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Gooの産経新聞ニュース速報から転載
> ■「将校育成頼む」 明治天皇熱望
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> 日本陸軍育ての親、ドイツ軍人メッケルの「報告書」を入手
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> 【ベルリン19日=関厚夫】明治時代に来日し、創成期の陸軍大学の教官を務めたドイツ
> 軍人、ヤコブ・メッケルが、明治天皇や皇后に会ったさいの印象などを記した報告書(コ
> ピー)を産経新聞は十九日までに入手した。メッケルは「日本陸軍育ての親」ともいわれ、
> 故司馬遼太郎氏の代表作で本紙で再連載されている「坂の上の雲」にも登場する。陸軍育
> 成にかける明治天皇の姿や、新興国、日本を舞台に欧州列強が展開する主導権争いなど激
> 動する明治時代の断面が貴重な資料によって明らかになった。
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> メッケルは独陸軍参謀少佐として明治十八年(一八八五年)に来日。三年間、日本陸軍の
> 参謀本部顧問や陸軍大学の教官を務め、フランス式からドイツ式に転換する時期の陸軍に
> 大きな影響を与えた。日露戦争(一九〇四−五年)における日本の勝利はメッケルの功績に
> よるところが大きいともいわれる。
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> メッケルは帰国後、報告書を記した。報告書の原文は第二次世界大戦で焼失したが、コ
> ピーをメッケルの親類にあたる独日経済協力促進事務所のアンドレアス・メッケル所長が
> 保存していた。
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> 報告書によると、メッケルは来日後間もなく明治天皇と会見。天皇について「非常に立
> 派なひげをたくわえた中年の男性で、顔色は青白くみえた(日本では青白さは美の象徴で
> ある)」と記している。
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> 明治天皇は「陸軍大学を創設することを決意したが、これは将校たちに高度な軍学を身
> に着けさせるためである。陸軍大学の水準を完ぺきの域まで高めることをお願いする」と
> メッケルに語っている。
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> また、明治天皇は陸軍大学でのメッケルの授業を参観した。メッケルは作戦表や地図を
> 用いるというドイツ式の実戦的な講義を行ったが、これは当時の日本では初めてのことで、
> 「明治天皇は非常な興味を持ち、続きを宮廷で勉強したい、と述べた」という。
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> この後、メッケルは明治天皇との午さん会に招かれた。天皇はよく飲み、よく食べた。
> またワインをソーダ水で割って飲む好みがあり、「食事中はほとんど語らないが、(他人の
> 話すことは)よく聞き、冗談には声をあげて笑った」と観察している。
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> 食事の後、ミルクと砂糖が入っているコーヒーが出た。ところが、誤って砂糖の代わり
> に塩が入っていたため、明治天皇は二口飲んだ後、憤然として席を立ち、午さん会は散会
> となった。
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> 「塩コーヒー」を飲まなかったメッケルは後で事情を知らされたが、複数の日本人は
> 「もし明治維新前にこのような事件が起きたら、間違いなく宮内省関係者の多くが切腹し
> なければならなかっただろう」と説明したという。
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> 一方、当時来日中のフランス、オランダ、イタリア各国の将官はこれまで会見の機会が
> なかったために政府側はメッケルの会見が「国家的なねたみを買うのでは」と心配した。
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> メッケルは鹿鳴館で催された春の園遊会にも招待された。当時、宮内卿を務めていた明
> 治の元勲、伊藤博文のはからいで、体調不良を訴えて欠席した明治天皇に代わって会を主
> 宰した皇后に紹介された。これをみた列強各国の将官はわれもわれもと会見を願い出たた
> め、メッケルは「結局、日本人に理があった」と感想を漏らしている。
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> 伊藤隆・政策研究大学院大学教授(日本近代史)の話 「メッケルというドイツ人から見
> た明治天皇の生の姿を知ることができ、興味深い。また『国家的なねたみ』については日
> 本に食い込もうとする列強の緊張した関係がうかがえる」
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> 【ヤコブ・メッケル】(1842−1906)ドイツ西部ケルン生まれ。市民階級の出身だったが、
> 「近代独陸軍の父」と呼ばれるモルトケ参謀総長に認められ、陸軍大学教官や参謀本部勤
> 務など要職を歴任した。御雇外国人として1885年(明治18年)−88年まで滞日し、日本陸軍
> の軍制改革に大きな影響を与えた。帰国後は少将に昇任したが、突如職を辞任した。わが
> 国を「第二の故郷」と呼び、存命中は日本人の訪問客が絶えなかった。音楽・文学的才能
> にも恵まれ、オペラや詩を発表している。
ヤコブ・メッケルに関する詳細情報お持ちの方いませんか?