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回答先: スカリーの円盤物語とFBI 投稿者 SP' 日時 1999 年 6 月 04 日 20:20:44:
…軍のレーダーに謎の飛行物体が捕捉された記録は他にも残っている。当時の国務長官、ディーン・G・アチソン氏の『プレゼント・アット・ザ・クリエーション−州政府時代をふり返って』という回想録の中に、その日の朝の出来事について触れられているのだ。
「1950年12月6日、英首相が訪米して3日目の朝だった。国務省に出勤すると、ロベット国防副長官が私に電話で大統領の指示を報告してきた。
『朝早く、カナダのレーダーがUFOの編隊をキャッチした。南東に向かっているので、多分ワシントン上空を2、3時間後に通過するだろう。全ての防衛システムと迎撃システムは緊急警戒体制に入った。が、この事は英首相には伝えるな。ペンタゴンの電話は今、緊急防衛の為に回線を開けているのみで、既にシャットアウトされている』というのだ。
国防省から電話してきたロベットも『もう二度と電話できないだろう』という。私は電話を切る前にロベットに『それはソ連の秘密兵器か』と尋ねてみた。『違うと思います』と彼は答えた。私はオリバー・フランクス英国大使にこの件を伝えた。すると彼は『11時半から予定されているアトリー首相と大統領の会談もキャンセルするつもりか』と尋ねてきたので、『それはない』と答え、会談を予定通り行う事を約した。電話を切ろうとすると、大使は『なぜ、そんな重大な大統領の指示を自分に伝えたのか』と訝しがった。私はただ単に一応、用心して貰ったほうがフェアだと思ったからと答えておいた。
電話を切ったすぐ後に、高級官僚の1人が慌てた様子で、私の部屋に飛びこんできた。彼は一体どこからその情報を仕入れたか判らなかったが知っていた。多分ペンタゴンからだろう。彼は『地下室にある重要なファイルを持って町を逃げるよう妻に指示したいので電話させて下さい』と願い出たのだった。私は許可しなかった。これは最高機密なのだと私がいうと、彼は落ち着きを取り戻し、納得した。
私がホワイトハウスに駆けつけた時、ロベットの報告によれば、既にUFOは消えたとの事だった。あれは、ガチョウが群れをなして上空を飛んでいたのをレーダーが間違えてキャッチしたにすぎない、という事になった」
この朝のUFO騒動は、世界を動かした6人の賢人を取りあげた『ザ・ワイズメン』という本の中にも載っている。アチソンも賢人の1人として登場しており、同じエピソードが綴られているのだ。アチソン国務長官にとって、12月6日の朝の一件は余程印象深かったのだろう。
まだある。アチソン国務長官の回想録に触れられている、11時半から行われたトルーマン大統領とアトリー首相の会議録だ。こちらは機密解除になったれっきとした公文書である。
ここには、大統領と首相の会談中に、ロベット国防副長官がトルーマンに報告に現われた件が記されている。ロベットは、大統領にこう告げた。
「合衆国の北東海岸を接近中だった未確認飛行物体に対する警戒体制は解かれました。あれは大気層の異常によるものでした」
軍の関係書類からも、緊急警報に関する公文書が発見されている。日付は同じく1950年12月6日だ。
国防長官に宛てた空軍の緊急報告についての覚え書き。作成者は恐らく空軍の一員とみられる、カーネル・クレプス大佐という人物だ。
SUBJECT: Air Alert - 1030 hours, 6 December 1950
1. The ConAC Air Defense Controller notified the Headquarters USAF Command Post that at 1030 hours a number of unidentified aircraft were approaching the northeast area of the United States and that there was no reason to believe the aircraft were friendly.
2. This information was further amplified at 1040 hours as follows. By radar contact it was determined that approximately 40 aircraft were in the flight, at 32,000 feet, on a course of 200 degrees, in the vicinity of Limestone, Maine.
3. The emergency alert procedure went into effect immediately.
4. The Office of the President was notified, Brigadier General Landry returned the call and stated that the President had been notified and that:
a. All information in this matter was to be released by the Department of the Air Force.
b. Office of the President would release no information.
c. The substance of a and b above was to be passed to the Office of the Secretary of Defense.
