太田龍「悪魔学としての西洋哲学を超克する」より


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投稿者 にゃにゃ 日時 1999 年 1 月 09 日 21:06:41:

回答先: マンリー.P.ホール「象徴哲学大系I」より 投稿者 にゃにゃ 日時 1999 年 1 月 09 日 21:05:19:

 四、

 「西洋哲学」の目で日本人の心性、心理を観察すると、まさに、
アニミズム(人類の精神史では、数百万年か、数十万年もさかのばる、もっとも原始的な時代の
水準、と定義される)に相当する。
 animismは、物活論(自然物にはすべて霊魂が内在するという信仰)、
と、英和辞音に訳されている。
 哲学上の用語では、物活論(hylozoism萬物有生論)、物質は無機物でなく、生命をもつという
説、
とある。
 アニミズムのもとのことばは、
Animaであるが、

 これは、生命、意識、霊魂、の意味だという。
 右のアニミズムの定義では、
 (1) 自然物に、霊魂が内在する、と言う説(宗教)と、
 (2) 物質は、生命を持つ、と言う説(哲学)と、
やや異なる、二系統が示されている。
 「自然物」と「物質」は同じものか。
 どちらも、明治以前の日本語ではあるまい。
 そもそも、
 「物活論」などと言う、妙チキリンな日本語は頂けないが、仕方がない。
 日本人は江戸時代迄、
 宗教的には、万物に霊魂が内在する、と信じ、哲掌的には、物質は生命を持つ、と認識した。
 ところが、西洋の学問によると、
 アニミズムは、狩猟と植物採集時代(考古学者は、旧石器時代と新石器時代に分けるが)の知的
段階である、という。
 日本以外の地域では、新石器時代の末期に、狩猟採集民の一部は、畜産の初歩、即ち、羊、山羊、

牛、馬、ブタなどの遊牧生活を始めた、
と記録されている。
 あきらかに、その結果、アニミズム的精神が衰亡するのである。
 家畜に、霊魂を認めるわけには行かない、ではないか。
 飼い主たる人間は、家畜に対して絶対的権力者でなければならない。
 既にここに、我々は、アリストテレスの階級構造の萌芽を見出す。
 西洋人はこれを「文明の始まり」、
などと定義する。
 かくして、自然崇拝宗教(アニミズム)は時代遅れと成り、
 畜産を土台とした「文明人」は、多神教の時代に究入してゆく。
 多神教の時代はまた、神々の闘争時代(神々の間で、弱肉強食的生存競争、勝ち抜き戦が行われ
る)の幕あき、でもある。
 そしてその挙句の果てに、幾つかの「一神教」が出現し、更にその先に、人間理性が開花して、
今日の如き西洋の哲学と科学技術時代に進化した。

 五、

 こんな風に、日本人は教えられ、なんとなく、そう、思い込んでいる。
 けれども、これは違う。
 この図式は、本物の西洋史と、似ても似つかない。
 「日本が知らないもうひとつのヨーロッパ(上)」「狂気」が「正気」を生んだ。(栗本慎一郎、
河上倫逸、丹生谷貴志、山口昌男」、(カッパ・サイエンス、光文社、「栗本慎一郎『自由大学』
講義録」)という著作に、「グノーシスー狂気と正気のはざまで」(丹生谷貴志、神戸市外国語大
学助教授)、がある。
 グノーシス(Gnosis)は、もともと、ギリシャ語で、知識を意味する、ごくあたり前のことばで
あった。
 英語では、Gを発音せず、ノーシス、と表記する。英和辞昔には「神秘的直観」と訳されている。
 西暦元年前後から四〜五世紀頃(つまり、古代ローマ帝国の全盛期から没落、キリスト教が伸長
してゆく時期)、ヨーロッパに、グノーシス主義、グノーシス派と呼ばれる運動が出現した。
 グノーシス主義とアリストテレス哲学は、殆ど全く同じものと言ってよい。

