大臣が
奔走し、130億ドルの戦費を上納したからだけではない。
自衛隊員が、アメリカから輸入した劣化ウランを原材料とする最強の兵器によっ
て、日常的に破滅的な毒性を浴びようと、彼らにはお構いなしである。
むろん、アメリカ政府は「半減期が地球の命と同じ」といわれるこの原材料が、
どれほど危険で毒性が強いものであるかを充分すぎるほど知り抜いている。彼らは
その研究データを、腐るほど持っているからである。
それらの研究データに記された真実を隠すために、膨大なエネルギーを投下して
熱心な努力を払ってきた。いまだに、いかなる真実も公表しておらず、ウソを並べ
て隠すことに熱中している。
●「因果関係は特定できず、基本的には問題はない」
このままいけば将来の戦争では、敵味方双方の兵士が、猛毒の劣化ウラン・エア
ロゾルを吸入摂取させられるのは必定であり、広範囲にわたって人々が放射能的に
も化学的にも汚染されることは避けようがない。
少なくとも、常にそのような未曾有の危険な状況と隣り合わせになる条件が、
“偉大な自由の国”アメリカによって創り出されている。
このような国の「自由と民主主義」に、いかほどの価値があるというのか!
ペンタゴンや退役軍人省、国立研究所、米軍機関やその受注者、およびその代理
人である科学者らによって、これまで幾多の劣化ウランに関する「報告書」が公表
されている。
しかしそれらのいずれもが、かんじんな分析結果を公表しないまま、「基本的に
問題はない」とすることが、“権威ある見解”の地位を保っている。
一方ペンタゴンは、アメリカ兵における湾岸戦争症候群の範囲や発生の有無、発
生源に関する詳細なデータが実際に存在するがゆえに、それが明らかになること
を、押さえ込こんでいる。
とりわけイラクからの情報が、世界中に知れわたることをもっとも恐れてきたこ
とは言うまでもない。完全なる「情報もれ封鎖」を目的としたのが、イラクに対す
る「経済封鎖」の本当の狙いであった。
ペンタゴンは、湾岸「43日戦争」から10年近くの間、この恐るべき核兵器の危
険性の、いかなる事実も認めようとしてこなかったし、今なお、事実のほとんどを
公表せずに隠し通している。
ところが、一定の時間の経過とともに、長期の慢性疾患に苦しむ9万人を超える
米軍帰還兵の、将来の世代における遺伝性疾患という悪夢のような現実が、隠しよ
うもない真実を語ってしまった。
それ以前から、ウラン発掘に携わったアメリカ先住民族、劣化ウラン製造過程
や、製造された劣化ウラン兵器を扱った労働者や兵士、周辺住民の間で膨大な被害
が出
ていた。
しかしそれらの事実は、例によって、とりわけ科学者を先頭に、アメリカ政府及
び軍の「因果関係が特定できない」という、毎度聞かされる“慣用句”の厚い壁に
阻まれてきた。
◆次号でさらに「劣化ウラン」を取り上げたい。本文は主として日本評論社発行
の『劣化ウラン弾』を参考資料としている。■