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2000.5.8 http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/
池田大作名誉会長に率いられる宗教団体・創価学会が公明党という政党のマントをまとい、政権欲の権化と化した自民党という橋を渡って政治権力の中枢に座るという「自公保」連立の本質をめぐる議論が、ようやく始まった。池田大作創価学会名誉会長の名が政治議論のなかに登場してきたことは、マスコミにおける政治議論としては一歩前進だと思う。
『諸君!』6月号は「天下のご政道にモノ申す!」という特集を組んでいる。このなかで田中角栄首相秘書だった早坂茂三氏(政治評論家)は「昔“角影”、今“作影”」と書いた。改めて解説するまでもないことだが、“作影”の“作”とは池田大作氏のことである。
森喜朗内閣を“作影内閣”と命名したのは見事である。森「自公保」連立政権の本質をスバリと突いている。池田大作氏と野中自民党幹事長の“同盟”こそ自公連立政権の本質だとする早坂氏の指摘は正鵠を射たものだと思う。
早坂氏は言う。
「公明党の本当の実力者、いわば陰の総支配人は、……都議会議員十三期、シーラカンスのような藤井富雄・公明党最高顧問です。このジイサンが大作から全権を委任され、政治工作を一手に引き受けて、陰になり日向になり野中と款(かん)を通じて、これまでの政治局面を取り仕切っている。……藤井の後ろから大作の高笑いが間遠いだけど聞こえてくるんです」
「三十年も前のことだけど……学会は田中とがっちり結びついたんだね。いらい大作をバックに田中−竹入、竹下−矢野、小沢−市川、小渕−秋谷、野中−藤井のギブ・アンド・テイクというか、不倫な関係が延々と続いているんだ」
『諸君!』6月号の特集にはもう一本、ジャーナリスト・乙骨正生氏の「創価学会=公明党」論がある。タイトルは「太鼓を叩くヒトラーがやってきた」。
乙骨氏によると、「太鼓を叩くヒトラー」とは、池田大作氏を評して語った田中角栄氏の言葉だそうだ。
乙骨論文の冒頭に、学会員にむけて発せられた池田氏の次の檄文が引用されている。
「歴史を残さずしてなんの人生か! 千載一遇の時。果敢なる 誉れの勝利戦を!」(4月11日聖教新聞)
池田氏はこの檄文によって6月25日と予想される総選挙戦の先頭に立ったと見てよいだろう。創価学会の大攻勢が始まったのである。
これにより創価学会票は野中幹事長が作成する自民党主流派候補に集中する。甘い期待を抱いていた、だらしのない野党候補に頭から冷水を浴びせたのである。
乙骨氏は論文の最後で次の警告を発している。
「次期総選挙で公明党が勝利し、自公(保)で過半数を握った場合、少なくとも二十一世紀初頭は、創価学会=公明党が『日本の命運を決する』政治体制となるであろう。選挙は目前である。未来はまだ我々の手に委ねられているのだろうか」
政権欲でこり固まった自民党は政権の座にしがみつきたい一心で、800万票の組織票をもつ創価学会の首にぶら下がろうとしている。この先頭に立っているのが野中自民党幹事長である。
最近、民主党候補者が地元での演説のなかで「池田大作創価学会名誉会長と野中広務自民党幹事長の二人にこの日本を任せていいのか?」という問いかけを行うケースが増えているという。森政権を評して「嘘と腐敗と驕りの池の(野)中政権」と表現する民主党候補者もいるという。
民主党もついに公明党の甘いささやきに騙されない決意を固めたようである。
この期に及んで創価学会票を期待するような他力本願の民主党候補には未来はない。このことを理解できるようになったことは民主党にとって一歩前進である。
野中自民党幹事長がいまやろうとしていることは、自民党を池田創価学会の政治部化することである。野中自民党は池田創価学会名誉会長を事実上の最高指導者とする政治体制へ道を開こうとしているように見える。まことに愚かな行為である。
自民党の全議員に伺いたい。 自民党は、全国で800万票、1選挙区あたり2万5000票を得たいがために、自由と民主主義の政党としての自民党の魂と誇りまで売ってしまおうとしていることに気づいているのだろうか。
それとも、日本の政治を創価学会に譲り渡そうとしている「平成のユダ」野中幹事長にマインドコントロールされてしまっているのだろうか。
池田名誉会長と野中自民党幹事長の主導下にある森内閣の真の姿が明らかになりつつあることは、政治議論の一歩前進である。
国民が「自公保」連立政権の「本質」に気づけば流れは変わる。それが6月25日以前であることを祈りたい。