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●テレビなどでも時々「最近の葬式事情」などと題して
法外な価格を設定してある葬式費用のことや、
あるいは、葬式を自分たちの手作りで演出する場面などが
放映されている。
●そんな中、今、一番人気があるのは、「自然葬」。
つまり、遺骨を数ミリという細かさにして、
山や海に遺灰として、帰す方法である。
むろん、これは合法のものである。
いくつかの、簡単な書類などは必要なものの、
自然葬を行う市民団体や業者などに委託をしなくとも、
自然葬は「全くの個人で出来るものである」ことを、
私はここ数年、提唱し続けてきた。
その詳細は、リンクしてある「完全自然葬マニュアル」を参照して
戴ければ幸であるが、以下に、実際に自然葬をした遺族の体験談を
当方のHPより、引用しておきます。
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★自然葬体験談★
「 お墓には 入らない 」
私の母が「自然葬」について考えるようになったのは、
嫁いだ家を「おいとま」して、娘である私の元に来る前後の事でした。
やはり、自分自身に万一の事があった場合の事も気になっていたのでしょう。
母は夫に先立たれた後、寂しさもつのり、
歳と共に私と生活を共にすることを強く望むようになりました。
そんな母を私の主人も、気持ち良く受け入れてくれました。
その結果、しばらく私の子供たちの面倒を見てくれたり、小さいながらも、
庭に菜園を作り、子供達と一緒に季節の野菜作り楽しんだりして、
すっかり良いおばあちゃんぶりを発揮してくれていました。
そんな母も、数年前からは病気がちになり、
特別老人ホームに身を置くようになりました。
ところで、母を受け入れるにあたっては、
もともと、母の死後の事は母本人と事前に相談をしていました。
「どこのお墓にも入らない」というのが母の望みなのでした。
「海か山にでも遺灰をまいて欲しい」というのが本人の願いでした。
そんな母が、いざ実際に他界したとき、私たち家族は、最初は海への散骨を
考えたのですが、手続き面倒な上に費用が多額なために、断念をしました。
そんな時、知人が、「完全自然葬マニュアル」の小冊子を持ってきてくれました。
私たち家族、なんの躊躇もなく、山への散灰を決めました。
その冊子の中に連絡先が記述されていた長野の田幸さんに、
すぐに連絡を取りました。
古い考え方の私の親戚の者たちは、「どこどこのお寺がいい」とか、
「お墓を新しく作るべし」とか「戒名がないと寂しい」とか、
母の死後、数ヶ月の間は、ああでもない、こうでもないと言われました。
●自然葬の実際●
さて、私たち遺族は自然葬のために一泊二日の予定を立てて
長野県に向かいました。両日とも好天に恵まれて、
地元の観光地も2個所ほど訪れました。
紅葉に色づき始めた信州の山々には、とても感動しました。
そして、近くの温泉では、久しぶりに疲れた心身をゆっくりと休めることも
出来ました。
翌日の早朝、まだ濃い霧がたち込める山間の歩道を、散歩しながら、
私たちは、散灰の場所へと向かいました。
生まれて初めての「散灰」という行事に、誰もが身が引き締まる思いでした。
作業が始まるころには、霧もすっかり晴れ渡りました。
用意して戴いていたコタツで、ひとまずお茶を戴き、
その後で、いよいよ「自然葬」の作業に取りかかりました。
「砕骨」…何もかもが初めてのことで、戸惑っている私たちに、
田幸さんは、あっけらかんとした様子で、
実に手際よく、作業の仕方を手ほどきしてくれました。
その瞬間「骨を細かくする作業は、一大事」という緊張感が私たちの中から
一気に取れてしまい、一番不安で、気がかりだった「砕骨」の作業が、
いとも簡単に出来てしまいました。
細かくなった骨は、まるで海の砂のような輝きをしていました。
こうして、母は、
黒姫山、飯網山、妙高山などの山々が見渡せて、
北アルプスのも遠望できる素晴らしい土地に、
長い間大切にしていた樹木と一緒に落ちつくことが出来ました。
きっと、母も、どんなにか、喜んでくれていると思います。
帰りには、田幸さんの思いがけないお誘いを受けて、
私も一度はしてみたい、と思っていた「リンゴ狩り」までさせて戴きました。
本当に、まるでピクニック気分の散灰でしたので、
お寺のような堅苦しさもなく、また、本当の身内だけで、
「精一杯の心のこもった葬送」が出来て嬉しく思いました。
そして、私たち遺族としては、
「母本人が望んでいた方法」で葬送が出来たことを、
何にもまして良かったと思い、全員が、深い安心感に満たされました。
自然葬の土地を提供して戴き、
そしてその方法までもを親切に教えて戴きまして、
本当に、ありがとうございました。
【平成11年11月記す】 東京在住