Tweet |
回答先: そっかー。長文はメールぢゃなくココに投稿しればいいんねー(棒読み) 投稿者 にゃにゃ 日時 1999 年 1 月 09 日 20:56:18:
第4章 動物実験者とエイズ
アルバート・ラスカー医学研究賞は、アメリカでもっとも権威のある科学賞である。しかしこの
賞には、単にそれだけでないはるかに大きな意味がある。ラスカー賞の受賞は、しばしば、だれも
が欲しがる世界最高の栄誉、ノーベル賞受賞への前奏曲となる。ラスカー賞受賞者の六五%以上が、
その科学的業績によって、いずれノーベル賞を受賞することになるのだ。
一九八六年のラスカー賞は、マイロン・(マックス)・エセツクス、ロパート・ギャロ、リュッ
ク・モンタニエの三人の卓越した科学者に与えられた。この二人はみな、エイズの原因――いわゆ
るエイズウイルスの発見に功績のあった者たちである。
エセックスとギャロの受賞対象となった業績は、実験によって動物に癌と免疫抑制を生じさせる
ことが、癌と免疫抑制といういまだに謎の多い疫病を理解するための鍵になるということを、完壁
なかたちで例示したことである。
一九七〇年代の二人の研究を注意深く調べてみると、実験動物への癌ウイルス接種が、最終的に
ゲイの男たちのエイズウイルス発見につながったことがわかる。
マックス・エセックスは、動物の病気の研究・治療の訓練を受けた獣医師であると同時に、ウイ
ルス学の教授であり、ハーヴァード大学公衆衛生研究室癌生物学部の主任である。
彼は一九七〇年代に一連のネコの実験を行い、癌を誘発するウイルスがネコ白血病の原因である
ことを立証しようとした。七〇年代の終わりごろに、ネコ白血病が特殊なRNAレトロウイルスに
よるものであることを発見している。この癌の原因であるエイズ様ウイルスは、ネコ自血病ウイル
ス(FeLV)と名づけられた。
エセックスのネコの実験は、癌の原因ウイルスが接触感染性であり、免疫系の抑制を引き起こす
可能性があることを科学的に証明した最初のものであつたo
これらの実験は詳細に検討するに値する。というのも、そうすることによって、なぜ一介の獣医
師がギャロやモンタニエとともにエイズの謎を究明し、世界に名だたる栄誉を手中にできたのか、
その理由の一端がわかるからである。
ある実験では、それまでネコ白血病ウイルス(FeLV)にさらされたことのない生後四週間の
子ネコ一〇匹を使った。これらの子ネコ(実験では「トレーサー」という)を、すでにウイルスに感染
している他のネコと一緒に一つの家の中で飼ったのである。
実験期間中、「トレーサー」の子ネコの血液を頻繁に検査し、FeLVに感染したか調べた。一
八ヵ月以内に、 一〇匹のうち七匹が死んだ(三匹は無形成貧血を、別の三匹は感染性腹膜炎を、残りの一匹
はリンパ腫を発症していた)。七匹全部の血液からFeLVが分離された。生き残った三匹は健康体で
はあったが、血液中に高濃度のFeLV抗体が検出された。
エセックスはこの結果を一九七七年に発表した。彼の実験は、「白血病に日常さらされる環境に
置かれた離乳後の無防備なネヨは、FeLV感染の高いリスクを持つ」ことをはっきり示すもので
あった。
一九七九年に発表した別の論文では、 一八四匹のネコを使った白血病とリンパ腫の実験が報告さ
れている(臨床的には、これら二種類のネコの癌は区別がつかない)。癌にかかったネコの三分の二がFe
LVに対する抗体反応が陽性で、三分の一が陰性であった。陰性のネコに腫瘍が生じた本当の原因
ははっきりしなかったが、実験に携わった者たちは、これらの癌がFeLVによって誘発されたの
だと確信していた。
さらに別の重要な「ネコの家」の実験結果が、一九八〇年に発表されている。 一九七二年から七
七年にかけて科学者たちは、コネティカット州の一〇部屋からなる一軒の家に、 三二四匹のネコを
飼って調査を続けた。その結果、全部のネコが最後にはFeLVに感染し、血液中にウイルスに対
