「朝鮮総連と収容所共和国」 李英和 1999 小学館文庫

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投稿者 比ヤング 日時 2001 年 12 月 01 日 14:26:31:

「朝鮮総連と収容所共和国」 李英和 1999 小学館文庫


「脅迫しない」との約束だったが、私のグラスにビールを注ぎながら出てくる言葉は、まぎれもなく脅迫だった。
「4月15日には150人は動員して集会をツブす。なかには気の荒い者もいるから、どんな事態が起きるか分からないぞ。5年や6年のムショ暮らしなど平気な若者がゴロゴロいるからな」
こんな脅迫を自慢気に語る朝鮮総連幹部を目の前にして、「憤り」よりも「哀れ」を感した。この一言が、金父子政権‐朝鮮総連の本質を端的に言いあらわしている。

いまどき、民主主義と人権に"一文の値打ち"も見いださない。むしろ、それを暴力で破壊することに喜びを感ずる。それで給料を貫っているのだから、「この世に羨むものはない」と言うべきなのだろうか。
こんな「地上の楽園」の住人による「自慢話」はさらに続く。「そんなことをすれば、警察の介入を招くし、朝鮮総連の評判も地に落ちることになる。暴力で歴史の流れは正められませんよ」
こう忠告する私に監察委員長は平然と答えて言う「少々のことがあっても、日本の新聞は取り上げないし、警察も動かない。そういうことになってるんだ。」
国会議員とのコネや、定期的なマスコミ人への酒食の提供、さらにはマスコミへの圧力……。日頃のこんな「努力」を指しての発言、自信なのだろう。

いつしか朝鮮総連は、自らを外交待権のある「大使館」「領事館」と考えるようになった。一連の蛮行を陰で支えたのは、この「錯覚」であり、「思いあがり」だった。


実際、93年6月3日のRENK(救え!北朝鮮の民衆緊急行動ネットワーク)結成集会の翌日、朝鮮総連大阪府本部は、「組織部」の名称でこんな「指令書」を出した。
「昨日、<李英和>は、我が首領と共和国をけなすために何やら集会なるものを開き、反共和国宣伝を騒がしく繰り広げた。これと時を届じくして、毎日新聞は、李英和をそそのかして反共謀略記事を再ぴ掲載した。<中略>強力な抗議闘争を展開しなければならない」
私への抗議電話の集中と、毎日新聞の不買運動が指令の具体的内容である。ちなみに「毎日新聞社に対する抗議活動内答要旨」と題する公式文書が、大阪府警の強制捜査でも押収されている。

ここまでされても、北朝鮮の人権間題になると、日本の大新聞は完全に腰が引けるようだ。そんな卑屈な態度が朝鮮総連を勇気づけてきた。
実際、北朝鮮帰国者の問題を訴える集会は、これまで妨害続きだった。

(中略)

百人近い集団が、RENK(救え!北朝鮮の民衆緊急行動ネットワーク)の大阪集会を襲った。襲撃の主は、金日成父子を支持する一団だった。近畿一円を中心に、東京からも動員された朝鮮総連のメンバーたちである。
集会予定時刻の一時間以上前から、会場周辺は異様な雰囲気に包まれていた。朝鮮総連のメンバーが、隊伍を組んで続々と集まってくる。会場設営のためにRENKのメンバーが到着するや、朝鮮総連の一団が主催者の制止を振り切って会場に乱入する。主催者を小突き回し、備品をひっくり返すなど、乱暴狼籍の限りをはたらいた。

その模様を取材していた報道陣も異常な取材妨害を受けた。小突かれたり、胸ぐらを掴まれて会場外に放り出される。あるいは撮影済みのフィルムを奪われ、テレビカメラを壊される。あまりの熾烈さに、10社以上の新聞社・テレビ局の取材陣も茫然自失、顔面蒼自だった。
結局、会場を暴力的に不法占拠され、予定していた屋内集会はできなかった。仕方なく会場前の公園に場所を移し、緊急の抗議集会をもった。日が陰り薄暗くなる七時頃、朝鮮総連の波状攻撃は激しさを増した。朝鮮総連の蛮行に抗議する二台のハンドマイクは、即座に引きちぎられ、無残に壊された。北朝鮮民主化を訴えるRENKの横断幕は破られ、奪い去られた。それどころか、ドサクサまぎれにRENKメンパーのリュックサックを開けて金品を強奪するという、前代未聞の暴挙を働いた。悲鳴と怒号が渦巻き、大阪城近くの会場周辺は修羅場と化した。

ただならぬ事態に驚いた大阪府警は、二百名ほどの機動隊員を緊急動員した。だが、「時すでに遅し」。到着した頃には、現場の混乱状態は、すでに手がつけられなくなっていた。"体育連盟"を中心にした朝鮮総連の突撃隊は、警察官を押し倒し、警備の壁を突き破って襲いかかる。
「李英和を出せ」 「李英和を殺せ」――こう叫ぴながら、私をめがけて数十名の屈強な若者が次々に突進してくる。私は服を破かれ、髪の毛を引っ張られて、一時間ばかりモミクチャにされた。仕方なく予定のデモ行進に出発しようとしたが、デモの隊列に朝鮮総連の一団が突撃を繰り返す。(一部編集)

(中略)
4月25日、大阪府警が朝鮮総連大阪府本部など、計八ヵ所を家宅捜索した。容疑は、RENK集会に対する「威力業務妨害」だった。1955年に朝鮮総連が結成されて以来の出来事である。
朝鮮総連は、証拠隠滅など、事前に何らの「対策」も講じていなかった。あれだけ大暴れしておきながら、不思議な話である。
完全に「治外法権」を決め込んでいたのだろう。おかげで、百枚近くのフロッピーディスクをはじめ、大量の「証拠品」を押取されてしまったようだ。そこには指令書や計画書など、襲撃事件の組織性・計画性を示す証拠が山と含まれていた。

