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江藤淳氏、衝撃自殺!愛妻の後追い
健康害したことが引き金に?
夏目漱石論で知られ、戦後を代表する文芸評論家の江藤淳(えとう・じゅん、
本名・江頭淳夫=えがしら・あつお)さん=写真=が21日夜、神奈川県鎌倉
市西御門1−15−5の自宅で自殺しているのが発見された。66歳。江藤さ
んは昨秋、最愛の慶子夫人をがんで亡くし、自身も最近、脳こうそくで倒れて
自宅療養中だった。自宅からは「妻が死んでしまった。自分も病気があって…」
といった内容の遺書とみられるメモが見つかった。葬儀・告別式の日取りなど
は未定。
……
関係者によると、メモは自宅書斎の文机の上に置かれ、B4判の400字詰め原
稿用紙1枚に江藤さんの直筆で縦書きされていた。あて名やタイトルはなく、難
しい表現も多く含まれていたが、「妻が死んでしまった。自分も病気があって体
が思うようにいかない」といった趣旨の文章が、万年筆で5、6行書かれていた
という。文末には「江藤淳」と署名されていた。
……
江藤さんは昭和8年、東京都生まれ。皇太子妃雅子さまの祖父、江頭豊・元チ
ッソ社長のおいにあたる。慶応大学文学部在学中の31年、従来の漱石神話を
破り、作家の実像に迫った「夏目漱石」で評論家としての第一歩を踏み出した。
さらに37年に発表した「小林秀雄」で新潮社文学賞を受賞、戦後を代表する
文芸評論家としての地位を築いた。
……
作家、瀬戸内寂聴さんの話 「常に鋭く正確でかつ公平な批評を行い、小林秀
雄亡き後、批評家として大きな柱となっていた。江藤さんに『この作品はだ
め』といわれると、どんな作家でもシュンとなってしまうような存在感の大き
な人でした。文壇もこれで寂しくなります。若いころは気鋭の批評家として見
上げるような方でしたが、最近ではとてもやさしいお顔になられたのが印象的
です。愛しておられた奥様が亡くなられた寂しさのなかで、『幼年時代』とい
う自身を振り返る作品を書くという生活には耐えられなかったのではないで
しょうか。惜しい人物を亡くしたという気持ちと、これで楽になったのではと
いう気持ちもあります」
評論家、吉本隆明氏の話 「江藤さんは現在の日本で最大の文芸批評家だった
と思う。実年齢は私が少し上だが、批評家としてはほぼ同時期にスタートした
ので、お互いに同世代という意識でやってきた。彼は保守で、私は左翼的とい
われたりもしたが、実のところ、お互いに全く違った場所から、同じ問題に向
き合ってきたと感じる。
大先達の小林秀雄をどう超えられるかと、考えに考えて、言語論からの文芸批
評にたどり着いた。それが彼にとっての『作家は行動する』(昭和34年)
だったろうし、私には『言語にとって美とはなにか』(40年)だった。文芸
だけでなく、政治や時事的評論も同時に行う姿勢も、私たちの世代の特徴かも
しれない。
江藤さんは明らかに保守の論客ということだが、その保守性は、論のラジカル
さとちっとも矛盾しなかった。それは、彼がイデオロギー的に保守や進歩を裁
断したりせず、公式的な教条とも無縁だったことと関係している。つまり、彼
の本質は、あくまで文学にあったということだ。意見が異なろうが、大変信頼
できる人だったのも、そういうところがあるからだった」