5. At 1104 hours the ConAC Air Defense Controller stated that the original track had faded out and it appears that the flight as originally identified is a friendly flight.
6. ConAC took immediate action to dispatch interceptors on the initial contact.
(中略)
1950年12月8日付のニューヨークタイムズ−。
「7日、アラスカ、アンカレジ発UP電
アラスカにおける全ての軍人は7日夜、緊急厳戒体制に入った。しかし、空軍担当者は、これは緊急事態を想定した予行演習と説明している。昨夜は、MPが町中をうろついている兵隊や、劇場、映画館にいる兵隊をかき集める光景がみられた。また、ラジオや映画館では、外出している軍人は全て基地へ帰って各自部署につくよう、繰り返し特別放送が流された。その結果、数時間後には、アンカレジの町には軍関係者の姿は全くみられなくなった。これは朝鮮戦争以来の緊急警報だ、とエムレンドール空軍基地に近い筋は語っている。
7日の午後はジェット機がアン
カレジ市上空をひっきりなしに旋回し、夜は夜で空軍基地ではいつでも発進できるよう、ジェット機がエンジンをふかしていた為、一晩中ゴーゴーというエンジン音が響き渡っていた」
同じく12月8日付のワシントンポスト紙でも、同様の報道がなされていた。ワシントンポストはその後もこの事件を追っている。12月9日付の続報で軍のクリスマス休暇が取り消しになった記事が掲載されているのだ。
「トレーニングキャンプ中の軍人達に対する10日間のクリスマス休暇は昨日、取り消された。クリスマス当日と元旦以外はトレーニングを続けるとのお達しが出されたのだ。軍の説明によると帰郷を嘆願する者には休日に限って、基地を離れる許可は降りるだろうとの事である。軍は11月11日に、12月23日から1月1日までは休暇を与えると発表していた」
クリスマス休暇は、アメリカ人にとっては、何よりも優先されるべき休暇だ。あのベトナム戦争の真っただ中でさえ、一時休戦してクリスマス休暇をとっていたぐらいである。(中略)ワシントンポストは翌10日付の新聞にも、緊急事態に突入している事を米政府も認めているという記事を掲載している。
「昨日、国防長官のジョージ・C・マーシャル将軍は、『トルーマン大統領は国家緊急事態について、非常に深刻に受けとめている』と語った。上院予算委員会の軍事部会はマーシャル将軍の要請通り、供給基金から18億ドルを直ちに支出する事を要求している」
ワシントンポストはこの記事に注釈として、「これは、6ヵ月前に始まった朝鮮戦争を多少反映したものだろう」という文章を付け加えている。(『MJ-12の秘密』p144-151)
1950年4月4日の記者会見で、ハリー・S・トルーマン大統領は異例な声明を出した。「確かに空飛ぶ円盤は存在し、これらは地球上の力で作られたものではない」(『UFO百科事典』p244)
1952年4月、アーサー・ラドフォード提督は海軍の飛行機で海軍長官のダニエル・キンボールの乗った先頭機の後ろを飛んでいた。両機はハワイへ向って飛行中、UFOに近接遭遇した。(p402)
1950年代前半、元米防空司令部司令官ベンジャミン・チドロー将軍が「空飛ぶ円盤に関する報告書は数多く存在する。円盤を迎撃しようとした人間や飛行機の多くが行方不明になっている事を考えると、この問題は真剣に受け止めなくてはいけない」と発言したと記録されている。(p219)
空軍大将ダウディング卿は、第二次大戦で英国空軍の司令官だった。1954年8月、「勿論空飛ぶ円盤は実在する。しかも惑星間飛行をしているだろう」そして「UFOが存在するという証拠は合計すると凄まじい数になるのだから、私はUFOが存在するという事実を受け入れる」と発言した。(p211)
