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発行/1999年12月3日/北國新聞 社説
「法の華」事件−宗教教育の必要性を思う
宗教法人の「法の華三法行」が詐欺の疑いで強制捜査を受けた。宗教団体に対する家宅捜索としては、オウム真理教に対する捜索に次いで大がかりなものである。「宗教」を装ってなされたとされる「詐欺行為」の実態解明が待たれる。
警視庁などの調べでは、「法の華」の福永法源代表は医師の資格も病気治療の能力もないのに、「足裏診断」で「がんになる」とウソをつき、修行代名目で現金を詐取した疑いが持たれている。直接の容疑は、主婦三人から二千二百万円をだまし取ったというものだが、今後の捜査次第で被害が拡大する可能性が大きい。
何を信じようと個々人の「内心の自由」ではあるけれど、この種の事件が起きるたびに、なぜこのような団体に人とカネが吸い寄せられるのか、という不可解さがつきまとう。それを解明するために、社会的な要因究明や「信者」の心理分析がなされるが、もうひとつ大きな問題として、宗教に関する教育が戦後、教育の場からすっぽり抜け落ち、現在に至っていることを思わざるを得ない。
宗教とはどういうものか、信仰とはどういうことかについて、客観的に教え、考えさせることを学校も家庭もせずにきた。そのことの影響を考えなければなるまい。戦後教育が宗教の問題に向き合わなかったのは、戦前の反省と、憲法が信教の自由を保障すると同時に、国の宗教教育を禁じた(第二〇条)ことによる。国会で憲法論議が本格化するが、宗教教育も大事なテーマであることを、あらためて指摘しておきたい。
信仰に基づく寄付行為と、宗教に名を借りた「詐欺」の金集めは外見上、区別が難しい。警視庁は三年近い内偵を経て「法の華」の詐欺容疑を固め、強制捜査に着手した。宗教法人の所轄庁である文化庁は、宗教法人が法令に違反して著しく公共の福祉を害する行為をした時などに、業務や管理運営について報告を求めることができる。信教の自由を妨害しないよう文化庁の対応は慎重にならざるを得ないが、千人以上の人が修行代の返還を求めて「法の華」を訴えてきた事態をどう認識してきたのだろうか。所轄庁として腰が引け過ぎる印象を否めない。