する抗体を持つようになったことが確認された。しかし、血液中に「生きている」FeLVを持っ
ているのは、わずか五四%にすぎなかった。これら「ウイルス血症」のネコは、生きているウイル
スを持っていない非ウイルス血症のネコに比べて、かなり高い死亡率を示した。死の原因のほとん
どが腎臓病(糸球体腎炎)とリンパ腫によるものであった。
エセックスと彼の仲間は、ネコの癌を一〇年間にわたって研究した結果、ネヨ白血病/リンパ腫
の原因はFeLVであると結論した。ネヨ白血病は、癌を諦発するウイルスによって自然発生する
「集団後天性」感染症について、かつてないほど徹底的に調査がなされた例である。これと同じよ
うな癌ウイルスが、ヒトの癌のあるもの、特に自血病/リンパ腫型の癌の原因ではないか、という
推測がなされた。
この一九八〇年の報告から二年とたたぬうちに、疫学者たちは、エイズは医学の歴史に最初に組
録される(同性愛者の)「集団後天性」疫病の免疫抑制および癌である、と宣言することになる。
この疫病の初期のころは、ウイルス学者のなかには、ネコ自血病とB型肝炎とエイズの伝染のし
かたに類似点があると信じている者がいた。マックス・エセックス、ドナルド・フランシス(彼は
エセックスの研究室で働いていた)、ジェームズ・メイナードの二人による一九八一年の報告書は、ネ
コ自血病/リンパ腫ウイルスとB型肝炎ウイルスの癌誘発能力を比較している。 一例を挙げると、
FeLVがネコの自血病とリンパ腫を引き起こすのに対して、B型肝炎ウイルスが人間の肝臓癌を
引き起こす可能性があることを、二人は強調している。
しかしこのようなネコの癌の研究にもかかわらず、科学界の大勢は、ヒトの癌におけるいかなる
ウイルスの役割にもいまだ懐疑的だった。
癌ウイルス学者と動物の実験者たちはいらだっていた。彼らには、レトロウイルスがヒトの癌の
原因であるという確信があった。
フランシス、エセックス、メイナードの二人はこう書いている。「FeLVによるネコの感染症
と、B型肝炎ウイルスによるヒトの感染症とのあいだには、多くの類似点がある。……このような
ウイルスによるヒトの癌は特殊であるからといって、科学に携わる者が二つの関連づけに尻込みし
たり、信じるのにやぶさかであったりしてはならない。…‥それどころか、これは自然発生的腫蕩
原性ウイルスに期待されるパターンに合致しており、……ヒトにおける他の類似病原体の研究を刺
激するのに役立つはずである」。
一九八三年の初め(エイズ
ウイルスが公式に「発見」される一年以上前に)、『国立癌研究所ジャーナル』
の編集者が、エセックス、フランシス、それにアトランタの国立防疫センター(CDC)のジェー
ムズ・カランの二人に、エイズに関する「ゲスト論文」を依頼した。国立癌研究所の職員たちは、
エイズが癌に対する自分たちの理解を高めてくれるに違いないと考えたのである。
その証拠に、『ジャーナル』の編集者はこう書いている。「『ジャーナル』は、特殊分野において
現在行われている研究の精髄を癌研究者に知らせる手段として、定期的にゲスト論文を依頼し掲載
する。編集委員会は掲載するにふさわしい論文の提案を歓迎する。それは、癌の原因と治療法に関
して明確な定義づけをした仮説に向けて、現在行われている研究を簡潔に要約したものでなければ
ならない」。
一九八三年七月の論文は「エイズ―伝染性病原体の疫学的証拠」と題されていた。フランシスと
エセックスとカランはその中で、エイズに関して得た自分たちの知見を自信たっぷりに書いている。
「一つの感染因子――おそらくはウイルス――が、もっとも可能性の高い病因の候補として挙がっ
ている。……いくつかの動物ウイルスが、この病原体と考えられるものと疫学的・臨床的特徴を共
有している。これら二つのウイルス、すなわちB型肝炎ウイルスとネコのFeLVを検討すること
が、エイズという病気の病因解明に役立つとともに、今後の研究の方向づけもしてくれるものと思
う」。
さらに彼らは、ネコ白血病/リンパ腫について詳細な知識を披瀝しているが、その深い意味を理
