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『誰も知らなかったオマルの素顔』〈全文〉  [ニューズウィーク日本版1・23]

投稿者 あっしら 日時 2002 年 1 月 30 日 23:35:13:

「ニューズウィーク日本版1・23」のP.36から始まる『誰も知らなかったオマルの素顔』の全文を転載する。

『対テロ戦争を戦うアメリカに、大きないらだちのタネがある。タリバンの最高指導者ムハマド・オマルを依然として拘束できていないことだ。
 米軍とアフガニスタンの反タリバン勢力は、あと一歩でオマルを殺害、もしくは捕捉できるところまで何度も行っていた。本誌は先週、その詳細について、オマルの運転手を努めていたカリ・サヘブに逃亡先のパキスタンで話を聞くことができた。
 米英軍の空爆が始まった昨年10月7日、サヘブはアフガン南部の拠点カンダハルにあるオマルの邸宅にいた。
 オマルは最初、避難するよう側近たちに強く勧められても言うことを聞かなかったと、サヘブは言う。「ブッシュ(米大統領)が戸口に現れても逃げるつもりはない」と、オマルは言った。
 米軍は化学兵器を使ってくるかも知れないと側近たちが言うと、オマルは防護マスクがあるから大丈夫だと言い張った。防護マスクが有効なのは1時間だけだと言われて、ようやく避難することに同意した。
 いつも使っているSUV(スポーツ・ユーティリティー車)は危険だと考えて、側近たちはオマルを人力車に乗せて、町の中心部まで運び、そこで泥だらけのトラックに乗り換えさせた。それから数日間、オマルは家を転々とし、地下室で眠った。
 オマルを捜索する米兵はすぐそばまで迫っていたと、サヘブは言う。オマルの支持者が、引き揚げていく米兵に手榴弾を投げつけたこともあった。
 タリバン部隊のある司令官は、指揮下の6両の戦車に、米兵に向けて砲撃するよう命令した。しかし、その前に米軍の爆弾が戦車をすべて破壊した。
 「とてつもない軍隊だ」と、サヘブは言う。「米軍がわれわれの戦車を破壊する様子には、目を奪われた」

 大衆に愛されていた?

 だがアメリカの圧倒的な戦力も、不誠実な「味方」にはあまり役に立たない。
 米当局は先週、カンダハル州の新知事がタリバン政権の元閣僚3人に恩赦を与えたと知って、愕然とした。釈放されたなかには、抑圧的な宗教警察を創設したヌルッディン・トラビ前司法相も含まれていた。
 アフガン人がオマルの身柄を確保した場合は、アメリカに引き渡す約束になっている。しかし、これまでアフガン人がオマルを逃がしてきた可能性は否定できない。
 欧米のメディアでは、オマルは怪物のように描かれてきた。同性愛者の生き埋めや仏教遺跡の破壊を命じた人物として知られている。
 しかし、本誌が話を聞いた側近の例にもれず、運転手のサヘブもオマルは民衆に支持示されていたと語る。混乱状態の社会に秩序を回復し、失敗に終わったものの汚職摘発に取り組んだ指導者として評価されているというわけだ。
 もっとも、単純なオマルはウサマ・ビンラディンにだまされて利用されたのだと、サヘブは言う。しかし彼に言わせれば、オマルはその単純さを武器に、腐敗した世界における純粋性の象徴として君臨してきたという面もあった。
 サヘブは専用車の運転手として、このカリスマ的指導者の隠された素顔を垣間見てきた。

