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ペントハウス1999年3月号
吉本隆明『世紀末吉本亭』第17回
<オウム真理教を改めて問う その1>
優れた宗教家が人格者とは限らない!
久々にオウム論を語ってくださってます。
相変わらず「僕は麻原さんの宗教家としての力量を高く評価しています」
とおっしゃっていますm(__)m。
村上春樹を評価しております。
確か以前は麻原は「親鸞と並ぶ」思想家だと言っていたように思うのですが,
今回は「麻原は親鸞以前に逆戻りした土俗宗教で,そういうものの神様としては
人格が優れていなくていいのだ」といっていました。
<オウム真理教を改めて問う その1>
優れた宗教家が人格者とは限らない!
法律で思想や宗教は裁けない!裁判で奇行を演じても麻原への評価は変わらない
■オウム真理教の麻原彰晃の公判が、昨年12月で100回に違しました。しかし、麻
原自身の考えが一向に明らかにならず、また95年3月に起きた地下鉄サリン事件につ
いても、真相は闇の中という苛立ちがあリます。
吉本 僕は麻原彰晃の宗教家としての力量をかなり高く評価しています。ですから、麻
原やオウム真理教事件については、最初から評論家ではなく思想者として振る舞うとい
う姿勢でやってきました。脇を固くしてと言うか、麻原にパカにされるようなことは一
切言わないぜというモットーでやってきたわけです。また無差別殺人を狙った地下鉄サ
リン事件は、今までのテロとはまったく次元の違う新しいタイフの犯罪だと考えていま
す。そういう観点に立って、まず第一に言いたいのは、今のところ、麻原の指令によっ
て地下鉄サリン事件が起きたという法律上の証拠は出ていないということです。新聞記
事などを見る限り、麻原が特定の人物に「お前、地下鉄にサリンをまけ」と指令した事
実は出ていません。ですから、その意味では公判をいくら重ねても事態はちっとも進展
していないじゃないかというのが僕の感想なんです。
■マスコミに登場する識者たちは麻原を宗教家として認めず、殺人鬼扱いしています
ね。
吉本 ええ。マスコミに登場する評論家、作家、新聞記者、キャスターといった連中
は、みんな失格です。彼らには二つのタイプがあります。一つは、「現代思想」などの
雑誌でオウムが教義としているタントラ・ヴァジュラヤーナ(金剛乗)は殺人を許容す
るものだと論じたりしているアカデミックなタイプです。もう一つは、世論を背景にし
ながら麻原をパカ扱いして、殺人鬼にすぎないのだから早く首を吊るせと言っているタ
イプです。作家の佐木陰三なんかは、後者の典型的なタイプです。そうした中で、僕が
「立派なものだ」と思ったのは小説家の村上春樹が出版した『アンダーグラウンド』と
いう本です。これは地下鉄サリン事件の被害者や遺族の人たちをインタビューしたもの
ですが、丁寧なインタビューであるということも含めて、そこには村上春樹の小説家と
しての力量がよく出ています。でも、麻原やオウム真理教については関知しないという
態度を村上春樹は取っていますから、思想的に格闘したものとは言えません。
■麻原は裁判で独リ書をブツブツ書ったり、英語で答えたり、奇行を演じている。「私
はユダヤ人の王だ」と臆することなく言って磔になったキリストとは、ずいぶん違いま
すね。
吉本 麻原が最初から「オウム真理教の教義はこうで、全貌はこうだ」と述べていれ
ぱ、スッキリはしたでしょうけどね。最終陳述ですべてを語る可能性もありますが、今
までの裁判の経過を見る限り、それはないような気もします。自分の方針か弁護士の方
針か分かりませんが、できる限り“逃げる”という方針でやっているんじゃないかと思
います。法律で思想や宗教は裁けない。法律ごときの枠内で「オウムの教義はこうで
す」なんてバカらしくて言えない。だから、俺は法律なんか相手にしないで逃げちゃう
ぜってことなのかもしれません。裁判上は、確かな証拠が出ない限りは、できるだけ逃
げ通したほうが有利なわけですしね。
(略)
■麻原が裁判で奇行を演じているのは備神に異常をきたしているせいだという見方は?