解した医師は、当時ほとんどいなかった(先に述べたように一九八三年当時は、たいていの医師が、エイズ
の原因としていちばん可能性が高いのはサイトメガロウイルスであると誤解していた)。「レトロウイルス属の
RNAウイルスであるFeLVは、多数の組織の中で自己複製をし、永続性ウイルス血症を引き起
こす。つまり、リンパ球に作用することによって、ネコに癌と免疫抑制を覇発するのである。……
三種類の主要な病気――日和見感染症、免疫複合体病、そして癌――は、慢性FeLVと関係して
いる。…‥このウイルスが引き起こす癌でもっとも一般的なのは、白血病とリンパ腫である」。
ドナルド・フランシス(彼はアメリカの五つの都市で、ゲイたちの実験用B型肝炎ワクチン試験の指揮をし
た)は、次の点を強調した。「B型肝炎ウイルスと、エイズの病原体と考えられるものとのあいだ
の疫学的類似性は、驚くばかりである。……そしてまた(B型肝炎ウイルスは)FeLVのようなR
NA腫瘍ウイルスと、多くの点で類似している」。
この一九八三年七月の論文が発表される八ヵ月前に、癌レトロウイルス学者のギャロが、国立癌
研究所において、自血球のうちのリンパ球にエイズウイルスを観察している。二人の科学者が「仮
説のエイズウイルス」についてあれほど自信満々の文書を書いたのは、それがあったからかもしれ
ない。
一九八四年四月、ギャロがエイズの謎を解明した。彼のこの素早い発見は、友人にして協力者で
あるマックス・エセックスの助力なくしては、ありえなかっただろう。ギャロがいちばん必要とし
ていた技術上のノウハウを与えたのが、エセックスだった。
エセックスと、彼のネコ白血病/リンパ腫ウイルスの実験がしだいに背景へ薄れていくにつれ、
ギャロが新しいエイズ「自血病/リンパ腫」ウイルスを携えて、舞台の前面に踊りでてきた。そし
てギャロはただちに、エイズウイルスのアフリカ起源を説く複雑にして綿密な理論の構築にかかっ
た。
このギャロとは、いったいいかなる人物なのだろう。なぜ彼は、こうも早くエイズの謎を解くこ
とができたのだろう。
ギャロはまだ一三歳の少年だったとき、妹が自血病で死ぬのを悲しい気持ちで見つめていた。医
者になって癌の研究に生涯を捧げようと決心したのは、このときの経験が大きく物を言ったに違い
ない。一九六五年に国立癌研究所の一員として加わり、一九七〇年に、彼の画期的な業績となる自
血病の研究を開始する。
癌性白血病細胞の中に逆転写酵素と呼ばれる酵素を最初に発見したのは、ギャロである。この酵
素はレトロウイルスによってつくられるもので、彼は、自血病の原因はレトロウイルスではないか、
と強く直感した。
一九七八年、彼は他の科学者に先駆けて、癌患者の血液中の悪性T細胞からヒトレトロウイルス
を分離・発見する。
この輝かしい偉業を可能にしたのは、ウイルスタンパク質の精製の向上、核酸の探究の進展、モ
ノクローナル抗体と高度免疫抗体の開発といった、ウイルス学と免疫学の進歩である。
ギャロはこの癌レトロウイルスを、ヒトT細胞自血病/リンパ腫ウイルス、略して「HTLV‐
1」と名づけた。
HTLV‐1は、ヒトレトロウイルスの「ファミリー(科)」の原型である。後によく似た別の
ウイルスを発見したとき、ギャロはそれらをHTLVの「ファミリー」に加えた。
一九七七年の初め、自血病とリンパ腫に似た新しい病気が日本の西南地方、とくに九州で確認さ
れたという報告が日本から届いた。この病気は「成人T細胞白血病」(ATL)と呼ばれた。この白
血病の症例は集団発生的だったので、日本の科学者たちは、「新しい」ウイルスが原因しているの
ではないか、という疑いを強く抱いた。
ギャロは白血病に関して自分が以前に行った研究をもとに、この新しい病気もまたHTLV型癌
ウイルスの一つが原因だろうと確信し、探究に取りかかった。彼にとって幸運というほかない出来
事であった。
このとき(一九八一年)にはギャロの研究室では、TCGF(T細胞増殖因子)というタンパク質ホ
