米ソ共同の宇宙サルベージ大作戦(『UFOS & SPACE』79年11月号)
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投稿者 SP' 日時 2001 年 11 月 29 日 07:58:54:
(回答先: 宇宙から来た人工衛星(『UFOS & SPACE』77年10月号) 投稿者 SP' 日時 2001 年 11 月 29 日 07:56:09)
地球軌道にある難破UFOを回収せよ ヘンリー・グリス この地球上空を異星の難破した宇宙船が回っている。 そこには宇宙人の死体もある? 4人の著名なソビエト科学者はこう確信し、難破宇宙船の回収計画を提言している。 多数の米科学者も彼らの仮説に賛意を示しているという。 はたして、米ソ共同による宇宙サルベージ作戦は実現するだろうか。 |
UP IN OUR SKIES: A CRIPPLED, DEAD SPACESHIP FROM ANOTHER PLANET?
Copyright 1979 by Henry Gris
「この地球のまわりを、難破した異星からの宇宙船が軌道に乗って回っていることを私は確信している。そのなかには、死んだ異星人の乗組員がいることだろう。
われわれは、その宇宙船を探し出して、調査すべきだと思う。それから宇宙のサルベージ作戦とでもいうべき計画をたて、その難破した宇宙船の主要部分と異星人の死体を地球に引きおろすのだ。
この計画が成功すれば、われわれは計りしれないほど多くのことを学ぶことになるだろう」
ソビエトの著名な天文学者であり物理学者でもあるセルゲイ・ペトローヴィッチ・ボージック教授が私に語った言葉だ。彼はソビエト科学界で高い地位を占めている学者である。
彼はいかにも学者らしい風貌をしている。丸い顔、どことなく放心したような様子、分厚い眼鏡の奥のちょっと斜視気味の眼、指は落着きなくいつもデスクをたたいている。
はじめて私が彼に会ったのは、1975年の5月、モスクワでだった。そのとき彼は、私にマイクロフィルムをシカゴのあるアメリカ人天体物理学者に届けてくれるよう頼んだ。
そのマイクロフィルムは、ソビエトの著名な宇宙学者でUFO研究家でもあるフェリックス・ジーゲル教授の著作『ソビエト連邦におけるUFO現象』第2巻を1ページずつ縮写したものだった。
ボージックは、そこで述べられているさまざまな発見をアメリカの科学者たちが知ることが、非常に重要であると考えていた。私はもちろん、そのマイクロフィルムを運ぶのをためらいはしなかった。
そのとき、私たちはUFO現象について話しあった。彼はUFOがどこからやって来るかということについてこまごまと語った。
しかし彼は、彼がなしとげたもっとも重要な発見について、そのときは言及しなかった。それはまだ確証されてはいなかったが、地球外の文明が、われわれのこの地球を詳しく調べているという彼の研究結果についてである。
「1年か2年後には、お話しできるでしょう」彼は謎めかしていった。厚い眼鏡の奥で彼の暗い眼が私を射透かすように光った。
それから2年後、私はまたモスクワを訪れた。私は彼にあいたいと思ったが、しかし彼に会うことはとうとうできなかった。彼との会見をもとめて、私は毎日毎日ソビエトのお役所をたずねたが、その私の時間も忍耐も、ソビエト官僚主義の壁に太刀打ちはできなかった。
彼と再び会うことができたのは、1979年5月のことだった。こんどもモスクワで、私はまた彼と対面することになった。
彼はツウリスツカヤ街の巨大な高層アパートメントの143号室にいた。
彼は、ソビエト連邦のたいていの人たちと同じように用心深くふるまっていたが、以前よりはいくらか気楽そうだった。それは彼の卓越した業績が認められてきたことを証明しているのかもしれない。
これは、ちょっと驚くべきことだった。ソビエト科学界の先端にたって研究をすすめている科学者である彼は、保守的な科学アカデミーの“けん責”の危険にたえず直面しているにちがいない。新しい風が吹き始めているのか、それとも彼があまりにも有名になり重要な存在となったせいなのか、いずれにせよ、私たちはふたりきりで会うことができた。
「今だったら話せますよ」彼の唇が笑いでゆがんだ。「もちろんあなたにその気があればですがね」
もちろん、私にはその気があった。そのためにこんなに苦労したのだ。
彼の話は、はじめまったく信じられないことのように思えた。地球を探査中の異星の宇宙船が故障をおこし、宇宙船としての機能を失ってついに爆発してしまったというのだ。
宇宙船は、その爆発で2つに裂けた。そのそれぞれは直径が30メートルもあった。これはわれわれの宇宙船のどれよりも大きい。8個の部分が、宇宙船からとび出し、全部で10個の宇宙を漂う廃船となった。
