投稿者 ごろた石 日時 2001 年 12 月 02 日 14:27:00:
アメリカを支配した男──FBI長官ジョン・エドガー・フーバー
盗聴で得た情報を武器に、歴代大統領すら自由に操ったFBI長官ジョン・エドガー・フーバー。彼はいかにして権力を築き上げていったのか? 大統領さえも恐れた「秘密ファイル」とは何か? 関連書籍から読み解く、“盗聴先進国”アメリカの落ちた罠!
坂田拓也(『The Incidents』編集記者) 1999年8月11日
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脅しの達人
アメリカ中西部を舞台に、ギャングたちが派手な銀行強盗を繰り返す「無法者の時代」が幕を開けたのは、1930年代のことだ。この時代にギャングたちの取り締まりに大きな功績を上げた、アメリカ連邦捜査局(FBI)の長官、ジョン・エドガー・フーバーは、国民的な英雄となった。その後、長官在任中の1972年5月に77歳で死亡するまで、フーバーは英雄であり続けた。在任期間は、あと少しで49年目を迎えようとしていた。
しかし彼の死後、その評価は大きく変わることになる。死を待っていたかのように、ジャーナリズムが在任中の悪行を暴き始めたためであった。
FBIに30年間勤め、長官に次ぐほどの要職にも就いた元捜査官ウィリアム・サリバンは、著書の中で、フーバーと衝突して解雇されたときにこう言い放ったと告白している。
「私自身はもうおどされるのは御免だ」(『FBI 独裁者フーバー長官』)
さらに後で取り上げる『大統領たちが恐れた男』では、サリバンがフーバーを「脅しの達人」と評したと伝えられている。
フーバーの死後、彼に関する著作は何冊も出版されたが、この「おどす」というサリバンの言葉ほど、フーバーを簡潔明瞭に表したものはない。フーバーは大統領までも脅すことで、長官の地位を守り続けたのだった。
そのための武器の1つが「盗聴」だった。
サリバンが初めて盗聴を行ったのは、FBI捜査官となって2カ月が過ぎた時だった。米国共産党の集会所に盗聴マイクを仕掛け、集会の様子を探った。時代はその後、第2次世界大戦に突入していく。
サリバンは大戦中のFBIによる盗聴について次のように語っている。
「戦争の勃発当時、ドイツ人やイタリア人、日本人などの『敵国人』は、国内に100万人いると推定されていた。われわれは、隠しマイクや電話盗聴、監視や尾行など、あらゆる手段を駆使して彼らを追い回した。電話の盗聴も郵便物の開封も研修では教えられなかった技術だが、現場で先輩捜査官を見ながら覚えていった」(要約)
FBIの前身は、1908年に設置された司法省捜査局である。1924年に、当時29歳だったフーバーが捜査局長に就任した頃から組織は少しずつ拡大し、1935年に連邦捜査局(FBI)に改称される。捜査官数の激増は、戦争という特別な状況がきっかけだったが、戦後もFBIは縮小しなかった。そしてFBIによる盗聴も、減るどころか逆に増加していった。
キング牧師の命取り
戦後に入り、とくに執拗な盗聴の対象となったのが、ノーベル平和賞を受賞した黒人運動家のマーチン・ルーサー・キング牧師だった。フーバーは彼を「共産主義者」と決めつけ、徹底的に監視した。
イギリスの著名なジャーナリスト、アンソニー・サマーズの著作『大統領たちが恐れた男』の中に、こんな記述がある。
「1963年末の段階では、キングを共産主義者ときめつける証拠は、盗聴からはまったく得られていなかったが、道徳的に問題のある私生活についての情報は、多量に入手できた。キング牧師は、セックスを楽しんでいて(略)」
フーバーとキングの確執は公の場でも有名になり、1964年、2人は和解のために会うことになる。だが和解がかなうどころか、ますます確執は深刻になっていった。
前述『FBI 独裁者フーバー長官』の中で、サリバンは2人が会った翌日のことを明かしている。
「次の日、盗聴しているわれわれの耳に、キングと友人との会話が飛び込んできた。『あのおいぼれはしゃべりすぎる』 フーバーは自分の魅力でキングを虜にしたつもりでいたから、キングの真意を知って大いに怒った。この電話がキングの命取りであった」
その後、盗聴を含めたキングに対する監視は、ますます激しくなる。サリバンの言う「命取り」の意味は、『大統領たちが恐れた男』の中からくみ取ることができる。
「女性と寝るのが、連邦法に違反する罪だったことはないが、エドガーと側近にとっては、そのことを知っているのが、強力な武器になるようだった」