第一次大戦の空の英雄、エディー・リッケンバッカー大尉は、空飛ぶ円盤の存在を支持している大勢の見識のある人々の側に加わっている。大尉は、「空飛ぶ円盤は実在する。余りにも多くの良識ある人間が目撃しており、彼らは妄想など抱いていないのだから」と述べている。(p411)
マウントバッテン伯爵は、英国海軍将官で、第二次大戦中には東南アジア連合軍最高司令官を務めた事もあり、国防参謀長官にしてインド最後の総督でもあったが、1955年2月、ハンプシャー州のブロードランドにある自分の領地内に空飛ぶ円盤とその乗組員が着陸した時からUFO研究者に転じたと言われている。
伯爵は、領地で雇っていたレンガ積み職人フレデリック・ブリッグズの報告を自ら調査し、目撃者の主張を裏付けている雪に残された跡を調べた。伯爵は目撃者について「妄想を抱き易いタイプだという印象は受けず、どうみてもそうした話をでっち上げるような人間には見えなかった。話をした時の誠実な様子から、彼自身、自分の言っている事が本当であると信じていたと思う」と述べている。(p353-354)
米国で最も有名な元帥の1人、ダグラス・マッカーサー元帥は、惑星間現象調査団の設立(1947年、マーシャル大将。p433)に関与したと信じられている。この団体は、墜落した空飛ぶ円盤の機体回収調査の為に創設されたと伝えられている。
1955年、彼はその地位にありながら第三者に対して驚くべき発言をし、惑星間現象調査団は、明らかにされた以上の事を暴露しているに違いないという強い推測を生んだ。マッカーサーは次のように述べている。「世界中の国々は、余儀なく統一させられるだろう…。次の戦争は惑星間戦争になるからだ。地球の国々はいつか他の惑星の攻撃に対する共同戦線を張らなければならなくなる」(p361)
1957年、空軍のジョー・W・ケリー少将は空軍がUFO追跡に取り組んでいる事を認めた。彼はこう述べた。「空軍迎撃班は、この国の防衛問題として未確認飛行物体の追跡を続けており、関連する技術の側面を特定するつもりである」
ここで暗示されているのは、目撃報告に対する説明として、物理的な説明、恐らくは地球外生命の存在を真剣に考慮していた、という事のようである。(p134)
1957年9月、ブラジルのウバトゥバで空飛ぶ円盤が墜落、爆発し、残骸が飛び散ったという報告があった。
これを回収し、分析すると、その物体は我々が作り出すものより高純度のマグネシウムから作られている事が判った。こういった理由で、地球外生物説の発端は目撃された飛行船だと言われてきた。
他のケースからも、UFOは純粋なマグネシウムからできている事が判り、ウバトゥバの回収がより興味深いものとなっている。しかし、この事件は有名ではあるが、決定的なデータは具体的に出てこなかった。物体の破片は今ではなくなってしまったと信じられている。(p68)
アリゾナ州ツーソンに本部を置く空中現象調査機構(APRO)の共同代表コラル・ロレンゼンの元に、当時同機構のブラジル支部長で、ウバトゥバ上空で空中分解したらしい小型UFOの金属破片を所持していた故オラボ・フォンテス博士から、示唆に富んだ手紙が送られてきた。
1958年2月27日付のその手紙には、2人の男がフォンテス博士を訪問し、海軍情報部員である事を示す身分証明書を見せた時の様子が、詳細に説明してあった。2人は博士に、貴方は知るべきではない事柄を知り過ぎてしまった、と告げたという。そして、金属片を持っていると、貴方の身に危険が及ぶかもしれない、と警告した。
2時間程の間に、2人は驚くべき情報をフォンテス博士に明らかにした。その内容を11の要点に纏めて以下に示しておく。
1.世界諸国の政府・軍当局が空飛ぶ円盤は実在する事、そして、その実在を証明する確かな証拠が存在する事を知っている。
2.これまでに墜落した6機の円盤を、当事国の軍隊と科学者が、回収の上分析した。極めて厳重かつ非情な機密保持工作を行って、その事実が決して明るみに出ないようにしながら。アメリカに墜落した3機は、良好な状態だった。円盤は何れも小型(各々直径10、22、29m)だった。