これらは、その爆発した高度で軌道に乗り、遠地点およそ1000キロメートルのだ円軌道をえがいて地球のまわりを回りつづけているというのである。
その爆発の日付けは1955年12月18日。
そのころ地球上のだれひとりとして現在われわれがやっているような方法で、上空を観察しているものはいなかった。今日、アメリカやソ連のさまざまな目的をもった人工衛星が地球の上空をとびかっており、それを追跡するステーションも数多くある。
しかし、1955年12月という時点では、空にはたまたまとぶ流星を除いて、他にとびかうものはなかった。1957年10月になってはじめて、最初の人工衛星、ソビエトのスプートニクがカザクスタンから打ち上げられたにすぎない。
にもかかわらず、ボージックによれば、その爆発は見逃されなかった。ソビエトと西欧で、その現象が観察され記録された。しかし天文学者たちは、それを自然現象のひとつとみて、深く追求することをしなかった。
時が過ぎ、この2つの宇宙船の残骸は、新たに発見された流星として記録にとどめられた。さらに時がたって1960年代の後半には、地球の空は人工衛星で混み合いはじめた。ソビエトが打ち上げた衛星だけで600個をこえたのである。
この窮屈な状態がさらに深まれば、この宇宙の廃船は人工衛星の任務を妨害しはじめることになるだろう。この宇宙船の残骸は、作動中の人工衛星にあまりに近づきすぎて、軌道の外におし出されることになろう。軌道修正をくり返し行なわなければならなくなるにちがいない。
このような状況のなかで、ボージックによれば、衛星追跡ステーションは爆発した異星の宇宙船の小さな砕片をすでに確認しており、場所もつきとめているという。それらは非常に小さいので望遠鏡で視認することはできないが、位置を計算することは可能だった。
天文学者たちは、その軌道をたどりなおして、その2つの大きな部分と8つの小部分が地球を回る軌道に共通の性質があることを発見した。それらはすべて、宇宙の一点、時間では1955年12月18日に収斂されることに気がついたのである。
ボージックは、この結論に到達した人たちについていちいち名をあげることはしなかった。しかし、彼がソビエトにおけるそれらの人びとのうちのひとりであることはまちがいない。彼はこの結論にたどりついた人は、アメリカにも、イギリスにもいるといっている。
「アメリカ人もこのことを知っています」ボージックはモスクワで私に語った。「でも、あなたたちはこのことについて沈黙を守りつづけている。あるいは、想像力に欠けた人びとによって、この発見が握りつぶされているのかも知れません。どちらもありそうなことです」
「問題は、私たちにはあまり時間の余裕がないということなのです。時は貴重です。難破した宇宙船の二大部分はどうしても調査しなくてはなりません。まず写真をとり、それからその廃船を探査して、これらのものが人工のものであることが確認されたら、そのサルベージ計画を進めなければならないのです」
「このサルベージ作業は、一国で引きうけるにはあまりにも巨大にすぎるでしょう。だからこそ、ソ連とアメリカが協同することが必要なのです。最初にすすんで事に当たる決意をもつ、資格ある科学者には、米ソ協同事業の先駆者としての名誉が与えられるべきでしょう」
もし、われわれがぐずぐずしていたら、この難破した宇宙船は、軌道からおしだされて、地球めがけて落下し、大気圏で燃えつきてしまう危険があると彼は付け加えた。
こういっている間も、この難破船はゆっくりと下降しつつあり、いつ地球に落ちてくるかわからないのだと彼はいう。
「私たちはこうしたことを起こさせてはいけない。私たちのものになり得るはずの知識を満載した宝船が、私たちの大気圏で消滅するがままに放置しておくことは許されない」
「知ってのとおり」と彼はつづけた。
「私たちが最初、その爆発に気付いたとき、それが流星の一種だと考えた。しかし、流星はあのようには、宇宙空間で自然的に爆発することはありません。流星は地球の大気圏に入ってからそこで燃えつきるのが普通です」
「私は10年間というもの、異星からの宇宙船の爆発という結論以外の可能があるのではないかと考えつづけてきました。しかしなかった。流星が軌道を回ることはありません。流星は宇宙空間を盲滅法にとんでいる岩石のかけらなのです」
「私は、これらが宇宙船以外のものではあり得ないという結論に達するまで、検討に検討をかさねてきました。しかし、それ以外の結論をみつけることはできませんでした」
彼はひと息つき、それから力をこめていった。
