投稿者 Angriff転載 日時 2001 年 10 月 31 日 00:45:24:
Ψ[No.15623] Re[15622]: ナゾの国会議員by 匿名さん 2001年10月28日 (日) 01時57分11秒【この記事にレス】
http://village.infoweb.ne.jp/~t5588/back/H9-nagata/nagata-H9-10-10.html
Ψ[No.15622] ナゾの国会議員by super-looser 2001年10月28日 (日) 01時51分08秒【この記事にレス】
東京商銀の元理事長背任融資事件をめぐって、「種子田」という人物がある国会議員のスポンサーである、という報道があったけど消えた気がします。
その政治家は、だあれ?間接的に外国資金の紐つきってえの?
そうとしたら、ひょっとして大変な問題でないかい?
*[No.15623]のアドレスにある本文(平成9年)を転載しておきます。
現在の政治的意義は興味深いとおもう
内閣改造直後、逮捕・起訴された人物と上杉自治相を結ぶ点と線? 伊藤 達美 午前10時前、宮崎県の新進党関係者から電話で「上杉と親密な関係にある種子田が警視庁に逮捕された」と連絡が入る。武蔵野信用金庫から10億円を引き出し、恐喝か詐欺容疑で逮捕されたというのだ。 午前中に佐藤長官が橋本総理とあって辞意を申し出るという報道が流れた。橋本総理と会談した佐藤長官は、その場で辞表を書き、橋本総理に提出した。佐藤氏の辞任ということで決着したかに見えるが、事実上の罷免である。こうなれば任命権者である橋本総理自身の責任問題は回避できないのではないか。 「佐藤孝行は次期総選挙で比例名簿一位という条件で幹事長が説得した」(加藤周辺)。 ◆佐藤氏の後任に決まった小里貞利氏は、河野洋平総裁時代の河野側近から二年前の総裁選の時から加藤紘一側近の寝返った人物。要するに加藤幹事長の「家来」に過ぎない。 ◆佐藤総務庁長官の「辞任」で内閣支持率の回復が期待できるか? 総務庁長官の首をすげ替えることで内閣支持率が上がるほど世間は甘くない。 閣外与党・社民党と新党さきがけ、それに野党各党の佐藤孝行総務庁長官に対する辞任要求に対する自民党内の動きが、何か「奇妙」である。 同じ福岡出身ということもあって、犬猿の仲だった山拓と「参院の尊師」こと村上正邦の二人が奇妙なことに佐藤孝行問題では同一歩調を取っているからである。YKラインによる陰謀もあるのではないか。自民党内からは「佐藤孝行が自民党行革本部長の時、労働省の外郭団体・雇用促進事業団の解体に熱心だったので、村上が怒っている。村上は元労働相だから・・・」という声が聞こえてきた。 参院議員・上杉光弘が筋の悪い不動産業者から約四億円のヤミ融資を受け、焦げつかせている。業者側は再三、返済を求めているが上杉は業者側に会うことを拒否、事実上、逃げ回っている───永田町や兜町周辺では今年五月ごろから、こんなウワサが流れていた。 ウワサの主である参院議員・上杉光弘は第二次橋本改造内閣で自治相兼国家公安委員長に起用された。国家公安委員長は指定暴力団を対象とした暴力団対策法、組織暴力対策法を執行する警察を指揮監督する最高責任者の立場にある。 その国家公安委員長の立場にある者が指定暴力団の有力資金源とされる「企業舎弟」と見られる危ない人物から「裏融資」をうけるなどの極めて親密な関係にあるとなれば、これは看過できない。 上杉は、当選二回(宮崎選挙区旧小渕派)ながら参院の実力者・参院自民党幹事長・村上正邦の側近として国対委員長を務めた。