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『週刊金曜日』1995年2月10日 第65号
本多勝一“『マルコポーロ』は廃刊にして『諸君!』は廃刊にせぬ文春を嗤う”
株式会社文芸春秋が発行する月刊誌,マルコポーロ』二月号が、ホロコースト
(ユダヤ人大虐殺)は作り話だった、とする記事を掲載し、ユダヤ人団体など
が抗議した。これに対して文春側は、刊行まもない段階の一月三〇日に、記事
に間違いがあったとしてこの月刊誌の廃刊を決定し、花田紀凱編集長を解任し
た。(ただし「廃刊」にすれば「解任」などしなくても居場所がないのだから
当然のこと。「解雇」ではない点に注目を。)
なるほど。まことにすばやい措置である。すぱやすぎる。「作り話」や「間違
い」について、詳細に検討した結果とは思われない。検討したのであれば公表
すべきであろう。何のための記事だったのか。
しかしながら、ともかくホロコーストやガス室を「作り話」とする記事が間違
いだから−−という理由で廃刊したのであれば、それ自体は歓迎すべきであろ
う。本当に「間違い」だとすれば、ナチ・ドイツがやった現代史上稀有の残虐
行為に対するあまりにも軽率な、まともなジャーナリズムとはいえぬ行為なの
だから。
だが、ここで文春の日ごろの反平和・反反核・反市民運動を主軸とする反動タ
カ派の非論理・非倫理が一挙に露出し、だれにもわかりやすいかたちで矛盾が
見えてくる。整理すれぱおよそ次のようになろう。
A第二次犬戦中の日本の同盟国・ドイツがやった無数の暴虐事件の象徴として
「アウシュビッツ」はあった。それを否定したのは文春の月刊誌『マルコポー
ロ』だった。文春は責任をとってこの雑誌を廃刊にし、編集長を解任した。
B第二次犬戦中のドイツの同盟国・日本がやった無数の暴虐事件の象徴として
「南京大虐殺」はあった。それを否定したのは文春の月刊誌『諸君!』だっ
た。文春は責任をとってこの雑誌を廃刊にし、編集長を解任しただろうか。
右のAとBをくらべてみられよ。私は個人的にも公的にも怒りを禁じえない。
責任の重大性は、日本自身の問題たるB(南京)の方が、当然ながらアウシュ
ビッツよりはるかに高いはずだ。
それが「廃刊」どころか、この問題を取材・発表してきた私個人に対して、実
に二十余年間にわたる攻撃がつづいたのだ。攻撃の発端は、一九七一年に,朝
日新聞』に連載した私の記事「中国の旅」である。その中の「車凧」の部分に
対して、「イザヤ−ベンダサン」という偽名を使ったにせユダヤ人(これはユ
ダヤを冒漬する行為でもある)こと山本七平が『諸君!』誌上で非難・攻撃し
てきた。(ベンダサンの非論理・担造・歪曲・無学ぶりについては、浅見定雄
氏の『にせユダヤ人と日本人』〈朝日文庫〉参照。)
以来、文春による私個人への攻撃は、『諸君!』での連載や単行本・文庫本の
ほか、『文藝春秋』本誌や『週刊文春』もあわせると、実に七〇回以上におよ
ぶ。ひとつの有力出版社が、一人のライター個人をここまで執念ふかく攻撃し
つづけた例が世界にあるだろうか。しかも攻撃の〃主役〃だった提僥という、
言葉の正確な意味でのゴロツキ出版人が、「解任」どころか文春の役員に〃出
世〃している。大江健三郎氏が協力しつづけた出版社。文春の本質がよく理解
されよう。
「『南京』と文春」に関する核心部は、文春の南京大虐殺否定路線が、結局は
ついに全面敗北したことである。歴史学者やジャーナリストなどからなる「南
京事件調査研究会」(洞富雄代表)による現地調査や論文・ルポの反撃によっ
て、文春が重用したベンダサンその他有象無象の否定派はすべて沈没した。小
野賢二氏などによって、虐殺をやった日本兵自身の第一次資料が次々と発掘さ
れたのも、文春を舞台とする否定派にとっては痛かった。現在のかれらが最後
にすがりつくワラは、虐殺の「数」である。「そんなに多くはない」というつ
ぷやきだが、それとても必死で過小評価すべく努力している。
ともあれ、「南京」を否定した文春は完敗した。アウシュビッツを否定した文
春の今回の態度が、もし本心からの反省であるなら、『諸君!』こそ廃刊にす
べきであろう。このことは絶望的なこの出版社よりも、今回の件で文春に抗議
した外国の諸団体に知らせて、文春の措置など表面的な繕いにすぎぬことを納
得させよう。文春は、単に広告拒否という商売上の圧力に参っただけ、それだ
けなのだ、と。