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金沢城復元−すべて「忠実」は不可能に近い
(2000年1月31日/北國新聞 社説)
金沢城址公園整備事業が進んでいる。昨秋の起工式以来、工事区域も広がった。この工程の中で、石垣修復や周辺の内堀整備で「史実と違う」との声が一部で出ている。今回の工事は伝統工法で藩政時代の城郭をよみがえらせるものだが、すべて史実通り忠実に復元することは実際には不可能に近いだろう。
復元される菱櫓(ひしやぐら)・五十間長屋・橋爪門続(つづき)櫓は一八〇〇年代はじめに再建され、明治十四年の火災で焼失するまで存在した建物だ。在来工法でそっくりそのまま再現するのは理想だが▽人が入るため建築基準法に沿った安全性や耐久性が必要 ▽発掘調査でも史実が不明な部分がある―大きく二つの理由が「忠実な」復元を困難にさせている。
例えば、五十間長屋の石垣は二百年の間に中央で約四十センチ沈んでいたという。仮に石垣をそのまま在来工法で修復して上に櫓や長屋を建造すれば、後に再び歪みがでるだろう。数百年間持つといわれる石垣も、記録をたどればたびたび崩壊している。近いところでは明治四十年の、宮守(いもり)堀付近の大崩壊はよく知られている。
議論の末に石垣の内側に櫓の荷重を受けるコンクリート基礎を築くことにしたのは、藩政時代のように石垣に直接建築物の荷重をかけると、何年持つか不安が残るためだ。これは、あくまで史実を尊重し、従来の構造や形を復元しながら、それを長く維持するために現代工法を補助的に生かしたものだ。
史実そのものが不明な部分も少なくない。三の丸広場では石垣があったはずのところを発掘してみると土塁であったり、石垣の基礎だけが残っていてその上は不明だった。そうした所は時代背景や他の城郭部分から推測して復元するしかない。また、堀を復元し水をためるには防水のため石垣の裏にコンクリート壁を築く工法を採用した部分もある。当初は専門家の間で意見が対立していたものの、現代工法での支えを認めた結果だ。「史実に忠実」とは「史実を尊重して」復元することではなかろうか。
史実通りの再現では安全性が確保できない場合には、史実を尊重しながら裏から支える現代工法の導入はやむをえないだろう。今後の工事でこうした部分はまだまだ出てくると思われる。どのような技術と材料を使って復元したのか、きちんと記録し後世に残すことが重要だ。