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【今 世界は「Imagine」から「魂の源境へ」】おおえまさのり
〜八ヶ岳日誌2001年最終号〜
(おおえまさのり=『チベット死者の書』の訳者)
二十一世紀は、いのちの世紀への、霊性の世紀への希望と共にはじまったかに見えたが、九月十一日の同時多発テロとその後のアメリカと世界の国々がとった激情的と思える国際法を無視した戦争行為への動きは、改めて人類とは何か、何だったのかと、わたしたちの内奥にまで激しい問いを突きつけてくる出来事であった。人類はここに二十一世紀の基点を印すことになるのだろう。
ちなみに今年選ばれた世相を反映した漢字は「戦」であった。二位以下に「狂」
「乱」「怒」とつづいた。それは新世紀元年の姿を如実に表している。
ジョン・レノンの「Imagine」の放送に圧力がかかったり、アメリカの政策を糾する人々に政府や市民の激しい憎悪の目が向けられている。それはかつて赤刈りのあった暗黒時代を思わせるものがある。
「Imagine」のそれは、夢見ることが禁止されるということ。夢見ることの力をとても恐れているということである。夢見る力を断つ――魂の源境にあるいのち輝く姿を夢見ることを断つ。
夢見はあらゆるものの力であり、わたしたち生命あるものの源泉である。大地も、草木も夢見ている。宇宙は夢見ているのである。その夢見が今日のこの生命豊かな世界を創り上げてきたのである。夢見こそは希望であり、力である。
その夢見を断ち、力を断とうとている。魂の源境にあるいのち輝く姿を夢見ることを。みんなが今ここを生きる姿、国境のない世界、平和のうちに生きるわたし、世界がひとつになること、それらを夢見ることを。その力を。
第二次世界大戦の戦火の中で傷ついたわたしの魂が、夢見る力を取り戻して、恢復してゆくには、多くの時間と癒しと体験を必要とした。アフガンの人々はどうであろうか。
戦火の中で魂が問いつづけた問いがあった。それは死を超えて輝く生の在り処であり、死を超えてゆくことであったように思われる。
人は戦いの中で互いに生と死を奪い合い、そのための術策に明け暮れてゆく。
今世界は、人類とは何か、文明とは何かという問いの前に、その答えを出せないでいる。文明の袋小路に入り込んでしまっているからである。今しっかりと闇と問いを見つめることである。しっかりと闇を見つめなければ、問いも、しかるべき答えも現れ出てくることはない。
闇と問いを見つめながら、今年はじめ、農作業のない冬篭りの間、三十数年間撮りためてきた写真を整理していた。そのほとんどがスライドだったため、ファイルに仕舞われて、見る機会がなかった。そして映像をパソコンに取り込んでいる内に、それらの映像の世界に深く魅了されていった。そこには映像が語りかけてくる豊かな世界があった。詩があり、歌があり、風光が、スピリットがあった。魂の源境がそこに
あった。
そうした映像との対話の中から映像交響詩ともいえる『魂の源境へ』(出帆新社刊、二〇〇二年二月刊行予定)という本が生まれてきた。
映像との対話の中でこの三十数年間のものがたりが、わたしの魂の源境への旅として浮かび上がり、そしてそれは時を超えて、今にここに深く問いかけてくるものがあった。
奇しくも「Imagine」が問いかけてくる魂の源境であり 夢見ることの力が、夢見の力がそこにあった。夢見の源泉、そしてそこから湧き出でくるいのちの潮流……。
九月十一日の深夜、ニューヨークから送られて来る『世界貿易センタービル』の、ハイジャック機の突入と崩落の映像を見つづけていた。映像の中で、唖然として、うごめいてゆくものがあった。これは何のはじまりなのだろうか、世界の崩落の予兆なのだろうか、終わりのはじまりなのだろうと。
その同時多発テロ直後の、九月十五日、神戸で六十年代アメリカで製作したわたし