 グノーシス流は、キリスト教会と激しく葛蔑しつつ、その中に入り込み、
 ルネッサンス、啓蒙主義に於いて、西洋思潮は決定的にグノーシス的に成った、
 グノーシス主義は、純枠の唯物論である。
 現代西洋文明は、著しく、グノーシス的時代である、
と言った具合に、前出の円生谷貴志論文は説明してくれる。
 明治以来、「グノーシス主義」は、日本人が、もっとも苦手とした領域の一つだ。
 日本人キリスト教徒の視野にも入らず、
 西洋哲学専門家も知らない。
 ようやく、敗戦占領下、日本民族が気付かないうちに、まっくろなグノーシス的悪魔主義の毒が、
全身に滲みわたるようになってから、
 数人の学者が、西洋の膨大なグノーシス文献の、ほんの一部を研究し、日本人に紹介し始めた(
柴田有著「グノーシスと古代宇宙論」、柴田他訳「ヘルメス文書」)。
 前出、丹生谷貴志氏は、東京芸術大学美術学部出身、とあるから、「西洋美術史」研究の視点か
ら、グノーシス問題に近づいたのであろう。
 近年(この二、三十年来)、日本のキリスト教会関係者が、グノーシス派に論及しているかどう

か、私はいまだ調べていないが。

 六、

「科学崇拝は、グノーシス主義的秘密組織によって、ルネサンス期に推し進められた。この秘密
組織の中心思想は、『全能』の人間の知力を介入させることによって、『欠点だらけ』の創造を『
完壁』なものにするという、胡散臭いものだった。そして、このようなルネサンスの魔法じみた伝
統が原因となって誕生したのが機械と公害と醜悪に満ちた奇怪な世界(今日の西洋文明にくまなく
浸透された地球)なのだ」(マイケル・A・ホフマンニ世著、藤岡、村上訳「フリーメーソンの操
心術」、六十八、九頁、青弓社、平成八年二月、原著題は、「秘密結社と心理戦争」、一九八九年)
との叙述は、きわめて興味深い。
 ここに、
 「グノーシス主義的秘密組織」なるものが登場する。
 日本語で出版されている関連学術文献を細大もらさず読んで見ても、多分、「ルネッサンス期の
グノーシス的秘密組織」なるものについて、ただの一行の説明も、発見することは出来ないであろ

う。
 それでは、M・ホフマンは、根拠のないデタラメを放言しているのか。
 そうではない。
 「科学主義的〔グノーシス的〕哲学の下で、神を気どる人間たちが信奉する教義は、堕ちるとこ
ろまで墜ちた観がある。科学主義的〔グノーシス的〕哲学は、人間を精神的、肉体的に完全に奴隷
状態にしてしまった。人工衛星やコンピューターによる監視システムを構築したテクノロジーも、
奴隷化を招く道具なのである」(前出、七十頁)、
と、M・ホフマンは宣言する。
 「神を気どる人間」、
とのことばが出てくる。
 「全能の人間の知力」、
 これは「全知全能の神」、
を連想させる。
 これらは、すべて、グノーシス主義の中核的概念である。
 だが、この話は、どこかで聞いたような気がするではないか。

 そうだ、
 これはかの有名な、
 「失楽園の物語」に出てくるのだ。
 旧約聖書創世記、造物主は、エデンの楽園にア ダムとイプを住まわせた。
 そこへ、蛇に化けた悪魔(造物主に敵対する者)が、イプを、造物主が固く禁止した、知恵の木
の実を食べて、造物主とひとしいものに成るように、誘惑した。
 イプはそれを食べ、アダムもイプにそそのかされてあとに続いた。
 そしてアダムとイプは、エデンの楽園を追い出された。
 つまり、グノーシス主義は、
 二千年前のキリスト紀元と原始キリスト教会時代にさかのばるのみならず、
 天地創造時に、造物主に反逆した悪魔に由来するもののようである。

 七、

 サタンを、日本人は、悪魔、と翻訳した。
 実際、そうする他にないであろう。
 しかし、この訳語は適切でない。
 サタンとは、もともと神(造物主)に敵対する者、の意味だと言う。
 日本民族の神話、宇宙議、哲学には、宇宙の萬物萬象を創造した造物主、全知全能の唯一絶対神
などは存在しないし、
 従って、この造物主に反逆し敵対するサタンもあり得ない。
 しかし、 「造物主」なるものが、天地宇宙の萬有を創造されるお方であるとしたら、
 サタンもまた、この「造物主」によって造られたもの、と成るであろう。
 これは、やや、つじつまの合わない話しに聞こえる。
 西洋には、造物主に反逆する二系統の悪の流れが識別される。
 一つは、ルシファーであり、
 二つ目は、サタンである。