ルモンを細胞培養に加えることによって、T細胞を生かしておく技術を完成させていた。TCGF
ができる以前は、感染ウイルスが増殖するのに十分な期間T細胞を生かしておくことは、不可能と
まではいわずとも、きわめて難しかった。TCGFのおかげで細胞は活発に成長を続け、ギャロは
感染ウイルスを捕えて培養することができたのである。
日本から届いた白血病/リンパ腫に関する報告は、多くの科学者を興奮させた。と同時に、これ
が契機となって、一九八一年二月に京都で国際会議が開催されることになる。会議には日本、中国、
韓国、アメリカ、フランスから、 一流のウイルス学者と細胞生物
学者が参加した。
会議に先立って、自血病/リンパ胆の忠者の血液試料が、日本の科学者からギャロのもとに送ら
れていた。ギャロは患者の血球から(TCGFの助けを借りて)新しいウイルスを分離・増殖すること
に成功した旨を京都会議で発表し、参加者の注目を浴びた。このウイルスは、ギャロが一九七八年
にアメリカの自血病患者に最初に発見したHTLV-1と同じであった。彼は日本から送られた血
液試料のほぼ一〇〇%から、このウイルスを検出したのである。
この「新しい」日本型HTLVは、いつたいどこから来たのだろうか。これについては、集まっ
たウイルス学者もまったく見当がつかなかった。
京都会議から三週間後、アメリカ国民は、ニューヨーク市の同性愛者の間に始まった「新しい」
疫病を初めて耳にすることになる。それから一年後、「エイズ」は誰もが聞きなれた日常の言葉に
なった。
この新しい疫病の研究に携わった者たちは、エイズの不思議な免疫抑制困子は、いったいどこか
らやってきたのだろう、といぶかしんだ。確かなことは誰にもわからなかった。
一九八〇年代の初め、また別の自血病/リンパ腫の集団的症例が、カリブ海諸国の黒人に見つか
った。その症例は、日本の九州で見つかったものに似ていた。ギャロの研究室は、カリプの黒人た
ちのT細胞からHTLVを増殖させた。このウイルスは日本のものと、見掛けもふるまいもそっく
りであった。
これら新しいHTLVは、これまでに知られている動物ウイルスやレトロウイルスと関係がある
のだろうか。ギャロやブラットナーらが一九八二年に書いた、カリブ人の症例に関する報告書は、
黒人の新しいHTLVが、これまで知られているいかなる動物ウイルスとも近しい関係にはないこ
とを強調している。ところが、オロシュランと共同執筆したHTLVに関する一九八二年の別の論
文では、ギャロらは「HTLVは既知のどのレトロウイルスよりも、ウシ白血病ウイルスに近いか
もしれない」ことを示唆している(これは、エイズウイルスはウン白血病ウイルスと似ている、というストレ
ッカーの考えの正しさを裏書きするものに思われた)。
一九八二年の別の論文(カリフォルニア大学ロサンゼルス校の別の科学者との共同執筆)でギャロは、「毛
状細胞白血病」という珍しい病気の患者のT細胞に、「第二」のHTLVを発見したと発表した。
この新しいウイルスはHTLV‐1に近かったが、同じではなかった。ギャロはこのウイルスをH
TLV-2と名づけた。
一九八二年八月、ギャロは国立癌研究所のエイズ研究主任に任命された。そこで彼は、決意も新
たにエイズの原因究明に取り組むことになる。彼はなんとしても、自分の見つけたHTLVのどれ
かがエイズの原因であることを証明したいと考えていた。
ハーヴァード大学のマックス・エセックスの助けを借りて、彼は七五人のエイズ患者の血液でH
TLV抗体検査を始めた。驚いたことに、血液試料の二五%からHTLV-1に対する抗体が検出
された。
一九八三年には、ギャロのエイズ研究はもっとも有望視されるようになり、マスコミや医学記者
たちが彼の見解に注目するようになった。 一九八三年の『JAMA』(アメリカ医師会の機関誌)のイ
ンタビューで、記者はギャロに、なぜエイズにHTLVを探しているのか、と尋ねた。