の映画の上映会があった。六台の映写機による六面マルチプロジェクションの映画である。六十年代のドキュメンタリー・フィルムを幅広く駆使して、黄金の六十年代といわれたアメリカを描く。ケネディ暗殺からキング牧師の暗殺へ、そしてベトナム戦争の泥沼へとはまり込み、脱出口を失ってゆく姿……。そしてついに世界は透明な水
爆の核エネルギーの光の中に溶解してゆく。
三十年ぶりにそれらの映像を見ながら、わたしは、「それが今また再び、繰り返されようとしている。憎しみの連鎖、果てしない報復。この四十年間で人類は、世界は何が変わったのだろうか、何も変わらなかったのでは?」という思いが込み上げてくるのを抑えることができなかった。
「私はこの映画(『地獄の黙示録』)は反戦映画以上のもの、『反ウソ映画』だと信じている。戦争とは、人々が傷つけられ、拷問にかけられ、不具者にされ、そして殺されることだ。それを文明はウソで塗り固め、一つのモラルとして展示する。それが私には恐ろしい」 ――フランシス・コッポラ
わたしの住む八ヶ岳で「林の中のオブジェたち展」という企画があり、ちょうど同時多発テロ後の、アフガン爆撃の只中であったため、それに様々な企画が加わっていった。
同時多発テロ後の、戦争へと突入してゆこうとする世界の流れに、「何かせずにはいられない」と、「ぼくは戦争をやりたくない」という署名活動や女性たちを中心にして『平和の樹』のメッセージ・キルト作りが始まっていった。アフガンの空爆に慄く女性やこどもたち、そして平和憲法を空文化して進む戦争への道。自分たちのこどもたちに来るかもしれない徴兵、参戦。こどもたちを戦場に送り出したくない。ぼくは戦争に行きたくない。そうした思いに駆られたお母さんやこどもたちが、一枚のキルトの葉っぱに、それぞれの思いのメッセージを書き記し、大きな一枚布に、平和の樹を作り上げるようにして、縫いつけていった。そしてそれは平和の「生命の樹」となって成長してゆき、他の地域のお母さんやこどもたちの間にも広まっていった。
ささやかだけれども、自分の声を形にしたそれは、自分自身の自覚を促すものとなり、また多くの共感を呼び覚ますものともなっていった。一葉のキルトからはじまっ
たそれは、やがて一枚の樹となり、二枚、三枚となって、林と、森となっていった。
そしてそれ『平和の樹』は長野県松本市のピースウオークを歩き、地域の中学校や町の文化祭などにも出かけ、十二月三日から七日にかけての、国会前での「いのちをまつろう!花一輪持って、平和のリレー断食」にも参加し、断食しながら新たなメッセージ・キルト作りも行われ、またピースアクションとして企画された衆議院議員会館内の「反PKO」議員懇談会の会場を彩りもした。
一葉のキルトに、こうあった。
「恨みによって恨みが消えることはない。
恨まぬことによってのみ恨みは静まる。これは永遠の真実である」
――ブッダ『ダンマパーダ』
今、世界は熱くなっている。熱くさせられている。
世界は怒っている。人々は怒っている。世界貿易センタービルとペンタゴンへの同時多発テロに、そしてその後アメリカと世界が採った国際法を無視した対テロ戦争に。
小泉政権は「国際社会に習え!」と、いち早く参戦に向けて旗を上げ、日本国憲法第九条の隙間を狙って、テロ対策特別措置法、PKO法改正を次々に可決して、自衛隊
をパキスタン沖に派遣した。だが小泉政権の言うところの国際社会とは、アメリカということにすぎない。国際社会の合意形成を図るために設立されてきた国連の、国連憲章は報復のための武力行使を原則的に禁じている。またアフガニスタンに関しては九八年の安保理決議が内戦への武力介入をすでに禁止ているのである。
アメリカは、国際法を反故にして、世界を挑発しようとしている。
そして世界は今、あぶり出されようとしている。これが世界だと、これがアメリカだと。