 ヨハネの黙示録では、イエス・キリストに敵対するものとして、淫婦と獣と、二つ、挙げられて
いる。
 ルシファーは「堕天使(文字通り、天上界から墜落し、または追放された天使)」と翻訳される。
 造物主と天使(エンジェル)はどんな関係にあるのか。
 これは、日本人にはまるで分からない。
 造物主が天地を創造された。
 天上界に、いわば造物主の助手として、天使(エンジェル)が造られていた。
 ところが、天使長ルシファー(ルシフェル)は、天使の軍団の三分の一を率いて、造物主に反乱
を起こし、戦いに敗れて天界を追放された、
と伝えられる。
 この話しは、いわゆる望書には書かれていないが、欧米では、広く流布されているようだ。
 ルシファーは光の天使、
 サタンは闇黒の大三、
と言うことかも知れない。
 つまり、光と闇の二本立てである。

 造物主に対する反逆が、光と闇の二つの顔を以てなされる、
と言うのであろう。
 「グノーシス主義的思考は、高度に、二元論的である。一方に光(霊魂)があり、それは、不可
視の世界、純粋な義でなり、他方に、闇黒(肉体と物体)、可視の領域、純粋な悪がある、と見な
す」(「天上界に於ける戦い―Makaing War in the Heavenlies」、ビル・ランドルズ著、 一七五
頁)、
と説明される。

 八、

 善悪二元論、魂と肉体の二元論、光と闇の二元論、
と言うのだが、これは非常にうさんくさい。
 むしろ、ここにこそ、西洋悪魔学の「極意」がひそんでいるのではなかろうか。
 悪魔、又は、悪魔主義者は、
 少なくとも二つの仮面を使い分ける。

 善と悪、光と闇の、二つの仮面を。
 ここのところが、日本人には、見えなかった。
 しかし要するに、サタン、又はルシファーは、二つ、又はそれ以上の仮面を付けて、何をしよう
と言うのであろう。
 「彼」の主要目的は何なのか。
 それをしっかりとつかむことが、
 日本民族の生死存亡に関わる大事である。
 ルシファー、サタンの目的は、
 (1) 造物主を模倣すること
 (2) 造物主によって創造されたものを偽造すること
 (3) 世界を再建すること
 (4) 宇宙を完成させること
である、などと、ものの本に記されている。
 (1)→(2)→(3)→(4)と、
 「初級」から「高級」 へ、

 古代から現代へ、
 「彼」の目的は「進化」している。
 それを、読み取らなければならない。
 まず、模倣から始まる。
 次に、偽造する。
 更にその先、「彼」は、造物主の創造の仕事(結果)が不完全であり、欠陥だらけである、との
判断に達し、従って、それを「彼」の、より高度の「知」にもとづいて、「再建」しなければなら
ない、と考えるに至る。
 そして、最後に、「彼」は、己れの計画のもとに、宇宙を完成させる(不完全なものから完全な
ものに進化させる)べきことを決定する。
 まあ、ざっと、
 こんな具合であろう。
 しかし、少し、立ち入って考察すれば、
 まさにこれは、明治初年、大久保利通ら、日本の国家最高指導者たちが、総力を挙げて輸入する
ことにした、「啓蒙主義的近代西洋文明」そのものではないのか。

 と言うことは、
 明治初年以来(少なくとも、西南戦争で、大久保が西郷隆盛を排除してよりのち)、
 日本の国家は、
 そして、当然、日本の学術もまた、
 ルシファーとサタンの思想計画にもとづいて構築され、運営されてきた、と成るのではないか。

 九、

 西郷には、なんとなく、直観的に、そのことが見えていたのかも知れない。
 サトウルヌス、
これは、日本人には殆ど全く知られていない。ひと握りの古代西洋史専門家以外には。
 しかし、マイケル・A・ホフマンニ世によれば、旧ソ連の国旗(鎌とハンマーを描いた赤旗)は、
ローマ神話の農耕の神、サトウルメスに由来する、と言う。
 サトウルヌスは、クロノス・サトウルヌスとも呼ばれる。
 ギリシャ人はこの神をデミウルゴスと呼び、宇宙の創造者に対抗して、宇宙の運行を操作する神

となした。
 サトウルヌスは、人知を超えた創造と造型の活動を司る。
 フリーメーソンが、「神」を、「偉大なる建設者」もしくは「建築家」にたとえてぃるのは、こ
のサトウルヌスの神話に影摯を受けてのことだ(「フリーメーソンの操心術」十六頁)、
 そして、鎌は、サトウルヌス神の象徴であり、この鎌によって、天と地の一体性が切断されたの
だ(この「鎌」は、人間の自然からの分離、人間の自然からの疎外、の象徴である)、
とも言われる。
 もちろん、幕末明治初年の(そして今に至るまで)日本人一、そんな内幕は知らない。
 ソ連の国旗の「鎌」は「農民」を、ハンマーは「労働者」を象徴する。
 つまり、全世界の労働者こ農民の祖国であることをそれは示すのだ、
 などと説明され、お人好しで底抜けに無知な日本人は、そのまま、素直にそれを受け入れた。
 デミウルゴス。
 これは一体何者か。
 Demiurge
 プラトン哲学では、造物主としての神、

