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朝日新聞1999/01/20夕刊5面
毒物事件で問われるネット社会
米は言論の「匿名性」保持
現実との距離感の育成を
吉本秀子(フリーランスライター)
礼睨の男性から宅配便で送られてきた毒物を飲んで東京の女性が自殺した事件で、毒物の入手にインターネットがかかわっていたために、日本ではネット社会の匿名性が問題になっているようだ。ネット社会における「実名主義」の確立が急務である、という見方も出ている。
米国の自殺事件で、インターネットとの関連性が議論された有名な例は、一九九七年三月カリフォルニア州サンディエゴ近郊で、三十九人の禁教的カルトのメンバーが集団自殺したヘブンズペゲート(天国への門)事件だ。メンバーがネット上に多くの書き込みを残していたこと、ネットでメンバーの勧誘をしていたことが問題にされ、ネット・バッシングが起きた。
だが一方で、カルトの集団自殺は昔からあったもので、インターネットの影響が、既存のチラシや直接勧誘による影響を起えるものだったとは言えない、という議論も強かった。その後、ネット・パッシングに対する反省の声も聞かれ、ネットと自殺の因果関係を安易に関連付けるよろな論調は影を潜める。
日本では今回の事件がもとで、ネット・パッシング的な論調が見られ始めた。混乱を遺けるために、少なくとも、この事件は、「言論」と「商取引」の二つのレベルに分けて分析する必要があると思われる。
一般的に、会話を匿名で行うこと自体は、言論の自由の範囲に入るものであり、認められるべきだろう。匿名にすることで、実名では言えないことが言え、会話から一種のカタルシスが得られる場合もある。このようなコミュニケーションの場は、社会の安全弁として必要なものだ。
問題はその内容だが、自殺情報(自殺願望の打ち明けや、自殺手段の情報交換)といえども、電話や手紙でそれをやり取りしても直ちに罪に問われることがないのと同様、ネットだからといってこれらが規制されるべきではない。
米国でも、ネットに関する法律は整備段階だが、簡単に言えば、「言論」のレベルの問題であれば、それは「言論の自由」を定めた合衆国憲法修正第一条が保護する個人の権利である、と見なされている。
たとえば、ジョージア州では九六年四月、ネット上での匿名を禁止する「ネット警察法」が可決された。同法には「個人を誤って特定するような名前の使用をネット上で禁止する」という条文が含まれていた。これに対し、「電子フロンティア財団」などの市民団体は「匿名は自由な言論の助けになるので認められるべきだ」と批判し、九七年六月、ジョージア州連邦地裁は同法に違憲判決を出した。
米国で九〇年代初頭にベストセラーになった自殺マニュアルとして、『ファイナル・エクシット(最後の出口)』という本がある。同書も、ネット上にあふれる自殺情報も、規制の対象にはなっていない。
これに対し、インターネットを通じた会話が商取引に結びつき、契約・決済が必要になる場合は(打ち合わせや、本契約前の約束の段階も含めて)、米国でも匿名は論外になる。実名が不可欠であるだけでなく、加えて取扱品目別の営業許可が必要だ。
カリフォルニア州では九七年一月、通信販売に関する既存の法律がインターネット商取引の場合にも適用された。たとえは、ネットで商品を注文し、代金を払い込んだが、商品が送られて来ない場合、ネッド上の店舗に対しても詐欺罪が適用される。このため接続業者の中には、ネット上に店舗を出すサービスの契約対象を「事業者」に限定しているところもある。
米国で電子商取引の基盤作りを進める非営利組縦「コマースネット」は、既存の法律だけでネット上の取引に関するルール作りは可能だと主張している。また、それが毒物であれば、金銭を伴わないやり取りでも、毒物取り締まりなど既存の法で対処できるだろう。
札幌の男性の場合、ネットでの会話にとどまらず、.毒物を自殺願望者に販売する、という具体的な行動にまで至った。コミュニケーションは行動を誘発しがちだ。女性が実際に自殺したことを知って自らも命を絶ったこの男性には、残念ながら、匿名での会話と現実との距離を見極める判断力が、欠落していたように見える。事件が社会に残した課題は、匿名のコミュニケーション自体を敵視することではなく、このような判断力を育てることではないだろらか。
インターネットの良さは、だれでも情報発信ができることにある。だが、自由な言論が行われるということは、その中に危険な情報やガセネタもまざっていることを意味する。このような情報の吟味・選択の過程判断力は養われていくだろう。
吉本秀子(フリーランスライター)
よしもと・ひでこ 1959年茨城県生まれ。
早稲田大学文学部卒。米国シリコンバレー在住。
米国のコンピューター事情に詳しい。
Webにも載せて欲しかったです。
全部引用しちゃった。いいかな。