エイズウイルスが人体実験された 『悪魔の遺伝子操作』より


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投稿者 一刀斎 日時 1999 年 2 月 25 日 16:31:13:

ヤコブ・ゼーガル,リリー・ゼーガル著
川口啓明訳
『悪魔の遺伝子操作』徳間書店1992年より


1.誰が新型ウイルスを必要としたか
……
ところで、われわれ二人は、一九六九年六月九日の月曜日に開催された“第九一
米国議会第一会期下院歳出委員会小委員会公聴会”の文書の写真複写を入手し
た。この中で、当時、米国国防総省研究技術部次長であったドナルド・M・マッ
カーサー博士は次のような証言を行っている。

今後の五年から一〇年以内に、これまでに知られているいかなる病原性生物とも
いくつかの重要な側面で異なる新しい感染性微生物を製造することが、恐らく可
能になるだろう。このような微生物の最も重要な点は、われわれが感染症をほぼ
制圧するのに頼っている体内の免疫系と医療には恐らく対処できないであろうと
いうことである(資料2参照)。

これは、エイズウイルスのまったく正確な記述である。そして、その製造に必要
とされた一〇年の期間の見積りも極めて正確である。一〇年後の一九七九年の春
に、最初のエイズ患者がニューヨークに出現した。
このような試みがなぜ一九六九年に始まったのかは容易に理解できる。一九六八
年から六九年頃に、レトロウイルスの遺伝的な振る舞いが解明された。レトロウ
イルスの一本鎖のRNAゲノムは、二本鎖のDNAに逆転写され、この形で宿主
細胞の染色体に組み込まれることが明らかになった。二本鎖のDNAに対して
は、抗体もキラー細胞も関心を向けないことがよく知られている。二本鎖DNA
は、あらゆる点で宿主細胞のDNAに似ていて外来物質とは識別できないからで
ある。製造されるべきウイルスについてのマッカーサ−による証言は、当時のウ
イルス学の知識と正確に一致する。
この当時、ヒツジに致命的なビスナウイルスはすでに知られていた。もしも、非
病原性ではあっても人間の細胞を攻撃する別のレトロウイルスさえ見いだせれ
ば、人間を攻撃する致命的なウイルスを製造するために、これら二種類のウイル
スのゲノムを組み合わせることができる。遺伝子組み替え技術は当時はまだ十分
には発達していなかったが、すでに議論は行われていた。実際に一九七二年とい
う早い時期に、スタンフォード大学のP・バーグが最初の遺伝子組み替えウイル
スを生み出している。
ペンタゴン(米国国防総省)がなさなければならなかったことは、遺伝子操作の
手法を迅速化することと、ビスナウイルスと組み合わせるべきヒトレトロウイル
スを見いだすことであった。この仕事を成し遂げるために、マッカーサーは一〇
〇〇万ドルの研究助成金を求めた。──そして、彼はそれを獲得した。
ただちにロバート.ギャロは研究を開始する。その直後の一九七〇年、リンパ球
の腫瘍であるヒト成人白血病(HAL)の患者の細胞に、レトロウイルスが感染
した細胞に典型的な逆転写活隻見いだしたこ姜、ギヤロは報告した。一九七二年
には・逆転写酵素活性を持つウイルス様粒子について報告し、一九七五年には、
女性のヒト成人白血病患者二三番のさまざまな組織に存在する、AL23V(成
人白血病23ウイルス)と呼ばれるレトロウイルスを分離し、培養した。
これらの事実は、きちんとした科学雑誌に滞ることなく公表されている。後に
なって、ギャロはこれらの事実を否定する(次節を参照)。いずれにせよ、この
新しいウイルスであるAL23Vは、一九七六年以降、再び言及されることは
まったくなかった。これは、このウイルスがペンタゴンに引き渡されたからでは
ないのか?
一九七五年まで、ペンタゴンの生物兵器研究の大部分はフォート・デトリック
(メリーランド州)の実験室で行われた。しかし一九七五年に米国はすべての生
物兵器の開発、製造、貯蔵を禁止する国際条約を批准した。フォート・デトリッ
クは、表面上の組織変更を行わなければならなかった。たとえば、ウイルス研究
に関わっていた部署は“フレデリック・ガン研究施設”と改名され(フレデリッ
クは、フォート・デトリックの中にある町である)、ベセスダ(メリーランド
州)の“米国国立ガン研究所”の管轄下に、あるいはもっと正確に言えば、その
ウイルス研究部の管轄下に置かれた。このウイルス研究部の責任者はロバート・
ギャロであり、現在でも依然としてそうなのである。
今や、新しいウイルス製造の研究が大規模に始められようとした。しかし重大な
遅れが生じた。遺伝子操作の研究の管理を確立しようと、関係する生物学者たち
が世界中から一九七五年にカリフォルニア州アシロマに集まった。このアシロマ
会議は完全な成功はおさめなかったが、しかし少なくともいくつかの安全規則は
定められた。それらの規則の一つは、病原体を用いる遺伝子操作の研究は、P4
(物理的封じ込めレベル4)タイプの高度な安全性を持つ実験室で行われなけれ
ばならないということであった。
そのような実験室はまだ存在していなかった。そして、ギャロはウイルス兵器の
研究を続けるために、一〇〇万ドルのP4実験室建設費を求めなければならな
かった。最終的に一九七七年の秋にP4実験室がフォート・デトリックの五五〇
番建物内に正式に完成し、研究が再開されることになった。