ギャロはこう答えている。「まず第一は、われわれがHTLVと呼んでいる仲間は、ある集団に
おいてはこれまでまったく見られなかったものだということが興味をそそるからなんだ。HTLV
が発見されたのは、たかだか五年前にすぎない。エイズだって新しい病気だよ。二番目には、動物
のレトロウイルスのなかには自血病とリンパ腫だけでなく、重篤な免疫抑制を引き起こすものがあ
るということがわかっているからだ。その一例がネコ白血病ウイルスで、このレトロウイルスはH
TLVに非常によく似ている。 一般的にいって、免疫抑制はエイズの顕著な特徴だからね」。さら
にギャロは記者にこう強調している。彼の「研究室は、こういう種類のウイルスを検出するのに特
にふさわしい研究体制が整っている」。
ギャロがエセックスと非公式に協力しあっていた一年と八ヵ月の間に、低レベルのHTLVを検
出するための免疫検査法が完成した。その方法を用いた検査の予備結果は、エイズに別種のHTL
Vがかかわっていることを示唆した。この奇妙なウイルスは、HTLV‐1やHTLV‐2といく
つかの特徴を共有していたが、遺伝子構造上で、この二つとは明確な違いがあった。
一九八四年四月二三日の記者会見で、ギャロは科学界に向かって、自分と国立癌研究所の仲間が
エイズの原因ウイルスを発見した、と宣言した。
この新しいウイルスはどこからやってきたのだろう? 今度こそその答えが聞かれるに違いない。
マスコミも科学記者も、ギャロの語る言葉を一言一句聞き漏らすまいと耳をそばだて、片言残らず
報道した。
『タイム』誌(一九八四年四月二〇日号)によると、ギャロの主張は、エイズウイルスのHTLV‐
3株はアフリカで進化した、というものである。「ウイルスはしばらくの間奥地に潜んでいたかも
しれない。しかし、人口が都市に移動しはじめ、多くの部族が集まって売春行為がなされるにつれ、
それまで低レベルに抑えられていたものが問題になってきた」。
『ニューズウィーク』誌(一九八四年五月七日号)には世界地図が載っているが、そこに描かれた
矢印は、エイズウイルスが中央アフリカから「移動」したと考えられるルートを示している。そし
てそこには次の説明がついている。
(1) 「エイズが最初に出現したのはおそらくアフリカで、それほど危険でないウイルスにちょ
っとした遣伝子の変化が生じたか、あるいはそのウイルスを持っていた田舎の人間が都会に
出てきた結果だろう。
(2) おそらく中央アフリカに暮らしているフランス人とベルギー人が、病気を西ヨーロッパヘ
持ち帰った。エイズはまた、 ハイチ人によってカリプ諸国へ渡った。
(3) 米国から休暇で来た同性愛者たちが、ハイチからエイズを本国へ持ち帰った」。
ギャロはついに目的を達した。しかし、一つ大きな問題があった。フランスの科学者たちが、自
分たちはギャロより一年も前にエイズの原因を発見していたのだ、と主張していたのである。彼ら<
br>は、ギャロでなく、自分たちこそ発見の栄誉を与えられるべきだと言い張っていた。フランスチー
ムを率いているのは、リュック・モンタニエであった。彼は、当然自分たちに帰属すべき栄誉と報
償をなんとしてもかちとろうと決意しており、必要とあらば、法廷闘争をも辞さない構えであった。
科学者というのは、単独で仕事をすることはめったにない。認められるためには論文を科学誌に
発表しなければならないが、それにはまず、同じ分野の専門家の審査を経なければならず、掲載さ
れたあとは他の研究者たちに念入りに吟味されることになる。そしてまた新しい疫病ともなると、
巨額の金がからんでくる。ことにエイズウイルスのような世界を揺るがす大発見ともなれば、そこ
から利益を得るすべをわきまえている研究者や製薬会社にとっては、願ってもない大きなチャンス
である。エイズの血液検査装置の特許を取れば、これは世界中で数えきれぬほど多くの人々が使用
するのだから、何百万ドルもの利益がもたらされるはずである。
エイズ用のワクチンや薬を開発する製薬会社は、巨額の富を手にするだろう。要するにエイズは、