 オマルが口ずさんだ歌

 サヘブによれば、オマルは夜になると変装して安っぽいオートバイに乗り、一人でお忍びで出かけることが多かった。「(オマルは)庶民の抱える問題を知りたいと思っていた。タリバン政権下で人々が困っていないか知りたがっていた」と、サヘブは言う。
 オマルは貧しい家に生まれ、満足な教育を受けることもなく育った。字が下手なことは、読み書きのあまりできないサヘブが見てもわかるほどだった。
 80年代には、アフガニスタンに侵攻したソ連軍との戦いに参加。片目を失明したのは、そのときだ。
 90年代に入ると、オマルは内戦下のアフガニスタンでしだいに頭角を現していった。オマルを一躍有名にしたのは、少女をレイプした男を捕まえて、戦車の砲身につるして絞首刑にした一件だった。
 96年には、「イスラム教徒の最高指導者」を名乗るようになった。質素な生活を重んじるオマルは、肉料理を毎晩作った料理人を叱責したこともあった。前線の兵士たちは、肉はいっさい口にできなかったからだ。
 「私の力の源は兵士だ。大臣たちではない」と、オマルはサヘブに言った。
 オマルはいつも気前が良く、配下の司令官が欲しいと言えば、新しい車を譲ってやったという。
 サヘブはオマルを乗せて、長時間運転した。そのうちに、強烈な匂いが鼻を突くようになった。預言者ムハンマドの使っていたものだと、オマルは説明した。
 退廃との戦いの一環として、オマルはあらゆる音楽を禁止していた。しかし、SUVの車内では、いつも頭を垂れて、歌詞を口ずさんだという。
 「わが祖国は獅子と虎のすむ平原と川の土地/高い山と緑の平原と川の土地/そしてイスラムの戦士と聖なる殉教者の土地/われわれを襲う者は一人残らず打ち倒す/われわれはわが偉大なる祖国の守り手」
 昨年、オマルは新しい邸宅を建設。外壁には花と戦闘機の壁画を描かせた。オマルは巡航ミサイルの直撃にも耐える家を造るよう要求したと、建設を指揮したハジ・モハメド・アルコザイは言う(アルコザイによればオマルはケチで、作業員に十分な食料も与えず、代金も支払わなかったという)。
 オマルは設計の細かい部分にも口を出した。洋式トイレは駄目だと言い、電気のコンセントは子供が感電しないように安全なものを使うよう求めた。
 当時10歳の長男ヤクブは建築家のアミン・ザザイに、立派な車がいっぱいあるのに父親が馬に乗って走り回るのは恥ずかしいと言ったという。

 「変わり身」の早い国民

 オマルの邸宅には、4人の夫人それぞれのためのスペースが設けてあった。
 第4夫人はビンラディンの娘だという報道もあるが、デザイによれば、それは誤報だ。むしろ、オマルがイスラム法で許されている限度の第4夫人までめとったのは、ビンラディンの娘を夫人に迎える羽目になって、厄介な状況に陥るのを避けるためだったと、ザザイは言う。
 オマルはビンラディンと姻戚関係を結ぶことは避けたのかも知れないが、それでも彼と運命を共にする道を選んだ。
 98年、ロンドンに亡命中のアフガン人有力者ナビ・ミスダクとラハマトゥラ・サフィがオマルを訪ねて、ビンラディンと手を切るよう促したことがあった。しかし、同席していた運転手のサヘブによれば、オマルはそれを拒んだ。
 「(アメリカは)ウサマというカードを使って、わが政府を抑え込みたいだけなのだ。問題はウサマだけではない。イスラムなのだ」と、オマルは言った。
 サフィはロンドンで本誌に語った。「私はオマルに言った。『ウサマ・ビンラディンがどんなに素晴らしい天国を用意しているかは知らないが、国民は地獄に暮らしているのだ』と」
 逃亡中のオマルの運命は、かつて彼に忠誠を誓っていた人々の手に握られていると言っていい。アフガン人は忠実な国民だが、いったん忠誠を誓う対象を変えると決めれば「変わり身」は早い。
 パキスタンのペシャワルでサヘブに話を聞いたとき、彼にタバコを勧めると最初は断ったが、やがてにっこり笑って受け取った。
 「タリバン政権下では誰もタバコは吸わなかった」と、サヘブは後ろめたそうに言った。「酒と同じく、麻薬のように扱われていた」
 サヘブはオマルの下で3年間働いた。だが結局、タリバンの兵士になることはなかった。「私は一介の運転手だった」と、サヘブは言う。
 その後、アフガニスタンに戻ったサヘブは、今でもオマルに忠誠心を感じていると言う。「死ぬまで(オマルの)運転手でいたい」と、サヘブはきっぱり語った。
 しかし、そこはアフガン人だ。取引にはいつでも応じるつもりでいる。サヘブは言う。「もし(ハミド・)カルザイ(新首相)に運転手が必要なら、そっちで働いてもいい」


スコット・ジョンソン、エバート・トーマス(ワシントン)』




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