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1974年11月13日、カレン・シルクウッドという28歳の若い女性が運転する
自動車が、ハイウェイの反対車線に飛び出し、道路外を走行したまま壁に激突
するという事故が起こった。彼女がニューヨーク・タイムズの記者に会う約束
をしていた途中の、予期せぬ、それも恐ろしい事故だった。
彼女はカー・マギー社のプルトニウム工場(オクラホマ州シマロン)で働い
ていたが、事の発端は彼女がMOX(モックス)に関する会社の秘密を知った
ことから始まった。カーマギー社はMOX燃料の規格検査をパスさせるため、
欠陥のある完成品を写真のネガで修整して通過させていた。原発にとっても、
シルクウッド自身にとっても、これには重大な危険が伴っていた。真面目で正
義感の強い彼女は周囲の信任を受け、いつしか労働組合の指導的な位置に押し
上げられていた。そういう彼女がカーマギー社の背任を黙って見過ごすはずが
なかった。彼女はカーマギー社の不正合格品の存在を明らかにするため、原子
力委員会に報告する。ここでシルクウッドは大きなミスを犯した。彼女が原子
力委員会に報告したカーマギー社の不正は、そのまま素通りしてUターンする
と、全てはカーマギー社の知るところとなっていたのである。ここで気付いて
壁の厚さに落胆していればシルクウッドが死ぬことはなかったかも知れない。
しかし行動的な彼女はさらにニューヨーク・タイムズの記者に働きかけると、
その証拠書類を手に自動車のアクセルを踏んだのである。会社側が黙っている
はずがなかった。
今や遅しと、待ちわびるニューヨーク・タイムズの記者に、その証拠書類が
渡ることはなかった。仲間たちが目撃する中、彼女が出発前に抱きかかえてい
た書類の束は、事故現場から跡形もなく消えていた。彼女の自動車には激しく
追突されたと思われるくぼみがあった。事故現場には警察だけではなく、カー
マギー社の関係者もやってきていた。数々の物的証拠から、シルクウッドの死
が単なる不注意による事故でないことは明らかだった。自動車後部のへこみは
走行中に追突されたことを物語り、ために彼女の車は反対車線に押し出され、
道路外に落ちた車は、それに並行してハイウェイを走っていた車が這い上がる
のを阻止していた。ハイウェイに戻ろうとする車と、それを戻すまいとする車
が行き着く先は・・・戻すまいとした車の運転者がよく知っていた。シルクウ
ッドの前に立ちふさがった厚いコンクリートの壁は、そのままカーマギー社と
いう巨大な障害物でもあった。カレン・シルクウッド、28歳、前方不注意に
よる事故死。警察が嘘の発表をしている間に、FBIはシルクウッドが抱え込
んだカーマギー社の内部資料と同じくらいの、彼女の死の真相を調査した膨大
な資料を闇の金庫に封印してしまった。このシルクウッドの物語は決して彼女
の死によって終わることはない。彼女の死後、関係者の証人喚問が近づくたび
に一人、二人と謎の死が続いたからである。
カーマギー社はシルクウッドを殺した後も憎しみは消えなかったようだ。彼
女の遺体はカーマギー社の指示によって事故現場から悪名高いロスアラモス研
究所に冷凍されたまま空輸された。プルトニウム工場で働き続けていたシルク
ウッドの遺体は、放射能を測定する科学者を驚かせ、そして彼らは顔を見合わ
せて笑った。彼女はそれほど汚染されていた。ロスアラモス研究所には彼女だ
けでなく、全米から放射能で汚染された労働者の遺体やその臓器類が運ばれて
いた。それらは110度のオーブンで乾燥されるとマッフル炉で間接的に加熱
され、最後には灰になったものを酸の溶液で溶解する。こうしてシルクウッド
はこの世から、それこそ完全に消去されてしまったのである。かくしてシルク
ウッドの両親は、自分の娘の遺体を受け取ることすら許されなかった。
私は何故かシルクウッドの命日が近づくたびに心穏やかならぬ予感から、彼
女について書くことになるようだ。以前に彼女について書いたものがインター
ネットで偶然に発見して苦笑した。懐かしくもあった。今度も彼女のことを書
きながら涙が溢れてきて困った。どうやら私は彼女に恋をしたようである。こ
こ地元でもついに県はプルサーマル計画導入を容認してしまった。連日そのニ
ュースが流れる中、同じMOX燃料に関係して抹殺されたシルクウッドを思い
出している。まだ若い彼女を殺してまで推進しなければならない原発とは何だ
ったのか?メリル・ストリープが好演した映画「シルクウッド」でも、彼女を
殺した犯人は曖昧にしたまま終わらせている。なぜマスメディアは「シルクウ
ッドはカーマギー社に、ロスアラモス研究所に、それらを支配する一握りの為
政者によって殺されたのだ」と、言えないのだろうか。権力の魔性は今や至る
ところでその牙を剥き出しにしながら、我々人類にその牙を突き立てている。
真実に目を背け、抵抗することなく権力に従順な羊の群の中で安穏する生活も
捨てがたいものであろう。そういう意味で人類は日々の生活の中において、よ
りその資質が試されている時代だと言えよう。人は死んでなお心に鮮明に生き
る存在だとすれば、シルクウッドはその心の中で言うであろう。「あなた方は
私を悲劇的な死で終わらせてはならない。私は彼らによって殺されはしたが、
その心は永遠にあなた方の幸せを祈るためによって昇華されたのです。私が公
表しようとした資料は彼らによって奪われはしたが、その祈りまでは奪われて
はいないのです」と・・・