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●以下に述べることは、まず教団の一部の者が麻原の指示で一連の事件を準備し、
実行したという「前提で(前提が気にいらない者がいるなら仮定でもいい)」で書かれている。
ただし、ひとつだけ、気になることがある。
●それは、3/22の強制捜査から、4/23の村井氏刺殺事件までの約1ヶ月の間、
麻原が普通にサティアン内を歩いていたり、愛車に乗っていたのを目撃していた
一般信者が多数いたらしいという点。
この真偽については、もしも当時の信者がいたら、発言して欲しい。
そうしないと、以下の仮説は全部崩れてしまうのでね(笑)
●つまり、報道では、麻原はこの期間「どこかに潜んで隠れている」と報じられていたが、
どうも、事実は、違うらしいのである。
●もしもこれが仮に事実だとすると、これは何を意味するのか?
麻原には、まだこの時点では、「俺は捕まらない」という絶対的な自信があった。
邪推すれば、警察から「あなたは逮捕しないから」とでも言われていたのだろうか。
でなければ、繰り返し行われた強制捜査中に、どうして彼は施設内を平気でうろつき、
さらに警察もそれを見過ごしているのか?(むろん、ここは報道と食い違うのだが)
■邪推に邪推を重ねた結果、出てきた「大邪推」は、次の通り。
1/少なくとも麻原と村井氏は間違いなく、
事件の「背後関係から末端までの全貌」を知っていた。
2/むろん一連の事件を実行したのは教団の一部の信者である。
3/ただし、教団を利用して裏で糸を引いたのは「教団外の勢力」。
4/当初は、教団が事件を実行しても、
それを「別の組織に罪をなすりつける段取りである」とでも
麻原はその勢力から聞かされていた?。
それが麻原が強制捜査中にもかかわらず、
サティアン内を彼が平気でうろついていた理由か?。
つまり「あなたは逮捕されないから大丈夫」と言われていたのだろうか?。
5/ところが村井氏刺殺事件から状況は激変した。
「どうも話が違う」と知った麻原は、この段階で隠れるように潜伏した。
6/そして5/16麻原逮捕。
「これでは話が違うではないか」と麻原は警察に詰め寄った。
「ならば、私は法廷で全てを話すからな」と麻原が裏の勢力や事件の全貌に
関する暴露をほのめかしたため、薬物を投与され、また催眠によって
口封じをされて、以後、法廷で意味不明の狂言を繰り返すことになった。
実際、彼の証言内容は「幻覚症状下の患者」のものに酷似してはいないだろうか?。
■私見を追加■
●私は、ずっと昔、オカルト雑誌にあった麻原の記事や、
彼の本も、知人から借りて読んだことはある。
大した内容ではなかったので、ほとんど興味は持たなかった。
●ただし、そうした彼の文章を見たり、報道のテレビで彼を見たかぎりでは、
あの麻原という人物は、
大変な、おしゃべりであり、気にいらない者に対しては攻撃的論調であり、
ひとつでも反論されれば、100もの理屈を述べ立てる性格のはず。
●その彼が、裁判で、宗教教義を理路整然と振りかざしたり、
無実だと主張したりせず、居眠りをして、
時には、まるで、夢遊病患者、または幻覚症のような証言を繰り返すのは何故か??
どう考えても、それらは本来の麻原の性格や気質のなせる技ではない。
多少、多重人格的な面はあるとしても、あそこまでなるものだろうか?
●以上が麻原が「薬物投与と長期催眠によって裁判で証言できなくされている」
という邪推の根拠である。
それを行っている者たちは麻原に法廷で証言をされては困ることがあるのだろう。
●そこで質問したい。
事件「前」に、麻原と接して話をしたジャーナリストや、宗教評論家の人達は、
その点については、どう思われるのだろうか?
逮捕後の法廷での麻原のあの状態を、
単なる「麻原の狂気と乱心と、不謹慎な居眠り」で果たして片付けられるだろうか?
あれは、どう考えても、薬漬け、催眠漬けの症状ではあるまいか?
●それにしても、もしも万一、この邪推が事実だったら、
事件の御遺族の皆さんは、どれほどに激怒する事だろうか。
しかし、
一体誰に対して??激怒すればいいのだろうか?・・・という疑問は残る・・・・・・・・・