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◎流浪するコソボのジプシー アルバニア系に追われ
ユーゴスラビア・コソボ自治州を追われたアルバニア系住民に混
じってマケドニアに逃れたロマ(ジプシー)が、難民キャンプでア
ルバニア系住民から排斥され、マケドニアのロマ居住地区に身を寄
せるケースが相次いでいる。差別のため、支援物資が行き届かず、
劣悪な環境で避難生活を送っている。
北大西洋条約機構(NATO)に「民族浄化」の被害者と断定さ
れているアルバニア系住民が、さらに弱い立場の少数民族を追放す
る構図は、空爆後に一層激化した民族対立を浮き彫りにしている。
コソボ難民であふれるマケドニア北部ステンコベツの難民キャン
プに滞在していたロマ兄弟のブラヒム・ゴリチ君(17)とバイラ
ム君(6つ)は4月上旬、スコピエ郊外のロマ一家に引き取られた。
2人はコソボ南部のウロシェバツを追われてステンコベツの難民
キャンプにたどり着いた。最初はアルバニア系住民3人と同じテン
トで数日寝泊まりしたが、やがてテントを追い出された。食料配給
の列に並んだが、アルバニア系住民に追い散らされ、パンを手にで
きなかった。
「キャンプでは2日間、食べ物も寝場所もなかった」。ブラヒム
君はNATO空爆後、アルバニア系住民が怖くなり、難民キャンプ
にも、コソボにも戻りたくないと言う。
コソボからのロマ難民の一人、ジェマイル・アデミさん(40)
は、スコピエ市内のゴミ廃棄場そばの掘っ立て小屋で暮らしている。
アデミさんは「空爆やユーゴ軍も怖かったが、アルバニア系住民が
一番恐ろしかった。コソボから24時間以内に出て行けとアルバニ
ア系住民に脅された。」と話す。
空爆開始後、ベオグラードに住むロマの一部がセルビア人主催の
反NATO空爆集会に参加したことから、コソボのアルバニア系住
民の怒りの矛先がロマに向けられたという。
コソボには空爆前、人口の2%、約4万人のロマが住んでいたと
推定される。
ロマ難民の世話をしている非政府組織(NGO)のアズビヤ・メ
メドバさんによると、マケドニアにコソボから約1500人のロマ
が逃れた。アルバニア系住民に紛れ込んで難民施設で暮らしている
ジプシーの実態は把握できていないという。
メメドバさんは、4人の仲間とロマ難民に休日返上で難民に食料
を届けているが、「ロマへの偏見もあり、援助物資や資金の確保が
難しい」と話している。(スコピエ共同) (了)
[共同 4月27日] ( 1999-04-27-15:14 )