医療業界にとっても製薬業界にとっても一大事業なのだ。
一九八二年、まだこの疫病の初期のころに、フランスの科学者たちは一つの問題を抱えていて、
そのために、エイズ研究とエイズ経済に乗りださぎるを得なくなった。あるフランスの会社が、新
しい市販用のB型肝炎予防ワクチンを発売したがっていたが、このワクチンがエイズと何らかの関
係があるのではないかという恐れが持たれたのである(エイズはフランスではシダ(SIDA)と呼ばれ
ている)。リュック・モンタニエが呼ばれ、この新しい不思議な病気にウイルスが関与しているか調
べることになった。
モンタニエは、世界で最も名高い医学研究所である、パリのパスツール研究所の癌ウイルス学部
長である。パスツール研究所の科学者がだれでもそうであるように、モンタニエもまた、アメリカ
の癌ウイルス学の最新の状況に通じていた。それだけでなく、アメリカとフランスの科学者たちは、
発見と情報を自由に交換しあっていた。
一九八三年一月、モンタニエとその仲間たちは、エイズの「初期」症状を示している若いフラン
ス人ゲイの腫れあがったリンパ節から、レトロウイルスを分離した。この男性は一九七九年にニュ
ーヨーク市を訪れていたが、これは驚くにはあたらない(一九八七年時点で、この男性はまだ生存中で健
康である)。パスツール研究所の科学者たちは、分離した奇妙なレトロウイルスがHTLVに似てい
ることに気づいた。そこで彼らは、ギャロに連絡をとってウイルスを確認してくれるように頼み、
ギャロがこれに応じた。
マーリーン・サイモンズによると(「ロサンゼルス・タイムズ・マガジン」一九八六年五月二五日号)、フ
ランスから送られたウイルスはギャロの研究室で増殖せず、そのまま棚上げになってしまったとい
う。それでもフランスチームは、分離したウイルスがエイズと関係があるに違いないと信じて、確
認のための研究を続けた。彼らはこのウイルスを「リンパ節症ウイルス」(LAV)と名づけ、発見
したことがらを科学論文にまとめあげた。
その論文を『サイエンス』誌に発表するに先立って、彼らはそれをギャロのもとに送り、意見と
修正を求めた。ギャロは、フランスのチームが発見したウイルスは、彼のHTLVの「ファミリ
ー」の一員に思われる、とほのめかした。
モンタニエのチームの作成した論文は、「リンパ節症ウイルス」(LAV)の写真とともに、『サイ
エンス』の一九八三年五月号に掲載された(「LAV、ついに工イズウイルスそのものであると証明され
る」)。『サイエンス』の同じ号にはまた、ギャロとエセックスの論文が一つずつ載った。これら独
自の研究に基づく二つの論文は、どれも、新しいウイルスをエイズの原因の可能性として挙げてい
た。
だがこれら三つの論文のうち、モンタニエの論文はほとんど顧みられなかった。たいていの科学
者が、ギャロとエセックスの研究のほうがより真実に近いと信じるほうを選んだのである。彼らは
明らかにギャロの影響を受けており、ギャロはといえば、モンタニエのグループがエイズの「本
当」のウイルスを発見したとは考えなかった。
LAVの評価に関して、国立防疫センターはさらに手厳しかった。防疫センターの『罹患・死亡
週報』(一九八三年五月一三日号)は、フランスのウイルスはHTLVとは「明らかに別個」のもので
あると述べている(それから二年後、LAVとHTLV-3は「ほとんど同一」のものであることがわかった)。
一九八四年四月、ギャロは、自分の発見した新しいウイルスがエイズの原因である、と正式に発
表した。この発見は、政府所属のトップの科学者らによって公表された。そこで医師たちは、一夜
にして新しいエイズウイルスの存在を信じるに至った。
翌年になると、フランスとアメリカの科学者たちのエイズをめぐる争いが、新聞の第一面を飾る
ようになる。パスツール研究所は、アメリカ連邦政府を相手取って訴訟を起こした。これは別に驚
くべきことではなかった。新しいHTLV-3抗体検査の特許権使用料は、何百万ドルにも相当す
