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「イスラエルで最も多くの勲章を受けた兵士」−。十七歳でイスラ
エル軍に入隊したバラク氏は、三十六年の軍歴を積み、軍トップの参
謀総長を経て一九九五年、労働党から政界入りした。内相、外相を経
て九六年の首相公選でペレス首相が敗北したのを受けて、翌年の党首
選で党首に就任した。
政界での経験はまだ浅いが、故ラビン首相にかわいがられ、労働党
内での立場もラビン首相に近い右派。イスラエルの中では「ハトの中
のタカ」と位置づけられる。
ネタニヤフ首相のような雄弁さはないが、軍人らしく沈着冷静で分
析力にすぐれているとの人物評で、「平和も欲しいが安全保障も重
要」という一般的なイスラエル人が最も信頼を寄せるイメージを、う
まく有権者に印象づけることに成功した。
若くして特殊部隊の司令官として頭角を現した。七二年のパレスチ
ナ・ゲリラによるハイジャック事件の乗客救出作戦では、司令官とし
て当時特殊部隊にいたネタニヤフ首相を指揮した。女装して部隊を率
い、レバノン・ベイルートに侵入し、パレスチナ人テロリストの暗殺
作戦を遂行したこともある。
イスラエルの伝統的な指導層であるアシュケナージ(ヨーロッパ・ロ
シア系ユダヤ人)移民の家庭に生まれ、社会主義的な価値観を体現した
イスラエルのキブツで育った。宗教的な観点から占領地のヨルダン川
西岸をイスラエル固有の領土と考える「大イスラエル主義」を唱える
右派とは一線を画し、安全保障を重視しながらも、パレスチナ人との
和平を進めることを公約している。エルサレムのヘブライ大学で物理
学と数学を学び、八〇年代には軍から派遣され、米スタンフォード大
学で「システム分析」の修士号を取得。九一−九四年の軍参謀総長時
代は、中東最強といわれるイスラエル軍の近代化と戦略見直しに取り
組んだ。
一九四二年、テルアビブ北のネタニヤに近いキブツ「ミシュマル・
ハシャロン」生まれ。ナバ夫人との間に三人の子供がいる。五十七
歳。
(エルサレム 村上大介)