今回の入閣には村上の強い後押しがあったと見られている。 <企業舎弟・種子田益夫の素顔> 上杉に「裏融資」の返済を迫っている種子田益夫(ゴルフ場・病院経営者)は昭和二十一年一月二十一日、宮崎県小林市生まれの五十一歳。これまで 指定暴力団五代目山口組系石井組(本拠地大分県別府市)、同小桜一家(同鹿児島市)などとも親密な関係にあるといわれている。暴力団のフロント企業、いわゆる企業舎弟に近い部類に入る「危ない人物」である。 種子田益夫は鮮魚商の父・種子田吉太郎、母・フチノの六男として生まれる。二十一歳のとき、丸益商事(株)を設立、金融業を営んでいたが、二、三で失敗。離郷して神戸、岐阜、名古屋などを転々とし、岐阜県の興業師・片桐安次の片腕的存在となり、昭和四十五年六月、名古屋市にあった大倉総業(株)を商号変更、丸益産業(株)として小林市に本社を移転、養豚業を始めた。しかし、約三カ月で失敗。その後、丸益産業、丸益商事は手形不渡り処分を受け有名無実でほとんど営業活動できない状態に追い込まれた。 このため、種子田益夫は名古屋市に本社のある昌和商事(株)名義で事業を行っていた。 その後、昭和五十年頃、小林市に戻り、ドライブインの経営、金融ブローカーなどをしていた。一方、キャバレー経営者にカネを貸したことが端緒となり、丸益観光(有)、宮崎丸益国際観光(株)の代表取締役に就任、丸益観光グループと称して、キャバレー、サウナ、パチンコ店等を経営した。 しかし、昭和五十二年ごろ、種子田の丸益観光グループ各社が高千穂相互銀行(当時)の不良貸付先の債務を肩代わりことが裏目に出て、丸益観光グループ各社は倒産した。このため、種子田は事業・活動の本拠地を東京に移した。 東京に出た種子田は、不動産・金融ブローカーしながら、昭和五十三年十二月に中央産商(有)を設立、代表取締役に就いた。 この間、種子田は昭和三十三年八月二十一日、下条立子と結婚したが、同三十六年七月六日、協議離婚している。次いで昭和四十年一月二十五日、古里明子と結婚。明子との間に一男二女をもうけている。種子田には、他に認知した子供が一人いる。 種子田については数年前に演歌歌手・石川さゆりのパトロンというような内容で週刊誌に登場したことがある。種子田が自分の経営するゴルフ場のオープンに石川さゆりを連れて来て、破格のギャラを支払ったといった内容の記事である。 バブル経済崩壊後、種子田は脱税で摘発を受け、事業も行き詰まった。種子田は実刑判決をうけ、一年半ばかり刑務所に入った。種子田が刑務所に入っている間に種子田の妻・明子(平成八年九月二十八日死亡)が、「石川さゆり」名義の財産を処分したといわれている。その後、石川さゆりも宮崎に来なくなったとう。 種子田の「丸益通商(株)」は現在、商号を「(株)アイワリゾート」と変更、種子田の実兄・昭吾が社長になっている。超豪華な自宅の隣なりには本社ビルがある。 また、種子田の周辺には、指定暴力団「五代目山口組」系石井組(本拠地・大分県別府市)の下部団体・石井組内井根組がいる。二、三年前に種子田の自社ビルにピストルが撃ち込まれる事件があった。 種子田が現在、実質オーナーに就いているを関連企業は次の通り。 (1)丸益産業(株)──東京都中央区日本橋室町。 (2)丸益商事(株) (3)(株)アイワコーポレーション──東京都新宿区市ヶ谷田町。 (4)(株)アイワリゾート=旧丸益通商(株) 代表取締役・種子田昭吾は種子田益夫の実兄。 (5)平成ゴルフ(株)──宮崎郡佐土原町大字東上那珂一〇五。 支店・大阪北区梅田、東京都新宿区市ヶ谷田町。