アメリカの言語学者であり文明評論家のノーム・チョムスキーの『9・11アメリ
カに報復する資格はない!』(文芸春秋)には、アメリカという国の言う自由とは、人道とは何か、アメリカがいかに世界最大のテロの親玉であるかがあぶり出されている。今回のアフガニスタンへの侵攻は、自らが率先してそれを世界に向けて証明しようとしているように見える。
アメリカは自由の国なのである。どんなに自由かといえば、一九八〇年代アメリカがニカラグアに行った国際テロ――何万人もの死者を出した暴力的な攻撃――へのほ
しいままの自由であり、それに対して国際司法裁判所が下したアメリカへの、国際テロに対する有罪判決に対して、更なる攻撃で応える自由。ニカラグアは安全保障理事会に訴え、理事会は国際法を遵守するよう決議したが、アメリカは拒否権を発動。さらにニカラグアは国連総会に訴え同様の決議を二年連続して得るが、アメリカとイスラエルの二国は反対しつづけ、すべてを無効にしてしまった。国際法も、国連も、国際司法裁判所も、そんなもの在ってないのだと。これこそアメリカ式自由というものなのである。
アメリカの経済発展を阻害する温暖化防止条約なんてもっての外。自分のところは特別なんだと、生物兵器禁止条約からの離脱を突き付ける。アメリカの地雷は時限的なものと世界が禁止した地雷は作りつづけ、世界最大の、武器輸出とテロ支援のための武器供与国でありつづける。そして独占的なスターウオーズ(宇宙の軍事化)技術の開発。誰にも文句を言わせない全世界の通信情報の盗聴。アメリカが法であり、世界の警察であり、アメリカが世界標準なのである。人権や人道的介入を云いしたアメリカによる侵略戦争や国家壊滅のテロ行為は限りない。第二次世界大戦以後アメリカが戦争介入した国々――中国、朝鮮、ガテマラ、インドネシア、キューバ、ベルギー領コンゴ、ペルー、ラオス、ベトナム、カンボジア、グレナダ、リビア、エルサルバ
ドル、ニカラグア、バナマ、イラク、ボスニア、スーダン、ユーゴスラビア、そしてアフガニスタン。そこに打ち込まれるミサイル、小さな爆弾を無数にばら撒くクラスター爆弾、球場の五倍もの大地を吹き飛ばしてしまうデイジー・カッター(一種の気化爆弾)。打ち続く臨界内核実験。「ならずもの国家」を糾弾しようとするアメリカの戦闘はさらにこれからも広がりそうである。民族殲滅――コロンブンがアメリカに渡った頃ラテン・アメリカ一帯に暮らしていた八〇〇〇万のアメリカ先住民は今やその五パーセント、大虐殺が行われたのだ。
これらがアメリカのいう自由であり、人権であり、民主主義なのである。また今回のアフガンへの容赦のない爆撃は、アメリカに従わなければこうなるぞという世界に向けての強い脅しでもある。世界は恐怖している。
そして同じことが、国家によるテロが、ロシアにより、中国により、イギリスにより、そして世界の多くの国々によってつづけられている。それ故に世界は、イデオロギーを超えて、対テロで団結したのである、日本も含めて。
だが人類は第二次世界大戦の中で多くのことを学んできたはずではなかったのか。
「国が攻撃された場合、防ごうと努める、可能ならば。この教義に従うなら、ニカラグア、南ベトナム、キューバ他多数の国は、ワシントンや他の米国の都市で爆弾を爆発させているべきだったことになり、パレスティナ人はテルアビブの爆弾テロのたびに喝采を受けるべきだ。際限がない。そうした教義によって数百年の殺し合いの果てにヨーロッパが事実上、自から絶滅を招く事態に到ったため、第二次世界大戦後、世界の国々は違う盟約を作り――少なくとも形式的には――武力の行使は、武力攻撃に対する自衛の場合を除いて禁じられ、安全保障理事会が国際平和と安全保障を守る
ために行動するという原則を立てた。一つ挙げれば、報復が禁じられている。国連憲章五一条に述べられた意味では、米国は武力攻撃は受けていないから、こうした検討はこの際関係がない――少なくとも、われわれが国際法の基本原則が、われわれが嫌う者たちだけでなく、われわれ自身にも適用すべきだということに同意するならば。
