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回答先: ゲームは人を攻撃的に 米の心理学者が論文 投稿者 倉田佳典 日時 2000 年 4 月 27 日 19:29:33:
結論:
残虐な情報を日々取り入れることは危険だと思います。
本文:
よく「人は、自分の意思(精神)で生きている」と言われています。しかしその意思といわれているもの自体、周りの環境(情報)によって大部分が形成されているのではないでしょうか。
情報というものは、その内容の良し悪しもさることながら、「何回」その人に入ってきたかによってその人の判断や思考の傾向を強く形成すると思います。ここでいう「何回」というのは1回や5回という少ないものではなく(知覚的に意識してないレベルのものすべてあわせて)何十回、何百回あるいはそれ以上、という単位のことを指します、たとえば店に入ったときに流れているBGMなどもこれに当てはまります。自分ではそれを聞いていないように思っていても、実際はすべて聞いており、記憶に取り入れられ1回分になっているということです。これは催眠状態での実験でも確認できるそうです。催眠状態では、その人が知覚していないと思っていた、五感から摂取した様々な情報を第三者が聞き出すことができると報告されています。
「人を殺す経験したかった」という、昨日の愛知県豊川市の高校生の供述の言葉も、さまざまなメディア(映画、テレビ、漫画、ゲーム、小説その他)から垂れ流される残虐な場面の描写の「追体験」をしてみたいという欲求から生じたものだと私は考えます。
。
しかしこのようなことを書くと、「そうしたら現代の人が皆そのような行動に出るのはずではないのか」という反論が出てくるでしょう。
それに対しては、
1:行動というものは思考の一端が表出したものに過ぎないということ
2:普段の思考は顕在意識でおこなわれているということ
3:禁忌行動は顕在意識の段階では抑制できるが、窮地に追い込まれたときや極限に追いこまれたときはその歯止めが簡単に取れてしまうこと、
等から説明できるのではと思います。
そして、歯止めが取れたとき、今まで無意識レベルに蓄積されてきた情報が行動の根本的原理になるということです。
つまり今(普段)は抑制が効いているが、何か精神的圧迫(戦争、災害、事件等)により強く心が揺さぶられたとき本性(情報によって形成され続けた思考的傾向)が現れるということです。
以前、牧師が面倒をみていた不良少年たちに殴られながらも抵抗せず、結局は殺されてしまったという話がありました。これもその牧師さんが「人に危害を与えてはいけない」という情報(聖書などによる)を、「危険が降りかかったときは相手をやっつけてよい」という情報よりも多く日頃から接していたため結果だと思います。(ここでは、その牧師さんの行動の善し悪しを言っているのではなく、あくまでも情報により人間の行動規定が決定されるということを言いたいだけです)
それでは「この高校生は何か窮地に追い込まれたのか」という意見があるかと思います。
それに対しては、
この高校生の今までの生育段階において、殺人を肯定する情報が、殺人を否定する情報より多く入ってしまった。そのために殺人をしてもよいのだという思考決定傾向を構築してしまった、
というのが私の意見です。(はじめの方に書いたことです)
ちょっとわかりにくくなりましたが、結論的に、
「今まで入れてきた情報がいつ行動として発現するのか」というと、
1:窮地に追い込まれた場合
2:その情報を多く取り入れた場合
の2つに大別できるということです。
そのため
たとえたとえ現在発現していなくても、残虐な情報を日々取り入れることは、将来のことを考えても危険だと思います。「そんなに大したことでじゃないか」「イメージの世界のことじゃないか」と思えるそのちょっとした積み重ねがすべてを決定する可能性は非常に大きいと私は思います。