この点についてはのちに触れることになる。ともかく、真相を一番よく知るのは、朝鮮総連自身のはずだ。
ところが、朝鮮総連は、同事件について、「無関係」との立場を取り続けている。実際、大阪府警と東警察署に対し、一ヵ月近くの間、連日数千人規模の抗議デモをかけた。北朝鮮外務省(外交部)も、すぐさま非難声明を出し、日本政府に謝罪を求めている。
北朝鮮政府−朝鮮総連のキャンぺーンはすさまじかった。朝鮮労働党と「友党関孫」にある社会党(当時)の国会議員、親北系の日本の知識人・文化人を根こそぎ動員している。

(中略)

北朝鮮関連書籍はどれも売れている。日本の庶民にとって、隣人の生活ぶりが大きな関心事となっている証拠である。
しかし、そんな庶民の関心事については、論戦どころか、事実も大新聞で報道されることがめったにない。いまや最大の謎は、"地上の楽園"の実態から、北朝鮮の民主化・人権問題に対する大マスコミの"奇妙な沈黙"に移りつつある。
報道としての"死を招く沈黙"の埋由は、二つに大別できる。

ひとつは、差別問題と同様、北朝鮮の民主化・人権問題を、大マスコミが基本的に"タブー視"している点にある。「何か書くとゴチャゴチャと朝鮮総連がうるさいから……どこの新聞社にも、こういう"リアリスト"の記者がいる。とくに、取材の第一線から外れたデスクに「触らぬ神にたたりなし」の傾向が強い。実際、朝鮮総連による組織的な抗議活動はすさまじい。北朝鮮や朝鮮総連に不都合な報道をしたメディアは集中攻撃を浴ぴてきた。それでも第一線の記者は、勇気をだして記事を上げる。だが、デスクが「塩漬け」にしてしまう。前述の「RENK襲撃事件」では、その傾向が如実に現れた。同事件に関する新聞各紙の扱いは小さかった。大阪府警による朝鮮総連大阪府本部への家宅捜素、およぴ同事件への朝鮮総連の組織的で計画的な関与の証拠押収という「史上初、空前絶後」の出来事。これについても同様だった。もちろん、第一線記者は熱心に取材する。私への取材も「夜討ち朝駆け」状態だった。ところが、問題の核心に触れる記事はついに出なかった。

このあたりの事情を某新聞社の記者はこう語る。
「日本の警察が朝鮮総連の事務所を家宅捜索したのは、戦後初めてのことだ。それだけの大事件だった。しかし、こんな点がある。朝鮮総連は日本のマスコミの圧力団体だ。彼らに不利な記事が出れぱ、巧妙に圧力を掛けてくる。だから慎重になるほかない。マスコミが朝鮮総連関連の記事を載せる原則は、必ず朝鮮総連のコメントを受けてから書くということだ。したがって、朝鮮総連がコメントを拒否すれぱ、記事を書かない場合が多い」

同記者は結局、デスクから「この事件はソフトに扱え」と注文を付けられた。十分な証拠を確保して記事化しても、デスクから「保留」の指示が下りる。抗議する同記者に、デスクはこう答えたという。
「この記事を載せて、数百人の朝鮮総連が会社を取り囲んでデモでもすれば、どうするんだ」
同記者によれば、当時、どの新聞社も似たようなものだったという。
「困難は避けて通るのが日本人の特性だ」と同記者は付け加える。私は朝鮮人だから、よくわからないし、わかりたくもない。

他方で、かつての冷戦構造、あるいは55年体制の"左側"にいて、いまだに社全主義幻想にすがりつく時代錯誤な編集委員がいる新聞社もある。
VIP待遇で北朝鮮に招待され、行く先々は事前に準備万端のヤラセ視察。「北朝鮮は素晴らしい。街にゴミひとつない。完成された社会主義だ」……帰ってきで、こんな"ヨタ話"を平気でしては、若い記者をあきれさせる。
いくら抗議が嫌で怖くても、重要な問題だと考えれば記事化する。それが大新聞だと私は信じたい。

102 :毎日新聞(2000年5月9日) :2001/05/31(木) 17:32
【1】尼崎男性遺体:関西大講師と断定 殺人の可能性 2000.05.09

 兵庫県尼崎市塚口町4のマンション「市隆ハイツ塚口」の一室で8日夕、胸に刺し傷のある男性の死体が見つかった事件で、県警尼崎北署は9日、男性は身体の特徴などから、この部屋に住む関西大非常勤講師、金英達さん(51)と断定。殺人事件の可能性が強いとして捜査を始めた。同署は、金さんと最近まで同居し、所在が分からなくなっている元中学校教諭の女性(44)の行方を捜している。
 調べでは、金さんはカッターシャツとズボンの普段着姿で、布団の上で倒れていた。部屋のドアや窓のかぎはかかっていたという。死後約2週間という。8日夕に広島県に住む金さんの姉からマンションオーナーに「弟が最近、音信不通で心配だ」と電話があり、オーナーが部屋を訪ねて遺体を発見した。

 金さんは在日2世として生まれ、1970年に日本国籍を取得した。日本統治下の朝鮮人や在日の問題について研究。特に指紋押なつ制度などの先駆的な研究で知られ、「在日朝鮮人の帰化」「日本の指紋制度」などの著書がある。

 また、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の民主化を支援する「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)の代表も務めていた。

 金さんと共にRENKで活動していた関西大の李英和助教授は「2週間くらい前から大学を休んでおり、連絡が取れなくなっていた。運動の柱を失ってショックだ」と話している。


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