全ての墜落事件で、乗員の死体が発見された。乗員は“小人”で、身長は81から117cm。何れの事件でも墜落時の衝撃で死亡していた。調査の結果、乗員は確かに“ヒューマノイド”だが、明らかに他の惑星からやってきた生物だと判明した。どの円盤も各部分を組み合わせた極めて軽い金属製の船体で、深い溝にはめこんで基底部の周囲に固定されるという構造をしていた。機窓に未知のタイプのガラスがはめこまれている機体もあった。また機内からは、多様な種類の未知の物質が発見された。
3.墜落円盤に搭載された装置・機器類を調査した結果、極めて強力な電磁場を推進力に利用している事が判明した。その電磁場は高電圧で、回転し、振動していた証拠があった。そのような力場が、まだ解明されていない何らかの重力効果を生じさせるのは明白である。
4.宇宙機は全て慎重に解体され、分析された。だが科学者達は、どのようにしてその力場が発生するのか、凄まじいエネルギーが放出されるのか、という問題は解決できなかった。一部のUFOは、ある種の原子力エンジンを用いていた可能性もある。また、ある種の電波ビームを使って、より小型の円盤に動力を転送できるUFOの存在が明らかになった。大規模の衛星を使えば、電波ビームを通じて多数の円盤に動力を供給できるだろう、と科学者達は考えた。
5.原子炉から得られるエネルギーを直接電力に変換できる方法が見つかれば、このテクノロジーを再現できる、と科学者達は考えている。
6.この宇宙からの来訪者に近づくのは危険で、攻撃すると反撃してくる。わが国は、UFOを撃墜しようとして、既に多数の航空機を失っている。現在に至るまで、わが国には彼らに対抗する手段が全く無いのだ! UFOの運動能力はいかなる戦闘機をも上回るし、誘導ミサイルもその最高速度を超えるスピードで飛ぶUFOには全く無力だ。第一、UFOは電子装置に干渉して、誘導ミサイルを発射直後に無力化してしまう。
UFOは、電子システムヘの干渉によって、軍用機や旅客機のエンジンもストップさせ、墜落させている。円盤が発した一種のビーム兵器によって空中分解したジェット機もある。このビームが、超音波によってどんな金属構造の分子結合力でも消滅させてしまう兵器である事を暗示する証拠もある。またUFOは、我々のレーダー・システムや無線やテレビ装置を故障させ、発電装置をショートさせる手段も持っている。
7.UFOは、これまでのところ、我々とコンタクトしようという意思を全く見せていない。
8.全世界の政府と軍当局は、状況を知らされている。諜報活動と、この問題に関する新たな展開を話し合う為の定期的な極秘軍事会議を通じて、情報が交換されている。
9.軍が収集したUFO関連情報は、機密扱いにされたり、公式の使用に限られるだけではない。極秘扱いになるのだ。従って、文民の高官や軍の将校だからといって、必ずしも知る事ができるとは限らない。
10.全世界の軍当局の意見は、国民にはこの問題を一切知らせるべきではない、という点で一致している。そのような知識は、世界を震撼させ−将来、長い年月に亘って諸国民の生活を麻痺させかねない、と一部の軍事グループは信じている。
11.大衆から真実を隠す為、慎重に計画された検閲が、ここ数年間行われている。円盤問題全体を完全否定する方針は、この為に我々が用いている武器である。嘲笑は、大衆に秘密を暴露しようとする者の殆どに対して有効な手段であるが、他の方法が必要な事もある。それらの方法は、専ら、万が一公になったら大衆の目を開いてしまう恐れのある証拠の所持者に対してとられる。
一部の国では、彼らを沈黙させる為に実力が行使されている。それが不可能なら、証拠を無力にする為のあらゆる方策が用いられる。
幾つかのケースでは、残念ながら、暴力を利用するしかなかった。遺憾ではあるが、選択の余地はなかったのだ。
我々は、いかなる代価を支払おうとも、この秘密を保つつもりでいる。我々は、国民の、所謂「侵すべからざる権利」などに関心を持っていない。正しかろうが間違っていようが、我々−軍部−にはやるべき仕事を断固として遂行する覚悟があり、誰も我々を止める事はできないのだ!(『異星人は地球にいた!』p34-38)