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■ ■ 2001年1月19日 第66号
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■ ■ 喜納昌吉&チャンプルーズ
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◆ 目 次 ◆
◇ 喜納昌吉インタビュー MORGEN 2001年12月号
◇ チャンプルーズGoodsニュース
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シリーズ 青春のころ 喜納昌吉さん(音楽家)
地球が人類の聖地なんです
それは皆わかっているはず
☆アメリカの施政権下で生まれ育ったことで、
沖縄の伝統文化が失われていくことは
子供ながらに感じていましたか。
それはありますよね。沖縄というものははっきりいって植民地でしょう。日本の人質の植民地。沖縄を植民地にさせることによって日本が安全を保っている。私はそういうことだと思っているけど、そうなると沖縄の人も支配側についた方が生活はしやすいしいろんな特典も出てくる。だから、どうしても文化もジャズが栄えたり西洋的なものが栄えてくる。その中で沖縄的なものがいつも報われないという構図があったよね。
それは実際、今でもそういう構図はあって、ロックフェスティバルには予算が出るけど、沖縄民謡や沖縄芝居のようなものには予算が出ない。我々がいくらすばらしい沖縄音楽をやっても、マスコミにもこぞって応援しようという態度はない。それがロックになるとわーっと行くのに。不思議だよね。植民地によって侵されてしまった文化、思想、哲学、すべてそうですよ。ただしかし、我々はそれを怨念で克服するのではなく、創造性で克服しようという気持ちがある。相手は武器を持って文化を持ち込んできた。我々が武器を持たずにそれを昇華するパワーを持てるかにかかっているんです。私が、すべての武器を楽器に、すべての人の心に花を、すべての基地に花園に、戦争よりも祭りをといっているのはそこにゆえんがあるんです。
☆『ハイサイおじさん』を作ったのが高校時代、
そのしばらく後に『花』を作るわけですが、
『花』にこめたような思いというのは十代からあったのですか。
そうですね。それはやはり祖国復帰運動が何かを気づかせてしまったんですね。復帰運動では異民族支配のことがいわれ、反差別、平和が唱えられた。しかし、沖縄にはアメリカ人と混血したアメレジアンといわれる人がいるでしょう。そのハーフの人に関して非常に差別があった。私の姉にもいるから、偽善的な反差別運動を見てきているわけですよ。革新運動も実際は沖縄文化を差別している。進歩的文化とか差別をするなといいながら沖縄的な文化を無視してきた。
☆あの頃には沖縄独立運動というのもありましたね。
基本的には二種類あった。一つは琉球王朝というかつての幻想を持ちながら独立運動をする者、もう一つは革新系の人達が思想的遊びで独立を唱えていた。この二つが弊害となって独立運動をわかりにくくしてしまったんですね。ただ、私は独立というのは国を持つことではないと思うんです。独立は今後問われなければいけない問題ですけど、本当の独立というのはまず独りで立ち、沖縄本来の力を見直して視野を広げることだと思う。逆に国境主義というのは長い歴史から見ればつい最近の概念だし、これを打破して行く運動がいいと思う。人類を独立させないといけないんですよ。
☆視野が広がれば国境はおのずとほどけていくということですね。
そう、だから人口爆発の問題も、国境がなくなれば解決できるはずですよ。ネズミでも箱に閉じ込められるとすることがないからせっせと子供を作って増殖する。人類も国境に囲まれた箱の中に入れられちゃったわけで、これを開放すれば、人間は世界的な視野を持ち、行動力を持つから、性に対してもっと意義を見出すはずなんです。そうすれば自然にバランスよく子供を何人持つべきかがわかる。性に対して知性が入ってくるわけです。
☆沖縄民謡をベースに音楽活動を始めたのに
父上の影響はありましたか。
もともと私はそれをある意味では非常に依存的に持っていましたからね。ただ、私の音楽はやはり突然変異なんです。普通、突然変異というのは種の中で淘汰されますよね。突然変異が生き残るというのはそうない。それなのに私が生き延びられたのは激動の最中だったからなんです。もし沖縄という閉じられた国に生まれていたら、私はつぶされていましたよ。
復帰を迎える。その復帰も、戦争に負けて明治維新とはまったくちがった文明開化をせざるをえなかった。そういう時代だったからこそ生き延びられたんです。だから、自分の作品に沖縄の音楽を吸収していく環境ができあがっていた。本来、私のタイプは伝統世界、保守的な社会からはつぶされるんです。社会がボーダレスに向かっているから私は生きられている。変ないい方ですけど、不完全なグローバリズムが私を救ったと思うんです。アメリカという傲慢な国があったからこそ私は生きられたかもしれないね。
☆沖縄の古来の神信仰、アイヌの神、
ネイティブアメリカンのホピの神、
そういう神への思いは自然に生まれてきたのですか。
やはり目覚めるんだよね。自分の音楽が出来上がる。そうなると父が伝統音楽をしていて、そのよいところや苦労を見てきているから、親孝行というか、伝統音楽の孝行をしたくなる。そうすると伝統文化の根っこを探求せざるをえなくなるわけですね。それでだんだん神までいってしまう。そこからさらに普遍的シャーマンの世界を見るようになる。そういう世界で共通する少数民族を見ていくと、そこに非常に広大な魂を見てしまうわけです。その魂の海の文化に目を向けると天まで花が咲くんじゃないかと思ってしまう。そして民族音楽が整理されてくる。クラシックも本当は白人の民族音楽から出てきている可能性を見るわけです。
そうなると今度は人間の棲み方の問題に目がいく。凄む時には感謝を持って凄んだ方がいいでしょう。少数民族は何か食べる時でも感謝を持って棲みますよね。感謝を持って棲まない連中が侵略的な文化にしてしまっているわけです。だから、私はそれも思い出させようと思っているんです。あらゆる宗教は、基本的にはシャーマニズムから発達していっている。最初は感謝があったはずなのに、感謝のない人達がのさばるようになっていったんですよ。そこに今の原理宗教の爆発もあるし、支配宗教の問題もある。もう一度根っこを深くすれば理解しあえますよ。調和の花が咲くはずですよ。本当にそこまでものごとを掘り下げていけば調和の花は咲くはずなんです。だから、私はずっと音楽でそれをやり続けているわけです。
☆ライブでアップテンポな曲になると
一緒に踊ってくださいと呼びかけていましたね。
一緒に踊れば切れることもないと。
東洋の文化にははずれる文化がある。西洋は切れちゃうわけですよ。なぜ切れるかといえば、大地から切れているからなんです。西洋の文化は切ったところから始まっていますからね。我々の文化ははずれるところから始まっている。これは大事なポイントだと思うんです。だから、私は天と地がまじわるのを祭るんです。そして、大地に根をおきなさいというんです。神が来るのを準備しなさいというんです。大地に根を張れば、神は天からおのずと降りてくるんです。アースがつけば雷も降りて来るでしょう。それと同じですよ。地球こそ人類の聖地なんですから。
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このインタビューは、瓜谷文化振興財団 発行の新聞
MORGEN(モルゲン)No.11 2001/12/7発行
に掲載されたもの
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す べ て の 武 器 を 楽 器 に
Lay down your weapons take up musical instruments
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