国際法はさておき、われわれは何世紀にもおよぶ経験を積んでおり、それはいま現在提起され多くの論者から大歓迎されている教義が何を引き起こすか正確に教えてくれる。大量破壊兵器の世界では、この教義が引き起こすのは、すぐにも差し迫った人間の実験の終焉である。それこそが、結局、ヨーロッパ人が何世紀にもわたって耽ってきた相互殺戮のゲームを終りにしたほうがいいといまから半世紀前に決めた理由なのだ」(チョムスキー)
チョムスキーはつづけて言う。
「目標とするものが、暴力の循環をエスカレートさせ、九月十一日のような残虐テロ――遺憾なことに、世間が周知のもっとひどいテロ――の可能性をいっそう増すことならば、たしかに分析や批判を慎み、思考を拒否し、いままで関係してきた極めて重要な事実への関わりの度合いを減らすべきである。同じ忠告は、政治・経済システムの最も反動的で後ろ向きの連中を手伝い、わが国の一般民衆と世界の大半の人々に大きな害となり、もしかすると人類の存続をおびやかしかねないような計画を実行したがっている者にも当てはまる。
その反対に、社会活動の目標が、これ以上の残虐テロの可能性を減らし、自由と、人権と、民主主義の希望を前進させることにあるなら、正反対の道を進むべきだ。今度の犯罪やその他の犯罪の背後に潜む要因を探る努力をいっそう強め、さらに精力的に、いままで決意をもって取り組んできた正しい大義に身を捧げるべきだ」(『9・11アメリカに報復する資格はない!』)
最近、『TibetTibet』(金森太郎こと金昇龍制作監督)というビデオ制作の映画を見た。在日韓国人三世の青年が自分のアイデンティティを求めて旅に出る――この旅を終えて帰ってきたら帰化申請しようと。そこでまず祖国韓国へと足を向ける。だが彼はそこで、彼がこれまで避けつづけてきた韓国の人たちから熱い歓待を受けるはめになる。次いで草原をバイクで駆けたいとモンゴルへ。そこのゲル(モンゴルの移動式住居)で出会ったダライ・ラマの写真。その人々が崇敬するその人に会ってみたいと、中国からインドのチベット亡命政府のあるダラムサラへと旅はつづいてゆく。
そこで目にしたものは、自分と同じように祖国を奪われた人々の姿だった。一九五
九年、中国のチベット侵攻によって、祖国チベットを追われて、自分自身を愛する自
由さえも奪われたチベット難民。自分を愛することが、迫害の対象となる。自己のア
イデンティティや文化を剥ぎとって、中国人となることを強要される。そして今やチベットのそこには六〇〇万人のチベット人に対して七五〇万人もの漢人が住みつき、ラサのポタラ宮殿は観光名所となり、内陣の撮影には数万円もの撮影料を要求される。そしてチベット人街は痛ましいまでに荒廃させられつつある。
だがそこにはいまだ、祈りがあり、かろうじて祈りに支えられてある人々の姿があった。存在のぎりぎりの祈り。飢えとアイデンティティへの迫害に晒されつづけながら、なお、人々を支えている祈り。その祈りがなくなってしまったら、彼は、彼女は事切れて、亡くなってしまいそうである。そんな無垢の祈りがあることを、そんな存在ぎりぎりの祈りがあることに人は気づかされる。祈りによって人ははじめて存在
するのである。神話(仏教という神話)が無効になろうとも、ぎりぎりのところで存在する祈りだ。草木の祈り、大地の祈り、天空の祈りに支えられてこの世界があるといわれるその祈りだ。草木は祈りつづけてきた、大地は祈りつづけてきた、天空は祈りつづけてきたのである。その祈りだ。
その真摯な祈りに応えるようにして、ダライ・ラマ十四世は言う。この十月(二〇〇一年)欧州議会でなされた彼のスピーチから拾ってみたい。