 グノーシス教 では、造物主の介助者、
などと英和辞音に記されている。
 しかし、こんな説明では、日本人を迷路に入り込ませることにしかならない。
 「サトウルヌス=グノーシスは、暗黒は光を含む、と教える。これは、光が存在するためには、
暗黒が必須である、との意味である。そして光は、デミウルゴス=サトウルヌス、即ち、ロゴス(
論理)によってのみ、暗黒のマトリックスの中に現れる〔この場合、光は、暗黒を母体として、暗
黒の行列式の中から、デミウルゴス=サトウルヌスを媒介として、出現する、の意味〕」(F・ス
プリングマイヤー、C・ウイーラー著(「イルミナティII」百六十一頁)、
との一文は非常に重要な示唆を日本人に与えてくれる。
或いは、長い間、日本人にとって「死角」、ないし「盲点」となっていた部分を、気付かせてく
れる。

 十、

 サトウルヌスは、サターン(Saturn)とも表記される。

 サターンは、古代にしての農耕神、天文学では土星(Suturday 土曜日)、錬金術では鉛、
と記される。
 バビロニア人は、サターンを「太陽の星(スター・オブ・ザ・サン)」と呼び、
 ミトラ教の秘儀では、
 サターンは、太陽の神(The Sun of God)である(フリーメーソン著三十三階級、メーソンの最
大の著述家の一人として有名な、マンリー・P・ホールの「ザ・ロスト・ティーチングス・オブ・オ
―ル・エイジス」)、
とされた。
 更に、悪魔主義的秘密結社の頂点に立つイルミナティでは、
 サターンはサタンである(Saturn is Satan)、
と定義される(スプリングマイヤー「イルミナティ」IIの百六十頁)。
 とすると、
 太陽神イコールサタン(悪鹿の大王)、
 に成ってしまう。
 日本人には、何とも言いようのない奇怪な話しの展開だ。

 何故なら、
 この論法を「彼等」の立場から、日本の神話にあてはめると、
 天照大神 → 太陽神 → サタン → 悪魔、
と解釈されるではないか。
 皇室が天照大神の子孫であるとすれば、
 天皇は悪魔の血筋(!)
とされてしまう。
 こんな見方を、日本民族は受け入れることは出来ない。
 しかし、ここには、きわめて重大な問題がひそんでいるようだ。
 文明がますます精巧になり、大地に対して、ますます多くのことを要求するようになる。即ち、
農耕から、より多くの収種を得ようと言う欲望が増殖する。
 このとき、理性と知性のシンボル、中央集権のシンポルとしての太陽神が登場する。
 太陽神にまつわる伝説では、常に龍(即ち自然)と対する勝利が誇られている(マイケル・A・
ホフマンニ世著「フリーメーソンの操心術」二十三頁)、
と、我々は読む。

 なるほど、農耕の神サトウルヌス→サターン→サタン(悪魔)→太陽神、
と言う筋道らしい。
 つまり、ここに出て来る「太陽神」とは、或る種の人間が太陽を己れのみの欲望充足の道具とし
て利用(征服)したい、
 との願望(疑いもなくこれは悪魔的である)を表現しているのかも知れない。
 私は二、三十年前(正確な日付けは記憶していない)、
 この辺のことを、何かに書いた。
 西洋文明は、太陽の独占を意向しているのではないか、
との批判である。
 更に私は、西洋のキリスト教世界では、
 龍が悪魔の化身とされ、
 騎士が槍で龍を刺し殺している場面を描いた絵や、その彫刻が、ヨーロッパにやたらと多い、
 それに反して、東洋では、龍はむしろ、なにかしら高貴な、偉大な存在として位置付けられている、
ことにも、気付いていた(三十年ほど前)。

 龍を槍で串刺しにすることは、悪魔にそそのかされた人間が自然を征服し、自然を破壊して、こ
の世を地獄と化してゆく歴史過程の象徴である、
 と、前出の著作で、ホフマンは述べている。
 この人は興味深い。
 西洋白人で、ここまで言い切れる人は珍しい。

(太田龍「悪魔学としての西洋哲学を超克する」p.47-p.66、泰流社、1997)




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