2エイズウイルスが人体実験された

一九七七年に利用可能であった手法を用いて、このような新しいウイルス製造の
作業を行えるかどうかについて、われわれ二人は多数の遺伝子操作の専門家たち
と議論を交わした。専門家たちは、当時でも、いわゆるショットガン法を用いた
産物を得て、引き続いて選別すれば、ウイルス製造が可能であることを認めた。
遺伝子組み替えの現在の手法を用いれば、ウイルス製造は約二週間でできるだろ
うが、一九七七年に利用可能な手法では約六カ月を要しただろう。五五〇番建物
のP4実験室の完成の前に、必要な熟練した研究チームが組織され、この研究
チームが実験室完成後ただちに作業を開始したとすれば、新しいウイルスは一九
七八年の春には利用可能となったであろう。そして、これは、HIVの変異性の
研究から推定される時期(第一章四節)と一致する。新しいウイルスの人体実験
はほぼ同一の時期に(つまり一九七八年の春に)開始されたに違いない。
このような人体実験は通常は長期懲役刑の受刑者たちで行われた。受刑者たち
は、もしも人体実験を生き延びたならば釈放されるという約束のもとに志願した
のだ。このような取引は秘密でもなんでもない。米国では一九六九年までに四二
三人の被験者がこのような人体実験によって病気になり、そのうちの四人が死亡
したことが 、公式に発表されている。
引き続いて起こったことは容易に想像できる。だが、これについては直接的な公
文書をまったく得られていない。なぜなら、これらの公文書は西暦二〇〇七年ま
で機密扱いであるからである。
一定数の被験者が人造ウイルスを接種された。そして被験者は当然のことながら
エイズの急性感染症状を示した。これは症状が軽く、二週間後には自然に消えて
しまう。そして再び完全な健康状態に戻ったように見えた。一年以上も潜伏期が
あるとは誰も思わなかったので、この人造ウイルスは軍事目的で利用するには十
分な毒性を示さないと結論された。そして患者の観察は打ち切られた。被験者た
ちは約束通り、釈放された。
潜伏期の長さと感染の程度とは逆の関係にある。輸血による大規模な感染後の潜
伏期は短いが(約一二ヵ月間から一八カ月問)、性交による感染では潜伏期が長
い。フォート・デトリックの被験者たちは、相当な量の人造ウイルスを注射され
たに違いなく、約一二カ月間の潜伏期が予測される。ここで仮定したように、も
しも人体実験が一九七八年の初頭に開始されたならば、臨床的エイズの最初の患
者は一九七九年の春に出現するはずである。
実際に、その通りであった。この時期の特定は十分に補強することが可能であ
る。ハーンらによって測定された遺伝的な不安定性によれば、HIVが最初に出
現するのは一九七八年初頭である。一九七七年に稼働し始めたP4実験室で、最
初の人造ウイルスは一九七八年初頭に完成したであろう。一九七九年の春でのエ
イズ患者の初めての出現は、一九七八年初頭での人造ウイルスの接種を暗示す
る。被験者であった元受刑者たちが、日取も近いが彼らにとってほとんど快適と
はいえない環境のワシントンDCではなくて、近くにある別の大都市であり、そ
の高度に発達した暗黒社会を持つニューヨーク市に向かうのは、恐らく当然のこ
とであったであろう。必然的に臨床的エイズの最初の患者はニューヨークに出現
した。
この仮説は、これまで説明できなかった他の事実さえ説明できる。エイズは最
初、約一九対一の比率で男性に偏って、そして、ほとんどが同性愛の男性に見ら
れた。生物学的にはエイズは男性病ではなく、そして今、女性たちの間に広がり
つつある。米国陸軍徴募局は、兵籍への志願者すべてにエイズの血清検査を行っ
ていて、一九八六年にはHIV抗体陽性の志願者の男女比は四対三であった。し
たがって、エイズは決して男性に限られるわけではない。感染の可能性は男女で
同じである。なぜ最初、主に男性同性愛着たちがエイズにかかっていたのだろう
か?
長期の投獄には、通常、同性愛行為が伴われることが指摘できる。被験者たち
が、長期の男性受刑者たちの間から無作為に選ばれたとすれば、彼らの多くは男
性同性愛の傾向が強かったであろう。われわれの仮説によれば、人体実験によっ
てHIVを感染させられた最初の人間は主に男性であったのであり、そして彼ら
の多くは男性同性愛者であった。エイズが最初、男性の間に、そして男性同性愛
者たちに偏って出現したこと、そして、エイズが女性にもゆっくりと広がって
いったことはまったく不思議なことではないのだ。
いくつかの事実を説明するわれわれの仮説はこれまで通常は無視されてきた。し
かし、なぜエイズは正確に特定できる時期に、すなわち一九七九年に初めて出現
したのだろうか?なぜ、エイズの拡大には明確に特定できる中心地、ニューヨー
ク市があったのだろうか?なぜ、エイズは最初、男性の間に、とくに男性同性愛
者たちの間に出現したのだろうか?どのようにして、HIVは厳重に防護された
高度安全性の実験室から漏れ出ることができたのだろうか?
正確な実験的証拠に基づいて明確な証明を与えたHIVのゲノムの構造について
の前章とは違って、フォート・デトリックについてのわれわれの仮説には直接的
な証明を与えることができない。エイズにかかった最初の被験者たちはすでに死
亡している。確実に、彼らは刑務所から釈放された後に自分たちの身元を隠した
だろう。病院の記録から彼らを探し出せる見込みはまったくない。エイズに関連
した実験室の記録はもしも、それらがまだ存在していればだが、三〇年間は機密あ
扱いである。この遺伝子操作を行った科学者たちについては、彼らは自分たちの
行為の悲惨な帰結を見ているので、確実に何も喋らないだろう。にもかかわら
ず、不十分な点があるにしてもしっかりとした一連の状況証拠をわれわれは提示
しており、これは刑事裁判であれぱすべての陪審員を十分に納得させることがで
きるだろう。





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