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★メディアの危機を訴える市民ネットワーク┃メ┃キ┃キ┃・┃ネ┃ッ┃ト┃
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メール・ニュース vol.5(3) 発行:2002年2月7日
登録者数:292人
「9・11報道を考えるジャーナリスト・シンポジウム」
(12月22日東京ウィメンズ・プラザ)報告記(最終回) 北原 恵
基調講演と4人のパネリストの発言のあと、会場からの質問・意見を聞く形で
討議に移った。
● 野中章弘さん(アジア・プレス・インターナショナル代表)
20年フリーランスで仕事をしてきた野中さんは、フリーのビデオ・ジャーナリ
ストの立場からアフガン報道について話をされた。(以下は要約)
「アメリカも日本のメディアも情緒的に反応して、立ち止まって歴史的にどう
捉えるかという姿勢を放棄してしまった。歴史的経緯を踏まえてきちんとアフガ
ン情勢を語れるジャーナリストがフリーもマス・メディアのなかにも、ほとんど
いなかった。旧ソ連軍がアフガニスタンに10年いたが、ソ連軍に抵抗するゲリラ
の取材をしたのは、99%フリーのジャーナリストだった。戦争を報道する場合、
戦争の中から、つまり戦場で記録することが基本だが、今回はほとんどなかっ
た。今入って来た情報がどういう意味を持つのかを考えるスタンスが取れず、戦
況報道のみに追われる。マスメディアは早く、メディアの表舞台から消えて行っ
てくれたら、と思っている。二項対立的にマスメディアvsフリーランスという構
造ではなく、大きな時代の流れの中でマス・メディアについて問いかけていきた
い。」
● 本田雅和さん(朝日新聞記者)
「私も20年あまり、できるだけ現場にこだわりながら仕事をしてきた。9月20
日すぎにアフガニスタンに入り、4日前、カブールからイスラマバード経由で東
京に帰ってきたばかり。現場で見てきたことは、石山さんや石山さんの同僚の名
誉を毀損するわけではないが、かなり違うことがあるので、指摘したい。
アフガニスタンに初めて行ったのは、1988年のこと。社会主義政権下、アジ
ア・アフリカ・ラテンアメリカの作家やジャーナリストの国際会議の取材だっ
た。カブールのインターコンチネンタルホテルで取材していたが、ホテルの近く
に飛んできたミサイルが恐くて仕方なかった。
今回のアフガニスタン報道に関しては、皆さんが指摘しているように数多くの
問題を抱えているが、自分の体験からいくつか話したい。
10月7日の夜、アメリカの空爆が始まった。共同通信から大きいニュースが入
ると、ピーコというのが鳴る。もっと大きなニュースのときは、チャイムが鳴
り、編集局内部が総立ちになる。あの日の夕方、アブドロという北部同盟臨時政
府・外相の記者会見があった。それに出ていた記者は、今夜空爆があることを分
かっていた。戦争の取材は難しく、結局従軍記者として軍隊に従って行くしかな
い。
北部同盟支配下に入ると同時に、記者は全員パスポートを取り上げられてい
た。抗議したが、CNNだけはその日の午後にパスポートを全員取り返してい
た。共同通信がチャイムを鳴らして、「カブールの南の山の方角から白い煙があ
がった」という報道をした。自分は「全く見えない」と本社に言った。カブール
は南60キロであり、見えるわけがない。共同の記者は、北部同盟軍が毎日のよう
に撃っている砲撃を見ただけ。共同通信の特種を否定しているわけではなく、ち
ょっと早く報道することの意味は何なのか?