「私はいつも、宇宙にはわれわれ以外の文明があり、われわれは孤独ではないと信じてきました。地球から発信され、宇宙をかけめぐっているラジオ信号が、それらの文明に気付かれないはずはないのです。それは、地球に文明があることを明らかにしているはずです。事実、それらの地球以外の優れた文明は、もう何世紀にもわたって、そのことを推測していたにちがいありません。いまや、彼らはその確証を得る段階にいたっているのです」
ボージック教授との会見のあと、私はこの異星からの宇宙船難破問題について、より深く探ろうと試みた。
私は、多くの優れたソビエトの科学者や、やはり、同じように卓越したアメリカの科学者に、この問題をぶつけてみた。
予期したとおり、その物体が引きおこした爆発の謎を説き明かせないにもかかわらず、その物体が異星からの宇宙船であるという仮説は、あまりにも飛躍しすぎているという反対者たちに私はぶつかった。
しかし、そんなことは問題でない。私にとって非常に意味あることに思えたのは、ボージック教授の仮説を進んで確認する幾人もの科学者たちがいたことだった。
ソビエトの科学者で、この仮説にすすんで賛意を示した人が3人いる。ソビエト政府の仕事についている地質学者で、あの有名なそしてまだ解決されていないツングースの爆発の謎を研究しているアレクセイ・ゾロトフ教授であり、有名な探検家で天体物理学者ウラディミール・アザザ博士、ソビエトでもっともよく知られている宇宙探検家で天体についてたくさんの本を書いているアレクサンドル・カザンツェフ教授である。
私はこれらの人びとに、さきのソビエト旅行中に会見した。ゾロトフ教授は71年前、40メガトン級の謎の爆発があったシベリアのツンドラ地帯に出発する準備中だったが、彼はボージック教授の理論を、ためらうことなく肯定し全面的に認めた。
「私たちが当面しているものは、かつて異星からの宇宙船であったものの遺物であることはまちがいない」彼とはヴォルガ河沿岸のカリーニン市にあるツングース爆発地球物理調査隊の本部で会ったのだが、彼は率直に語った。
「問題は、それを地球に引きおろしてくることだが、しかし現代のソビエト宇宙工学は充分、その方途をみつけだすことができると思う。われわれはすでに宇宙での物体の切断、溶接の装置を所有している。
われわれはそれを使ってその難破船の胴体に穴をあけ、内部に入って調査することができる。そのあと、興味あるものを全部、地球まで運ぶ何度かの旅をすればいいのだ」
「そのなかには、宇宙船乗組員の死体も当然含まれる。彼らが死んでいるにちがいないということは、今となってはいうまでもないことだろう。私はこれらの地球外生物の身長は1メートルから3メートルまでぐらいだろうと推測している。われわれの宇宙船に十分積み込めると思う」
「私は、その難破宇宙船解体事業に派遣される宇宙船に乗り込めたら好いと思っている。ここで今、そのことを心から願っておく。人類は、その難破船からの情報で途方もない利益を得ることは確実だ。それはわれわれの想像を絶するものとなろう」
「もちろん、そのサルベージ事業は、途方もなく巨大な計画となるだろう。われわれはあなたたちアメリカ人の協力が必要だ。われわれは対等の協力者として、新しいフロンティア開拓に協同して当たるべきなのだ」
「私もゾロトフの意見に全く賛成です」カザンツェフもいう。私は彼とはモスクワ郊外の夏の別荘に電話して話し合ったのだ。
「宇宙でのサルベージというと、幻想にすぎるように聞こえるかもしれないが、私たちはそれを可能にする力を持っていると思う」
「難破船には、異星人の死体が残されているにちがいない。幾体かは、いや多分大多数は爆発で吹き飛び、消滅しているかもしれない」
「しかし、2つの同じ位の大きさの巨大な部分が残っているということは、宇宙船の心臓部、多分底部に近い方だと思うが、それが残存していることを示しているように考えられる。と同時にそのことは、その心臓部にいた幾人かの乗組員は、ケガはしたろうがその部屋から逃げ出し得たことも示唆しているのではないだろうか。彼らは宇宙の絶対零度の冷気のもとで、そのままの状態で凍結されてしまっているとも考えられる」
「難破した宇宙船に乗り込むにあたっては、充分に注意深くあらねばならないと思う。それらが持っていると思われるエネルギー源が完全に除去されないうちにそれらの物体に触れることは避けるべきだ」
「私は、このサルベージ作業に科学者や暗号解読者が参加すべきだと思う。彼らは用心深く、そして急ぐことなく作業を進めることだろう」
カザンツェフは、ここ10年間ボージック教授が達成してきた業績についてよく知っていた。だから私の質問にも全く驚くことなく答えてくれた。
これはアザザ博士も同様だった。彼はモスクワの自宅でこの問題について次のように語った。