「人間社会が歴史上重大な危機に瀕していることは明らかであります。今日の世界において、人間性は一つであると認める必要があります。過去においては、地域社会はお互いを基本的に別々のものだと考えることができました。しかし現在は、アメリカで最近起こった悲劇的な出来事から分かるように、ある地域で起こる出来事は何であろうと他の多くの地域に次第に影響を与えてゆきます。世界はますます相互依存するようになってきています。この新しい相互依存という意味では、自己の利益は他人の利益を考えることにあるのは明らかです。普遍的な責任という感覚を養い育てていかなければ、我々の近い将来は危ぶまれます」
「我々の前に新たに出現した地球的規模の共同体という意味において、戦争を含むあらゆる形態の暴力は紛争解決の手段としては全く不適当なのです。暴力と戦争は常に人間の歴史の一部であり、かつては勝者も敗者もいました。しかし、現在もし新たに地球的規模で衝突が起こったとすれば、勝者は全く存在しないでしょう。それゆえに我々は世界に対し、長期的に見て核兵器や国軍のない世界を求める勇気とビジョンを持つべきです。特にアメリカ合衆国での恐ろしい攻撃に照らして考えれば、国際社会は誠実に努力しその恐ろしいショッキングな経験を生かして、地球的規模の責任感――つまり対話の文化と非暴力を紛争解決に使用する――そこへ発展させるべきなのです」
「私はチベット解放という闘いを非暴力という道に導き、そして和解と妥協の精神で中国と交渉をしながら、双方に好ましいチベット問題の解決方法に一貫して狙いを定めてきました。……後に『中道的アプローチ』または『ストラスブール提案』として知られるようになった私の提案は、チベットが中華人民共和国の枠組みの中で真の自治を享受することを描いています。この解決策は、中国の国際イメージを大いに高め、中国政府の二つの最優先課題である安定と統一に貢献するのと同時に、チベット人にとっては、基本的人権と自分たちの文明を守りチベット高原の繊細な環境を保護する自由を保障するものとなるでしょう……」
ダライ・ラマは自らのチベット難民政府の民主化をも推し進めている。そして中国の民主化は中国にとってもチベットにとってもよいものになるであろうと。
ダライ・ラマ十四世の提案するそれは、ミンデルの言う深層民主主義に通じるものがあるように思われる。対立の中にあるホットスポットを「空の中道」というTAO(道)において超えてゆこうとするのである。
「長老は、自然の大いなる潜在力から流れ出す情報を、日常生活にそそぎ込むチャンネルである。メタスキル(理論、情報、技法が適用されるときに伴う気持ち)を用いて、最も低い、最もおぞましい、あるいは最も高い、最もスピリチュアルなことを言う。そうして長老は『不可能』が起こるのを促すのである。長老は、自分自身や他人がエッジ(個人や集団におけるコミュニケーションの行き詰まり)を越えることを促す。すなわち、わたしたちを分離する境界を流れ越えることによってコミュニケーションを可能にするのである」(アーノルド・ミンデル『紛争の心理学』講談社現代新書)
国を追われて四十年、ダライ・ラマ十四世は、それでもなお、忍耐強く、非暴力と民主主義的な対話の道において、チベットのみではなく、中国共々の解放の道――心ある自覚の道を歩みつくしてゆこうとしている。不可能を可能とするべく。彼はいのちを、人類を信じているのである。それに世界は応えるべく歩み出してゆかねばならない――人類の終焉を望まないならば。人類の進歩を夢見るならば。
(ダライ・ラマへのインタビューを終え『TibetTibet』の旅は終わりを迎える。そして旅人の彼は言う。「この旅をとおしてぼくは知った。それぞれが自分の民族性に誇りを持つことが、他の民族を認める第一歩になるということを。そして何よりも大事なのは、知るということ、自分、他人そして世界を」と。)
今再び、「Imagine」を歌ってみよう、今再び「魂の源境へ」旅してみよう。