「カブール解放」とか「カブール陥落」とか、メディアの言葉、ボクは使わな
いようにしている。正確ではないし、価値観のある言葉だから。「カブール解
放」といっても、誰が誰によって解放されたのか? タリバンはカブールを明渡
して逃げて行っただけ。「陥落」というのは、南京陥落のとき、日本のメディア
も提灯行列を煽り、戦争とメディアの総動員をかけられた国の市民として、「陥
落」という言葉は、ボクは使わないし、使わないように努力している。
ボクが今言いたいのは、ジャーナリストにとって大事なことは、石山さんのお
っしゃった通り、広島と長崎をはじめ、これだけ全ての都市が攻撃され、民間人
が殺されて、日本が戦後出発したジャーナリストにとっては、戦争に反対するこ
とがジャーナリズムの大きな仕事だと思っている。ボクもそう思ってジャーナリ
ストを志したし、そういう自分の仕事もそういう仕事でありたいと思ってきた。
だが、それがうまくいっていないということも事実ある。
それから、もうひとつジャーナリズムの大きな仕事は、石山さんのおっしゃっ
た通り、現場からの取材。大状況から言うと、戦争に反対するということから再
建され、再出発したはずの戦後の日本のジャーナリズムが、政府や権力に対する
批判力を失ってきたのは、ベトナム戦争と湾岸戦争のあいだくらいじゃないか。
ベトナム戦争のときは、フリーの人がどんどん現場に入ってきて、それに刺激さ
れて組織ジャーナリズムの人もいい意味での競争があった。
湾岸戦争の時、若気の至りだったが、ピーター・アネットと同じホテルに泊ま
りながら彼をとても尊敬していた。ブッシュ(親父の方)が攻撃したのが実はバ
グダッドのミルク工場であり、たくさんの民間人がまきこまれていることをピー
ターは報道した。ブッシュに「アメリカ国民の敵だ」と言われながらも彼は闘っ
た。ところが、今回、CNNを見ていてものすごく恐ろしいものを感じた。
例えば、ジャブルサラジに北部同盟の政府があるがそこの外務省をたずねる
と、その8割はCNNの事務所。アメリカの動向も北部同盟は、CNNから衛星
電話などを借りて情報を流されている。CNN、北部同盟、アメリカは特別な関
係にある。
今、ジャーナリズムにとって一番大切なのは、少々早くカブールに入るとか、
空爆を言い当てるとかではなく、検証報道だ。カブールに入った時、尋ねて行っ
たのは、インディラ・ガンディー子ども病院とか、空爆の被害者ばかりをたずね
歩いた。アメリカは誤爆と言っているが、明らかにソ連時代に共同住宅とか建て
られたところばかりを、まんなかに落としている。間違えようもない。そういう
ところで、子どもを殺された親に、親父を殺された息子や娘に話を聞いて、空爆
が憎いと言わなかった人はひとりもいない。当たり前です。
でも非常に残念だったのは、女性の識字率が5%という状況で、爆弾が落とさ
れても、誰が落としている爆弾か分からない、というのが実情。だから北部同盟
の兵士が、爆弾を落としたのはアメリカではなくタリバーンだと言えば、皆信じ
てしまう。
ボクは、空爆で娘を失った北部同盟の軍医の家を尋ねて行った。親父は先ほど
石山さんがおっしゃった通り、娘の死はタリバンと闘うための犠牲だと言った。
でも、その妻は「許せない、アメリカは何故私の娘を奪うのか」と言った。する
と親父が飛んできて「おまえ、そんなこと言うな」と言った。ジャーナリストの
前で本当のことを言ってくれるはずがない。特に西側のジャーナリストの前で
は。
カブールでもタリバーンが女性の抑圧政策をやっていたかもしれないが、その
代わりにやってきた北部同盟も92年から96年のあいだ、毎晩の様に略奪とレイプ
を繰り返して、カブールの女性や市民たちにとって一日たりとも安心な日はなか
った。それが北部同盟を形成している兵士達。
「カンダハル」という映画の主人公が言っていることだが、今日発足する暫定
政権のなかには、国際法廷に引きずり出して、刑務所に行った方がいい人がい
る、北部同盟の兵士の多くがそういう過去を持っている。そんな中で、沿道の20
人に聞いても、北部同盟は有り難いとみんな言う。兵士に聞いても「アラーの神
がタリバーンをやっつけてくれてうれしい」と最初は言うが、じっくり聞くと、
「実は、おれのおかあちゃんがカブールの北に住んでいて、アメリカの集中攻撃
を受けていて、死んでいるかもしれない」と泣き出す。
共同通信のキンコンカンコンが鳴って、朝日新聞の編集局が総立ちで「おま
え、白い煙が見えるか」と言ってくるが、見えるわけない。でも、こんなことを
言いたくないが、「60キロ南だから見えるわけない」と抗議しないと、東京には
わかってもらえない。 いくつかの前線に行ったが、硝煙の臭いもして銃弾も飛
んでくる時は、事実が重すぎて、迫真ルポなど、いくら書いても伝わらない、そ
れはボクの力不足ですが。
ボクがもっと傷ついたのは、タロカンというところに取材に行ったときのこ
と。いきなり北部同盟が戦闘を始めた。ボクは塹壕に隠れて、命からがらルポを
送った。その現場にいっしょにいたのは、イタリア人の新聞記者と、ポーラン
ド、ギリシア、スペインのTVだったが、数日後、イタリア人の記者が「あれは
戦闘ではなかった」と打ち明けてくれた。「北部同盟の記者が、戦闘を見せてや
