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No 6194
http://www.jca.apc.org/~pebble/gosen/
脱ゴー宣裁判を楽しむ会
を辿ってみると、こんなものがね。
漫画でマインド・コントロール
拙著『脱ゴーマニズム宣言』を読んだ小林氏の読者からは、「小林さんがこんなひどい人だとは思いませんでした。裏切られまし
た!」と電話してきたり、この書をきっかけに私の属する日本の戦争責任資料センターへの入会が何人もあったりで、拙著が『新ゴー
宣』によって傷つけられた「精神の解毒剤」の役割をかなり果たしてくれていることが嬉しい。
だが、最近の『SAPIO』に送り届けられる小林ファンからの「応援レター」によると、拙著を読んでいないか、せいぜい立ち読み
程度で、小林氏の漫画だけを眺めて、彼に声援を送っている人が多いようだ。自分をしっかり持った読者なら、一方だけを読まず、両方
の本を慎重に検討し、さらに他の文献や資料に当たるなどして自分の頭で判断するものだ。ところが、ファンとしての自分を否定される
のが怖いのか、それさえできない。
この事実を見るとき、漫画にマインド・コントロールされる若者の実態が浮かび上がってくる。他人の主張を自分の力で検討し直す力
もなく、方法も知らない、とてつもなく幼稚で精神的体力に欠けた青年たちである。
私が漫画を引用したことを、小林氏は「ドロボー本」と非難したが、ある小林ファンは、その言葉をそのまま口移しでオウム信者よろ
しくオウム返しして私を非難した(『SAPIO』12/ 24号70頁の欄外)。ところが、小林氏が私を「ドロボー」と呼ぶ根拠は、下
のコマによるのである。
盗っ人猛々しいとは
こういうやつのことだ
どんな専門家に確認した
のか知らないが
『磯野家の謎』以降
ブームになったいわゆる
『謎本』も 最近の
『エヴァンゲリオン研究本』でも
業界の慣例として
認められている
「部分的な引用」は
あくまでも
セリフなどの
文章部分のみ
に限られている
漫画・アニメなどのビジュアル作品などの
内容を評する場合でも
その作品の画面を著作権者に
無断で転載してはならない と
いうのは常識中の常識だ
「新ゴーマニズム宣言」第55章『SAPIO』12/26号66頁第3コマを引用)
これを眺めると、中央の五行だけが目に飛び込むように工夫されていて、背景にある多くの本は、まるですべて彼の主張の論拠と感じ
るように巧みに配置されている。一目で、「漫画の絵の引用は許されていない」と思わされる仕掛けだ。小林氏の読者は、このコマに隠
されたトリックを読み取る力がない。上の読者もそれにひっかかって私を批判した。
ところが上のコマを、文字の大小に関係なく読んでみると、「業界の慣例として」の一行があることに気付く。ならば、「漫画の絵の
引用が許されていない」のは、たんに「業界の慣例」だということになる。つまり、漫画関係者同士が、互いの権益を守るため、他の漫
画の引用を控えてきた、ということにすぎない。
したがって、これは著作権法などの法律によって禁じられているものでなく、漫画関係者が相互の権益を守り、もしそれに従わない者
がいた場合、業界の内部で仕返しするなど、閉鎖的で談合的なシキタリがあることを述べているだけなのだ。著作権法第32条は、「公
正な慣行に合致」し「報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で」「公表された著作物は、引用して利用することができ
る」と明記している(松沢呉一氏もこの点を『SPA!』誌[12/ 17号]で私の側に立って説明してくれている)。
ところが、右のコマを読み流すと、終りから三行目に「著作権」という言葉が出てくる。さらに前後のコマにも「著作権」の語がいく
つも出てくるため、知らない人は著作権法そのものにそう書いているとばかり思ってしまう。そうして心理的に圧倒されているところ
に、最後の行で「無断で転載してはならないというのは常識中の常識だ」というキメの言葉をすり込まれてナットクしてしまう。もうそ
れだけで拙著を「ドロボー本」呼ばわりする読者まで出現する。
このように小林氏の漫画は、トリックによって成り立っているのだが、こんなトリックにまんまとはまってしまう読者の方が問題かも
しれない。物事を厳密に考えたり、正確に思考する力に欠けているのだ。そして、そんな幼稚なファンの手紙を掲載して読者のご機嫌を
取り、小林教祖はひそかにニンマリしていることだろう・・ワシのトリックの腕はまだ衰えていない、だまされるヤツはわんさといるわ
い・・と。そういえば小林氏は、よくトックリ・セーターを着ている。やっぱり彼はトリック漫画家なのか?・・・・いやいや、こんな
こじつけで他人を批判してはいけない。
トリック漫画家の手口
正しいか間違っているかを自分の頭で判断する力を持たず、マンガのトリックにマンマとはまってしまう若者の特徴については、拙著
で精神的体力の衰弱として紹介した。
ここでは、前掲の『SAPIO』で、また単行本『新ゴーマニズム宣言』第4巻で、性懲りることなく小林氏が「慰安婦」の強制連行
問題について描いているので、あらためて別の角度から批判しておきたい。精神的虚弱体質の若者が、小林氏のいかなるトリックにはめ
られているかを、明らかにすることは、いずれ彼らがマインド・コントロールから覚める時に役立つだろうからである。
私は拙著『脱ゴーマニズム宣言』の中で、小林氏のだましのテクニックについて少し説明したが、全体的に彼のだましの手法を列挙す
るなら、次の四つの方法に分類される。
A、悪いイメージを繰り返してすり込む方法
B、些細な一部分を突いて全体を否定する方法
C、歪んで描いた上に、完全に間違ったイメージをすり込む方法
D、まったくのデマを、それらしく事実のように描く方法
「A」については、拙著で川田龍平君の顔の描き方などの例をあげて、かなり詳しく説明しておいた。次の二つのコマも、彼のこの手
法をよく表している。どちらも昨年2月1日の「朝まで生テレビ!」に出演した際の私の顔を小林氏が描いたものだ。左は、昨年の3月
12日号の『SAPIO』に載ったもので、ここでは私個人への批判はまだ行われておらず、そのため顔もそんなに悪くない。
ところが、右は拙著『脱ゴーマニズム宣言』への反論を彼が
描いた11月26日号掲載の「新ゴーマニズム宣言」第55章にある顔
で、その差たるや、月とスッポン、トンビと油揚げ??くらいの違いがある。彼が敵意を抱いた相手をいかに悪く描くか、よい例だ(いず
れの目隠しも引用者による)。
<現在のところ絵を略す>
(「新ゴーマニズム宣言」第37章第2コマ目を引用)
<現在のところ絵を略す>
(「新ゴーマニズム宣言」第55章『SAPIO』12/26号65頁第3コマ目から引用/)
この「悪人ヅラ」(ホントはもっとイイ男なのだっ!)を、彼は同雑誌の8頁内に、なんと25回も繰り返し、繰り返し、繰り返し、
(この間22回を割愛する)、登場させているのだ(私の「おでこ」だけと、暗くて顔がよく見えないシーンも合わせると、27回にも
のぼる!・・・いやいや、少し興奮してきた・・)。何も知らない読者に、私のイメージを、こんな顔にすり込まれてしまったのだ(ト
ホホ・・・)。
「B」は、論争では誰でもよく使う手なので、とくに小林氏独自の方法とはいえないが、「C」は、彼のもっとも得意とする手法だ。
先のコマで、業界の慣例と著作権法とを混同させるように歪んで描いた上に、最後に「漫画の絵を無断で転載してはならない」というデ
タラメをすり込む方法は大したもので、説得力があった。