吉本 そういう想像もできます。世間から袋叩きにあい、何年も留置されていれば、そ
の精神的ストレスは言語に絶するものがあるはずですからね。候も麻原を優れた宗教家
だと評価したために抗議の電話やハガキが殺到し、世論の凄まじい反発を経験しまし
た。でも、麻原が精神的におかしくなっているとしても、僕の麻原に対する宗教家とし
ての評価は下がりません。宗教家としてどんなに優れていても、これだけの圧迫をはね
のけることは容易じゃないですから。
(略)
オウムは麻原を『生き神様』とする原始仏教だ!『生き神様』でも
人格的に劣ることはある!
■麻原を優れた宗教家だと評価されるのは、麻原の著書『生死を超える』をお読みにな
り、その内容を高く評価されたからですか?
吉本 そうです。あれは、とてもいい本だと思います。身体的修練を重んじるヨーガと
か、臨済宗、曹洞宗などの禅宗系続の坊さんで、あれだけのことを言った人はいないと
思います。精神を統一する修練とか、生死を離脱する修練とか、身体には精神集中の急
所があり、そこに精神を集中させるとどんなイメージが湧くかといったことを明瞭に書
いています。
(略)
■麻原の空中浮場の写真、あれはインチキ写真だとマスコミが大陸ぎしましたが?
吉本 あれはマスコミの報道の仕方が一面的なんです。麻原は飛び上がっていることは飛
び上がっているんです。オウム真理教の側に言わせると、修練して体のどこかに精神を
集中させれば、「気の流れ」を重力に反するような形で上方に起こすことができる。そ
れで、下に落ちる際、普通の人に比べて落ち方が遅いということを言っているにすぎな
いんです。身体に内向していくのは東洋の特徴なんです。体内で自律的に動いている胃
とか肺とかを修練によって自分の意思通りに動かせるようにしたりする。インドにはじ
まって東洋というのは、そういうことぱっかり何千年もやってきたんです。
(略)
■麻原はそうした修行を通してしか解脱できず、真の幸福は得られないという言い方を
しています。それは疑うぺきではないですか?
吉本 それは疑うべきです。オウム真理教に限らず、禅宗などもそうですが、僕が気に
食わないのは、自分たちの言ってることがすべてであるような言い方をしている点で
す。でも、「自分たちの宗教を信じれば救われます」と言うのは宗教全般の特徴です
ね。身体的な修練を積めば解脱できるとか、仏様を見ることができるとかと
いう教えは
おかしい、そんなことは心理的な幻影にすぎないと言って、仏教的な修練をすべて否定
したのが親鸞です。
■麻原は宗教家としては親篇以前に逆戻リしているわけですね?
吉本 そうです。ヨーガはインドからチペットヘ分派していった原始的な仏教ですか
ら。
■麻原は大きな椅子にふんぞリ返ったり、弟子には命令口調で威張っている感じがしま
す。優れた宗教家であれば人格も優れているはずだというのが一般の見方だと思います
が?
吉本 本質的には優れた宗教家は優れた人格者であるべきだと思います。でも、ヨーガ
みたいな原始的な宗教の場合は「土俗宗教」と言うのか、「生き神様信仰」なんです
ね。東洋では中国を除く周辺地域で、そうした「生き神様信仰」が一般的に見られま
す。チベットのダライ・ラマも「生き神様」です。日本の「鎮守のお祭り」も「生き神
様信仰」の現れですし、青森の恐山の巫女や沖縄のユタなんかに伺いを立てるのもそう
です。これを、制度的にもっと体系化したものが天皇制です。「生き神様」と周囲から
敬われるようになったのは、お告げができるということで超能力があると見なされたた
めです。でも、「生き神様」だからといって、人格的な修行をしているわけでもない
し、宗教的な修行を特別にしているわけでもありません。「生き神様」は人格は間われ
ないんです。天皇がそうであるように、「生き神様」の宗教的高さと人格約高さとは必
ずしも一致しないんです。麻原の場合も、そういうことが当然あり得るわけです。
(文中、敬称略)