ろうかと言ったので、お好きなようにと言った」。ふざけるなと。そこでは必要
のない戦闘をやってしまった。
その種の「やらせ」のようなことを目撃したのは一回や二回ではなかった。少
なくとも湾岸戦争では、ボクの見ている限り、そんなことはしていなかった。こ
の数年で、ものすごく大きくCNNも変わってしまった。ジャーナリスト精神を
失い、腐り果ててしまった。 カメラマンの石川文洋さんがベトナムに行ったと
き、米軍が石原慎太郎に大砲をぶっぱないしてみろと言ったのを見て、必死で止
めたことがあった。人が死ぬということが見えない。記者が戦場に行くことの意
味は、そこでの殺戮とか人権侵害とかの、ウォッチドッグとして、戦争の抑止力
となること。
だが今回、現場で打ちひしがれたのは、ぼくら世界中から来た100人以上の記
者は戦闘を待っている、戦争に対する抑止力となるのではなく、戦争を煽るよう
なことをやっている。そして、実際にぶっぱなさせていることがあった…
(終了時刻が迫っていたために、司会からやむを得ず発言時間の限定をせざる
をえなかった。本田さんへの大きな拍手)
●その後会場から、「アメリカ寄りの報道ばかりだが、戦争抑止力となるべきだ
という本田さんの話が聞けて、今日ここに来たかいがあった」。●「(日本TV
で労働運動をしてきたOB) メキキというがメディアの<危機>なんか、とっ
くに終えている。1960年末から70年にかけて、民放労連は300人、新聞労連は200
人解雇され大弾圧を経験した。その頃にメディアの中央支配が完成し、その後労
働組合もエリート化した。メディアそのものが体制支配の道具ならどうすればい
いか。こういう状況では、全員が自分で直接インターネットなどで調べるべき。
専門家に任せるべきではない」。●「9.11以降、報道された途中の内容のひとつ
ひとつの検証をすべき。オサマ・ビンラディンがやったという前提で話すこと自
体が、危険」、などの発言が続いた。●最後に、司会からメキキ・ネットの現状
報告と今後の活動への協力要請があり、閉会した。
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[編集後記]
「9・11」以降、否応無く降り注ぐ「情報」の洪水のなかで、私たちは「起こ
った事柄」について詳しく知りたいという要求、そしてそれがなぜ起こったのか
という、ごく当たり前の疑問を抱くこと、それ自体が憚れるような空気にとまど
いました。あたかも、知ることを求め、問うことが「犠牲者」への冒涜であるか
のようなマス・メディアの論調、ブッシュ大統領による「戦争」宣言。あまりに
も簡単に「戦争」が始まってしまうことに、そしてその「宣言」をいとも簡単に
受け入れてしまうマス・メディアに、正直言って、唖然としました。
いち早くこうした状況を批判なさった太田さんの基調講演を中心に、メディア
を検証するシンポジウムが企画されたは10月の始めでした。こうした私たち自
身のとまどいやメディア状況に対する惧れから始まった企画だったのです。太田
さん始め、パネリストの方々はこちらが申し訳ないと思うほど、シンポジウム実
現に向けて惜しみないご協力をくださいました。ほんとうにありがとうございま
した。
5号担当 吉田俊実
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講演内容の評価は可成り高く、特に、第二部-討論の部に於ける本田氏による問
題提起は瞠目の的となった。従って、好評を博したと受け止められよう。
また、今後のメキキ・ネット自体及び主催による講演への抱負と期待は、この上
もないほど良く抱かれており、中でも、本講演会のより踏み込んだ内容での再開
を望む声が大きい。よって、成功裏に開催を全う出来たと言えよう。
但し、時間の短さを指摘する声も強く、今後の課題として熟考を要しよう。
・ なお、本催しの認知経路は、半数近くが「友人・知人等クチコミ」で、コネ
クションの力量に改めて納得されるものの、1/3は「新聞・雑誌・ミニコミ等告
知欄」が占めており、<週刊金曜日>、殊更<朝日新聞イベント告知欄>による
影響の大きさに注目すべきであろう。
今後の来場誘引策を練る上では、必須の対象とすることに異議はない筈。
・ 今回は、メキキ・ネット会員(メルマガの購読者)が1割強出現し、前回
(10/3)には皆無であったことを鑑みれば、メキキ・ネット自体及びメルマガに
よる催し物の広報が、順調に浸透しつつあることが窺われよう。
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(vol.5 編集担当=吉田俊実)
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│発行= 2001年2月7日 │
│発行所=メキキ・ネット事務局 │
│ ホームページ: http://www.jca.apc.org/~lee/mekiki/index.html │
│ 電子メール: mekikinet-owner@egroups.co.jp │
│ FAX: 020-4666-7325 │
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