役員に妻・明子、長女・岩沢益代が入っている。(注・妻・明子は平成八年九月に死去) (6)中央産商(有)本店・港区赤坂──中央区日本橋本町。 ハンバーグ製造販売──金融業。 (7)(株)九州メデイカル── (8)(株)愛和メデイカル── (9)ウメ興産(株)──宮崎市吾妻町。 <上杉と種子田の出会いとその後の関係> 宮崎農協の会長で、参院議員の故温水(ぬくみず)三郎系の県議グループ「昭和会」のメンバーに上杉がいた。上杉は故温水から目をかけられ、頻繁に出入りしていた。当時、同農協連の副会長が故平島敏夫(後に参院議員)、坂元親男(後に衆院議員、参院議員)の二人であった。 故温水、故平島、坂元らが地面師グループに担がれて、ゴルフ場建設に絡む詐欺事件に巻き込まれたことがあった。地面師グループは逮捕されたが、トラブルの後始末に種子田が故温水の所に入ってきた。 故温水は宮崎県小林市出身の郷土意識の強い人で、同じ小林市出身の種子田にも目かけていた。故温水の所で、上杉と種子田は「運命的な出会い」をした。以後、上杉と種子田は二人三脚で次第に力を持つようになった。 <ヤミ献金・融資を受けた背景> 上杉が種子田から裏融資(ヤミ献金)を受けるようになったのは、上杉の県議選、過去二回の衆院選出馬(旧三木派から出馬、いずれも惨敗している=当時)、その後の二回の参院選の時であるといわれている。 その見返りとして上杉は、種子田が開発・経営するゴルフ場の認可、さらに種子田のゴルフ場の隣に道路を作るよう水面下で県などの関係部局の課長クラスに強力な働きかけたといわれている。 「種子田という男は宮崎じゃ、鼻摘み者ですよ」(宮崎市内のタクシー運転手) <上杉と種子田の関係が悪化した原因> バブル崩壊後、種子田の事業が不振となったことが最大の理由とされている。 上杉の地元での評判を聞いてみると、上杉は地元で「次の内閣改造で大臣。その後、参院自民党の幹事長」と豪語しているという。上杉は黒木博知事時代に黒木知事が提唱した「SAP協議会」の初代会長に就任、農業協議会、青年団協議会、不動産・建設業界にも影響力を持っているようだ。 上杉 光弘議員の学歴詐称疑惑───上杉議員は高鍋農業卒業であるが、参院議員になってから東京農大終了(最終学歴・東京農大)となっているのはなぜか。故金丸氏が農大の理事長をしていた時に、何らかの工作が行われた模様だ。 秘書の小川氏の父親は朝日生命の代理店関係の仕事をしていた。上杉議員が衆院選に出て二回ほど落選した際、金銭的な面倒をみていた関係がある。 第一秘書・佐藤栄作の父親・佐藤正人と上杉が「刎頸の友」と言われるようになった原点は約二十年前の日高たけし県議の急死と関係があるという話がある。 故日高県議は事故死扱いになったが当時、「故日高県議と一緒にいたのはに上杉県議で、酔った日高県議と上杉県議が何かのことで揉み合いになり、突き落とされた日高県議が階段の角に頭をぶつけたのが原因である地元で噂になったことがある」(地元政界関係者) 窮地に立たされた上杉を救ったのが佐藤正人であったと地元ではいわれている。 秘書・スタッフ───政策秘書の小川典昭は初当選の時、第二秘書として仕え、現在に至る。第一秘書・佐藤栄作は上杉の地元秘書であった佐藤正人「木村産業」副社長の息子で次回の宮崎県議選への立候補に見せている。 上杉は国会議員の資産公開で約一億円の借入金がある、としている。が、その借金の相手が種子田益夫なのか、どうかは明らかにしていない。 上杉の実弟の妻が元宮崎県知事・黒木博の娘である。上杉と黒木元知事は縁戚関係にある。 (この頁おわり) |