投稿者 考える葦へ 日時 2001 年 12 月 05 日 22:42:14:
(回答先: Re: demboさんへ 投稿者 あっしら 日時 2001 年 12 月 04 日 22:03:57)
>>ここらあたりのボードを徘徊していない人が、ここらあたりのボードを散策すると、
>>「この人たちって、脳みそスポンジ化してんじゃない」とか、「なんかアメリカにす
>>ごい敵意を抱いている不幸な人たちなのね」とか、「おお、これが陰謀説に毒されて
>>いる人たちの姿なんだ」なんてことをけっこう思っちゃたりするんでしょうね。
私たちから普通の人をみたら、まぁ、そんな感じになると思います。
そう、私たちは普通の人と比べて「ある程度」知っています。
そして、普通の人は、この程度のことも知りません。
普通の人はその中で判断しているのです。私たちから見ると
普通の人の判断の多くは間違っていることになります。
A(ここらあたりのボードを徘徊していない人)
B(ここらあたりのボードを徘徊している人。すなわちわたしたち)
A<B (B、Aを見る)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、ここで、視点を一つ移動させてみます。
私たちより少しものを知っている人がいて、
私たちはそれをしらない。と仮定します。
まぁ、きっと、そういう立場のひとはいるでしょう。
A<B<C
Cからみれば、Bである私たちは
「○○なんてことをけっこう思っちゃったりしてるんだろうなー」
になっていることでしょう。
さらに、視点を一つ移動させると、
それより、知っている人もいるでしょう。さらに、さらに。
A<B<C<D<E<F<・・・・
小さいころから、よくこんなことを考えていました。
・自分には(理解)できる簡単なことが、彼には(理解)できない。
・彼は頭がわるそう
・お?まてよ?
・自分には理解できないことを理解している人からみれば、
今の私は頭悪そうだぞ。
・よし、もっと、がんばろう!
(あんまし、関係ない話でした。すみません)