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回答先: ケネディ暗殺のロシア機密文書、エリツィン大統領がクリントン大統領に 投稿者 倉田佳典 日時 1999 年 6 月 21 日 08:09:26:
◎陰謀説に新たな光? ケネディ暗殺のロシア資料
【ワシントン22日共同】エリツィン・ロシア大統領が20日の
首脳会談でクリントン米大統領に渡した、ケネディ大統領暗殺に関
するロシア側資料は、暗殺犯とされるリー・オズワルドのソ連滞在
中の言動などを記録しており、米国にくすぶる暗殺陰謀説に新たな
光を当てるものと期待されている。
資料はソ連の国家保安委員会(KGB)がオズワルドについて集
めた80種類。
オズワルドは海兵隊除隊後、1959年から暗殺事件を起こす前
年の62年までソ連に亡命し、白ロシア(現ベラルーシ)の首都ミ
ンスクでロシア人と結婚し暮らした。
この間KGBはオズワルドが米中央情報局(CIA)のスパイで
はないかと疑い、盗聴したり近隣者を通報者に仕立てるなどして身
辺調査を続けた。
オズワルドは社会主義に共鳴しソ連に亡命し、その後絶望して米
国に戻ったとされるが、ソ連滞在中に大統領暗殺に至る動機を形成
した可能性が指摘されている。
大統領暗殺の資料を収集した米国の「暗殺記録検討委員会」は9
6年にロシア側にKGB資料の提供を求めたが、拒否され、米国務
省が正式に協力を要請していた。
資料には、ケネディ暗殺事件に対する当時のソ連のフルシチョフ
政権の反応なども含まれているとみられる。
オズワルドが逮捕後に犯行を一貫して否認し、逮捕から2日目の
移送の際にナイトクラブ経営者に銃殺されたことや、キューバ危機
(62年)以来のケネディ大統領の対ソ和解政策が米右派に嫌われ
ていた歴史的事実から、今でも米国民の間には暗殺陰謀説が根強く
残っている。 (了)
[共同 6月22日] ( 1999-06-22-14:50 )