大統領や上下院議員、あるいはキングのような著名人は、たとえ犯罪行為がなくても、私生活上のスキャンダルだけで失脚してしまう。四六時中電話の盗聴をしていれば、スキャンダルの1つ2つは、誰からでも手に入れることができた。フーバーにとって、それこそが大きな武器となり、FBIの盗聴はますます常軌を逸していく。
サリバンがこう説明している。
「FBIの捜査官は、公的な立場にある人々の私生活に目を光らせ、面白い情報があれば全部フーバーに送るよう命令されている」(『FBI独裁者フーバー長官』)
キングだけではない。何冊かの著作を読むと、大統領をはじめとする政治家や著名人、運動家、またジャーナリストや俳優など、ありとあらゆる人間が盗聴の対象になっていることに驚く。フーバー率いるFBIにとって、盗聴できない人間などいないかのようだ。
1960年代末になると、フーバー自身は盗聴を嫌がるようになり、盗聴の件数は減ったという説もあるが(『FBI 独裁者フーバー長官』)、実際に盗聴がやめられたわけではなかった。
一方、歴代の大統領もまた、こうしたFBIによる盗聴を利用し続けた。
ニクソン大統領の時代、安全保障上の重要な決定が頻繁に『ニューヨーク・タイムズ』にスッパ抜かれることが起こる。そのため1969年に、漏洩源を突き止めるべく、大がかりな盗聴が行われることになった。
この事件は、エドガー・アラン・ポー賞を2回受賞し、社会史関係の著作も多いアメリカのカート・ジェントリーの『フーヴァー長官のファイル』に、次のように書かれている。
「全部で17件の盗聴があり、期間は5週間から21カ月に及んだ。(中略)盗聴されたのは国家安全保障会議のスタッフが7人、新聞記者が4人、ホワイトハウスの顧問が2人、国務省次官補代理ひとり、国務省の大使、国防総省の准将、それにニクソンのスピーチライターひとりだった」
結局漏洩源は突き止められなかったのだが、ここでも盗聴の効果は現れる。
「盗聴されたひとたちのつきあいや休暇プラン、夫婦間の不和、精神的な問題、アルコール癖、麻薬、性生活などについては非常に詳しくなった(略)」
こうした情報も「秘密ファイル」(後述)に蓄積され、フーバーにとってやはり大きな武器になったに違いない。
狙われた大統領
長官就任以来、フーバーはFBIの中にファイリングシステムを確立させ、捜査官が集めた情報を標準化させていた。コンピュータによる情報処理システムが普及している現在では珍しくないが、当時としては画期的なことだった。やがてフーバーは整理されたファイルを、一般の情報を収めたファイルと、高度の機密を要し一部の高官しか見ることのできない「秘密ファイル」の2種類に分けるようになる。
『大統領たちが恐れた男』の原題“Official and Confidential”(公式かつ機密)とは、フーバーが集めた「秘密ファイル」の名前から取ったものだ。これこそがフーバーの権力のひとつの源泉であった。
フーバーは在任中に8人の大統領に仕えた。また上司にあたる司法長官はそれ以上の数を数えたが、どの大統領もどの司法長官も、フーバーが「秘密ファイル」を握っているかぎり、彼を罷免できなかった。
ニクソン大統領は、フーバーを罷免しようと試みたが、ついに果たすことはできなかった。前述のニクソン自身が命じた盗聴事件を暴露されるのではないか、という恐怖があったのに加え、さまざまな秘密をフーバーに握られていたからだった。ニクソンはこう述懐している。
「私を地獄への道連れにしかねない男を抱えこんでしまったのかもしれんな」(『大統領たちが恐れた男』)
他にも何人かの歴代大統領は彼を罷免しようとしたし、フーバーを追及した議員もいたが、誰も何もなし得ることはなかった。
1960年代始め、上院議員のエドワード・ロングは、聴聞会を開くなどして、FBIの盗聴の実態に迫ろうとした。ロングの動向に激怒したフーバーは、それを阻止するため、「秘密ファイル」をあからさまに使った。いくつかのスキャンダルがとじられたロングに関するファイルを、フーバーの側近とFBI捜査官の2人が、直接ロングに見せに行く。
「ロングは黙って坐ったまま、数分間ファイルを読んでいた。読み終えると、ロングはファイルを閉じ、2人に礼をいった」(『大統領たちが恐れた男』)
これを契機にロングのFBI追及は尻すぼみになり、やがて彼は政界から消えていった。
「秘密ファイル」は存在しているだけで、いや、存在しているかもしれないと思わせるだけでも効果があった。
例えばジョンソン大統領がいかにフーバーに脅威を抱いていたか、『大統領たちが恐れた男』から引用する。
「ジョンソンは、ときどき、フーヴァーに電話をかけ、こう訊いていた──『またかと思うかもしれんが、答えてもらいたい。上院議員だったとき、私の電話を盗聴していたかね?』 ジョンソンは、自分がしてきたことをひどく後ろめたく思っていたから、上院議員時代の電話をFBIが盗聴していたのなら、大変なことになる、と(略)」
