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週刊読売99.1.17
揺らぎだした「重要証人」の目撃談
新年を拘置所で迎えた林真須美被告(37)。前代未聞の毒カレー事件の舞台は法
廷の場に移ったが、ここに来て、捜査当局が最重要証人と考えていた「男子高校
生」の証言が揺らぎ出している。公判では証言したくない、とも言い始めた、と
いうのだ。
最重要証人とされていたのは、市内に住む16歳の元男子高校生。例の「真須美
被告が紙コップを持ってカレー鍋に近付いた」という衝撃的な目撃談を語ってい
た少年である。
その少年が注目を集めたのは、毒カレー事件発生から2か月経過した昨年10月
中旬。少年の存在は、和歌山県警捜査本部の徹底的な聞き込み捜査によって浮か
び上がってきたのではない。あるマスコミ関係者が、偶然、以前から顔見知り
だった少年から目撃談を打ち明けられたのが発端だ。それが結果的に、捜査当局
の知るところとなる。
捜査本部はカレー事件直後の夏祭り会場周辺の現場検証で可能な限り、ごみ袋を
押収した。そのうち三つのごみ袋から、夏祭りでは使用されなかった色付き紙
コップ計3個が見つかった。
その中の一個の底から微量の亜ヒ酸が検出されたわけだが、その問題の紙コップ
が捨てられていたごみ袋には、一緒にニンジンやジャガイモ、カレーの空き箱、
汚れをふき取ったティッシュペーパーなどが入っていた。
「つまり、そのごみ袋はガレージ内のカレー調理場にあったものと推測される。
そうなると、ほかに見付かった2個の色付き紙コップはどんな意味を持つのか。
捜査本部はすでにその時点で、犯人は色付き紙コップを3個か4個重ねて持ち、
一番内側の紙コップに亜ヒ酸を入れて調理場まで連んだ、という推理をしてい
た。4個重ねて持っていた場合は、一番外側の紙コップは別の場所に捨てたか、
持ち帰ったと見ていた。そこへ、真須美被告と紙コップを結び付ける少年の証言
が飛び込んできたのですから、捜査本部が色めき立ったのも無理はありません」
(捜査関係者)
11月に入ると、捜査本部の情報を聞き付けた週刊誌などがこの少年の証言を紹
介。少年の存在が俄かに脚光を浴びるようになったのである。
数日後、捜査員はこの少年の自宅へ出向いて事情聴取を行っている。少年が当
初、紙コップの色を間われ
「色の混ざった変な色で、よく見ると色の違う複数の紙コップが重ねてあった」
と証言していたことから、捜査当局では視力検査や色覚検査を実施したが、すべ
て正常で、当日の真須美被告の着衣や人相に関する目撃証言も真須美と完全に一
致していた。そして、何より、彼が真須美被告が手にした紙コップに注目した理
由に、説得力があったという。
「捜査当局も、あれだけ離れた場所から紙コップが重ねられていたことが果たし
て判別できるのか、なぜ通りすがりの主婦の手元を注意深く観察したのか、そう
した点を細かく聞いています。彼の答えは公判で明らかにされるでしょうが、
『なるほど、それなら』と十分に納得できるものだったといいます」(同)
少年の機嫌を取るテレビ局
ところが、公判で証言することになっているこの目撃者の重要証言に疑問符が付
き始めたという。
というのも、少年がマスコミの舞台に登場するにしたがって、その証言内容が微
妙に変化してきたのである。
最初に少年の存在を知ったマスコミと捜査当局に対し、少年は当初、真須美被告
を目撃した時間帯は正午前、と証言している。
少年はいつも正午少し前に近くの自動販売機にジュースを買いに行くのを日課に
していて、当日もいつものように行動したからだ。「その自動販売機からカレー
の調理が行われた民家ガレージまでの距離は約30メートル。ところが、そこか
ら真須美被告が持った複数の紙コップの詳細な様子まで見るのは無理がある。実
際はもっと近付いて見たと思われます。
正午前に真須美被告を見たという証言は、その時刻に同被告がその場所にいたと
いう事実と符合するが、捜査本部が作成した犯行のタイムテーブルによると、そ
の時、真須美被告はまだ紙コップを持っていない。真須美被告が紙コップを手に
してガレージに現れたのは、午後12時20分ごろとみられているのです」
(同)
ここに十数分間の時間帯のズレが生じてしまうため、その後の実況見分などで、
犯行のタイムテーブルは「少年が紙コップを持った真須美被告を見たのは12時
20分ごろ」と修正されている。
ほかにも、様々なマスコミに少年が証言した内容を振り返ってみると、肝心の紙
コップの色だけでも、「色の混ざった変な色」から「白っぽい紙コップ」、さら
に、「三段重ねの紙コップ。一番外側はピンク色」と、より具体的なものに変化
している。
さらに、ガレージ内の様子に関しても<真須美さんは誰とも話さず、ずうっとカ
レー鍋の前に近寄りました>
という証言から
<一人の主婦が林さんに口喧嘩っぽく、『遅いやないか』みたいなことをいって
いた>
と「無言」から「口喧嘩」まで、正反対の証言さえある。
(中略)
証言の信憑性を揺るがす行為
捜査当局も頭を痛めていますよ、と話すのはあるジャーナリスト。
「捜査本部の幹部は『彼の今後の人生が心配だよ』と嘆いています。もちろん、
本人にはマスコミとは接触しないように固く言い渡しているし、取材を断る際の
適当な文句まで伝えてあった。にもかかわらず、当局の意向を無視して、週刊
誌、ワイドショーなどに次から次へと出演したんですから。一時は自分をマスコ
ミの寵児みたいに錯覚してしまった。『これまできちんと地道に歩んで来たの
に』と残念がっていますよ」
16歳の少年だから、無理もないだろうが、周囲の一部マスコミが少年を振り回
した点については、「大人の側こそ自制が必要」と批判されてもやむを得ないだ
ろう。
板倉宏・日大教授の話。「少年の場合、明らかに、自分が本当に見た事実の上
に、捜査情報やマスコミ報道がインプットされ、その後の報道で知り得た情報が
肉付けされているようですね。問題なのは、最も重要な目撃の距離や、紙コップ
の色についての証言が変遷している点でしょう。捜査当局がマスコミとの接触を
しないように申し渡したのは、そういうことになれぱ、裁判官が証言の信憑性を
減殺してしまうからなんです。まして、見返りに品物を渡していたことは、証言
の信憑性そのものを揺るがす行為です。現金じゃないからいいだろう、というわ
けにはいかないんですよ」
今では、少年は証言台に立つことを嫌がっているという。(白井理造)