るのである。フランス側は分け前を望んでいた。
ギャロも最後には、エイズウイルスの論文を写真とともに完全な形で最初に発表したのは、フラ
ンステームであることを認めた。やがてたいていの科学者が、LAVとHTLV-3はほとんど同
一のものであるという事実を受けいれるようになった。そしてまた私にとっても、「明らかに別個」
であったウイルスが「ほとんど同一」のウイルスに変わりうるのだということが、はっきりした。
それはすべて、主張している専門家次第でどうにでもなったのだ。
私がウイルス学とウイルス学者を理解しようと思いながら、なぜできなかったのか、ようやくそ
の理由がわかってきた。ウイルス学者でなければ理解できない専門用語で巧みに装った暖昧な言葉、
ごまかしが横行していたのである。
ギャロのモンタニエに対する怒りは、たんに個人的な怒りにとどまらなかった。『ロサンゼル
ス・タイムズ』(一九八五年一二月一四日)は、ギャロがこう言ったと書いている。「彼らがその考え
をわれわれから盗んだのさ。……レトロウイルスだと最初に言いだしたのは私だよ。われわれのと
ころには、このウイルスが一九八二年にあったんだ。だが、わざと発表はしなかった。まだ思い切
って公表していいほど、確実なところはわかっていなかったからね。私にとって発見という言葉は
複雑な意味を持っている。誰がウイルスを最初に報告したかだつて? そりや彼らさ。だけど、誰
が考えついたかといえば――われわれだったんだ」。
フランスとアメリカのチームは互いに敵意を抱きながらも、エイズとの戦いに貢献した功績でそ
ろってラスカー賞を受賞する際に、和解することになった。医学記者たちも、公然と争いをしてい
たのではノーベル賞委員会に受けが悪いからだろう、と書いた。誰でも知っていることだが、委員
会は、悪い評判の立っている科学者、法的な紛争種になったり悪意を感じさせる仕事をしている科
学者を避ける。つまり、学問の純粋さと結びついているのがノーベル賞なのだ。世界各国の一流新
聞の第一面を内輪の恥で汚すような所業は、見苦しいの一語につきる。
エイズウイルスが発見されたことによって、七〇年代に行われた動物癌ウイルスの実験は急速に
忘れ去られ、B型肝炎とエイズの関係も人々の脳裏から薄れていった。
エイズの短い歴史は、これまでの医学に前例のない偶然の一致で満ちている。エイズ研究の報償
を手にしたのは臨床医ではない。動物癌研究を行った獣医師と、癌ウイルス学者がくすねたのであ
る。彼らはエイズの到来とともに、たちまちエイズ専門家へと変身した。
アメリカの大都市で、ゲイの男性たちを対象とする実験用B型肝炎フクチンの試験を監督した疫
学専門医たち、彼らもまた、エイズ研究では高い地位についた。
数年を経ずして、ウイルス学者は再び栄光をとりもどした――ヒトの癌がウイルスによるもので
あることを証明できずに、地に落ちていた栄光を。
癌レトロウイルス学者が医学の新しい巫女になれたのは、エイズのおかげである。彼らは医師た
ちに、癌の原因はレトロウイルスに違いないと信じこませた。そして医師たちは、なんの疑いも抱
かずにそれを信じた。というのも、それが権力組織から発せられた「公式」の言葉だったからだ。
何千というゲイの男たちのエイズによる死は、医師たちの自負心を打ち砕いた。彼らには死を食
い止める力がまったくなかった。残る希望はただ一つ、新しい巫女たちが、エイズの治療法を与え
てくれるに違いないということである。彼らの有能さ、政府との強力なつながりをもってすれば、
どうしてできないはずがあろう。
ゲイの男たちについてはどうなのか。なぜ彼らばかりが、エイズによる最初の大量死の犠牲とな
ったのだろう。彼らがこうも素早く医学研究用の新しい人間「モルモット」に変身したのは、なぜ
だろう。
なぜゲイたちは、エイズの網に絡めとられてしまつたのだろうか。それは偶然だったのか――運
命の気まぐれだったのか、それとも、巧みに仕組まれた罠だったのだろうか。