あるいはジョン・F・ケネディ大統領は、海軍に勤務していた20歳の時、女性との性的関係をFBIに盗聴された。盗聴の対象は、ナチスのスパイの嫌疑がかけられていた相手の女性の方だったが、この時のテープは後に大統領になったケネディを、ずっと苦しめたと言われる。
原則として、FBIが集めた情報は大統領に報告された。しかし時には報告されず、誰かを失脚させるため、意図的にマスコミにリークされたり、匿名の投書の形で本人の周囲に送られたりした。ロングに対してのように、本人の目の前で「秘密ファイル」が開かれることもあった。
嘘と裏ガネ
大統領令や司法長官の決定がなければ、FBIは盗聴を行えないことになっていた。ましてや、誰かの私生活上のスキャンダルを知るための盗聴など許されるはずがない。だが現実には、FBIは限りなく自由に盗聴を行っていた。
もちろん議会では、FBIの予算要求などの時、盗聴について質疑応答が行われることもあった。しかしフーバー自ら盗聴の実態を明かすはずもない。ではどのように議会対策が行われたのか。日本の警察と同じである。緒方靖夫日本共産党国際部長(当時)宅盗聴事件について、裁判所が警察の組織的関与を認めたにもかかわらず、警察庁はいまだ盗聴の事実を認めていないのと同様、フーバーは議会に対して嘘をつき続けていた。
『フーヴァー長官のファイル』の中に、フーバーが議会で発言する場面がある。FBIの盗聴について議員に質問された彼は、次のように答える。
「現時点でFBIが設置している電話の盗聴装置は全部で90です。これは国内治安の問題がからむときだけに使われます。誘拐事件をのぞき、通常の犯罪捜査では使われません」
こうした質疑応答は毎年のように行われたが、
「毎年あげられる数字は変わったが、100を超えることはなかった。フーヴァーがその程度なら安全だと考えていたのは明らかである」(『フーヴァー長官のファイル』)
さらに、次の記述も日本の警察に通じるように思われる。まさに「裏ガネ」と言えるものだ。
「フーヴァーの情報収集作戦はじつに大々的で──ピーク時には控えめに見ても1000を超える盗聴装置が作動していたらしい──機器の購入を秘密にしておくために、とくべつの措置が必要になった。つまり、何がおこなわれているのか議会が疑わないように、支払い費目をごまかさなければならなかった。(中略)ほとんどの機器は機密基金で購入した。情報提供者への支払いなどに使う、報告の必要がないFBIの資金である」(同)
市民が危ない
盗聴の恐ろしさとは、「盗聴されること」自体だけではない。盗聴されているのかされていないのか、自分にはわからない恐ろしさと、盗聴されたら、それがどのように使われるのか、もはや自分にはどうしようもできない恐ろしさもある。
フーバーによる盗聴の多くは公的な人物を対象にしていたが、ささいなきっかけで普通の市民も対象になった。最後に『大統領たちが恐れた男』から引用したい。
「ルーズヴェルトはFBIに、国防計画についてラジオ放送をしたあとに国民から寄せられた、膨大な数の批判的な手紙を『点検』するよう要請した。エドガーはこの要請に応えて、手紙の差出人の名前を点検し、数百人にのぼる一般市民についての個人ファイルをつくった」
「一般市民が盗聴された」とは直接書かれていないが、個人ファイルを作る作業に盗聴が含まれることは明らかである。FBIは、身辺に気を配るはずの公的な人物の盗聴をやすやすと行う。もとより無防備な普通の市民が盗聴の網から逃れられるはずもない。投書しただけで盗聴の対象になる社会──。
これは1940年の話だ。だが、海を越えた遠い国の、しかも半世紀以上も前の話だと片づけることはできない。「盗聴法」が成立すれば、日本にも必ず「フーバー」が現れることになる。
もしもある日、警察官があなたの元へやって来て、あなたの電話を記録したファイルを開けたらどうするか?
(引用した訳文中、数字は算用数字に統一しました)
主要参考文献
●『大統領たちが恐れた男 FBI長官 フーヴァーの秘密の生涯』
アンソニー・サマーズ著/水上峰雄訳 新潮社・1995年刊(原書は1993年刊)
●『フーヴァー長官のファイル』(上)(下)
カート・ジェントリー著/吉田利子訳 文藝春秋・1994年刊(原書は1991年刊)
●『FBI 独裁者フーバー長官』
ウィリアム・サリバン、ビル・ブラウン著/土屋政雄訳 中央公論社・1987年刊(原書は1979年刊)
●『PEOPLE AMERICA 7 ケネディの時代』
角間隆ほか著 集英社・1984年刊
●『FBI対CIA アメリカ情報機関 暗闘の50年史』
マーク・リーブリング著/田中昌太郎訳 早川書房・1996年刊(原書は1994年刊)