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1995年3月20日一歴史に残る地下鉄サリン事件が発生した。その日実は私は、現場となった霞ヶ関界隈に程近い虎ノ門に行く予定があった。暴対法についての勉強会が、虎ノ門の弁護士事務所で開かれる予定になっていたのである。ところがそこにこの未曾有の大事件発生-「えらいことが起こったな」これがご多分に漏れず、事件の警報に触れた私が最初に抱いた感想である。しかし続いて胸に湧き上がってきた思いは、一般読者諸氏のそれとはかなり掛け離れたものだったに違いない。
この事件はオウム真理教によるものだろう。これも私が、直感的に確信したことだった。これに先立つ松本サリン事件も、彼らだと噂されていたこともある。それに何より、私のアウトローとしてのカンがそう告げていたのだ。
そこで早速、オウムの広報部に電話を掛けた。オウム真理教がどう考えているのか?何を目指してこんな事件を起こしたのか?それを確認したいと思ったからだ。ちなみにこの時が、私がオウム真理教と接触をした最初である。「今私は暴対法の勉強会のため虎ノ門に来ている。だから貴方達の誰かに、ぜひここに来て話を聞かせてほしい」そう伝えると、早速女性が二人連れでやってきた。
私は待ちがねたように質問を切り出したものである。「この状況は内乱的状況だと思う。そこで、君達が考えていることを主観的でもいいから聞かせてほしい」「いえ。私達はやっていないんです」「何っ!」あまりと言えばあんまりな、とんでもない肩透かしであった。とにかく質問に対し、ひたすら「オウムは潔白だ」と繰り返す彼女達。それに私は、非常な違和感を覚えたものである。
本来左翼にしろ右翼にしろーゲリラ活動や国家転覆をやろうという組織なら、通常犯行声明を出すものだ。彼らは本来「ゲリラ活動は政治活動の延長上にある」との信念を抱いている。だから事件直後に「我々はこれこれの理由これこれの目的で事件を引き起こしたのだ」と主張して、一般大衆の支持を得ようとするものなのだ。それが、クiデタiなりゲリラ活動の鉄則である。ところがそれを否定してしまったら、その後の活動につながりはしないではないか。(序章より抜粋)
社会一般から見れば、安心材料なのかもしれない。しかし私は、それによってオウム/アレフという異質な存在が、この日本社会から失われてしまうことを懸念する。"異質"が存在するくらいが元来、健全ないい社会なのだ。何もかもが横一列に並んでしまったような均一社会の、どこに面白みがあるというのか。今の日本社会は、その"異質"を排除するような方向にばかり動いている。その気色悪さに対するアンチテーゼとして、私はオウム/アレフという教団にこれからも存続してもらいたいのだ。警鐘を鳴らし続けるガン細胞でいてもらいたいのだ。
あのサリン事件以降、オウムは何度も私をガッカリさせてくれた。そして今回話を聞いていても、話が核心に近づくたびに、どうにも空想的な地に足のついてない理論が出てきて大いにこちらを戸惑わせてくれた。麻原という男は、やはりどこまで実現性があったかはわからないがー最終的にはこの社会を転覆させることを目標に据えていたのだろうと私は思う。(後書きより抜粋)