「私たちはアメリカのヒューズ航空機製造会社が一時、これらの物体の調査に取り組んだことを知っています。また、アメリカの天文学者、カール・セーガンが発行している雑誌『イカルス』が10年前にこの問題に言及していることも知っています」
「イギリスの雑誌『ニューサイエンティスト』もまた、この問題を取りあげました。この雑誌は爆発の時期を確定しました。私は、どうしてあなたたちアメリカ人がこの問題に触れたがらないのか不思議でなりません」
「地球外の文明からやって来た宇宙船が災危に遭うことは、充分考えられることです。そのような宇宙船の建造ができるからには正確で高度の技術があることはまちがいありませんが、星間旅行という厳しい状況下では、遅かれ早かれ、難破にいたる状態が生じることも想像に難くありません」
「私は、たとえその難破船を1万もの部分に分解しなければならないとしても、地球上にそれらを持って来ることは可能だと考えたい」
「それらの部分をつなぎあわせ、異星の文明の謎を知るためにたくさんの細部から宇宙船を復元することができると思うと、精神は驚きにふるえます。でも、これをなしとげることによってわれわれ地球の文明は何世紀分もの進歩をとげることになるでしょう」
サンフランシスコでアメリカの核物理学者、スタントン・フリードマンは彼の同僚たちの多くの感情をも代弁して、こう語った。
「私は、これらのソビエトの科学者は今度は非常に立派な仕事をしていると思う。彼らが語っていることは、充分にあり得ることだ」
その半生をUFO現象の研究に打ちこんできたこの学者は、さらにこう付け加えた。
「われわれもまた、1955年12月の半ばに起こったこの爆発についてのデータを持っている。われわれもまた、アメリカやソビエトの人工衛星とは逆方向の軌道にのって地球のまわりを回っているこの物体についての知識を持っている。
どうしてそれらの物体はそこにあるのか、誰がそれらをそこに存在させたのか?」
「それらの物体は何なのか。地球以外の宇宙船のものであってどうしていけないのか」
「そう、私は異星の宇宙船にちがいないと思う。そこに出かけて、この眼でぜひとも見てみたいものだ」
終わりに、この難破した異星からの宇宙船問題に、新たな光を投げかけるかもしれない最近ソビエトに起こった事件について触れておきたい。
ソビエト政府機関紙『イズベスチャ』の週刊付録『ネデーリャ』は、最近の号で“地球ではじめてUFO警報が発せられた”ことを報じている。
同紙でソビエト科学アカデミーが「空中における異常な現象をみた市民は、その状況、物体の形状、行動をできるだけ詳しく同アカデミーの物理学、天文学部内まで知らせてほしい」と有名な科学者である科学アカデミー会員、ウラディミール・ミグリン、ユーリ・プラトフ両氏の署名入りで公式に呼びかけたのだ。
このアピールの背景には、レニングラードの北東290キロにあるペトロザヴォツク市でここ2年にわたって起きている事件がある。
その最初の事件は、1977年9月20日の早朝、ペトロザヴォツク市の上空に巨大なクラゲ状の発光物体が出現、同市の住民18万人の上に黄金の雨を浴びせかけたというものだ。
科学アカデミーは、そのとき以来四度にわたって調査団を派遣、目撃者の証言や、その事件の物的証拠を集めモスクワに持ち帰った。そのなかには、クラゲ型物体がやって来たあと、何とも説明のつかない円い穴があいてしまったビルの窓ガラスもあった。
科学アカデミーは、浮き足だつペトロザヴォツク市民たちに『すべてはいずれ解明される』として、同市にそのままとどまるよう説得したが、現在にいたるまでその解明はなされていず、今回のこの『ネデーリャ』での公告となったものである。
アレクセイ・ゾロトフ教授は、私の質問に答えて、
「アカデミーは援助を求めているのだ。明らかに何か重大なことが進行している。ことし(1979年)中にペトロザヴォツクに異星の宇宙船が着地することも考えられる」と語った。
アレクサンドル・カザンツェフ教授も「何か重大なことが進行している」ことを認め、『ネデーリャ』での科学アカデミーの公告は「ソビエトUFO研究の新しい時代の始まり」を告げるものだと語った。
そしてまた「ペトロザヴォツクから漏れ出してくる新しい情報によると、あそこではなにか大変なことが起こっているようだ」と付け加えた。
私はこの『何か重大なこと』を索めて、タス通信のペトロザヴォツク駐在員、ニコライ・ミロフに連絡をとった。彼とはことし1月、まだ『ネデーリャ』の科学アカデミーの記事が出る前に会っており、そのとき彼は、
「あの物体は月に二度やって来るが、町にはどんな災害も与えていない。いまでは住民はすっかりそれに慣れており、友だちの定期的な訪問というように考えている。最初現われたときの恐怖は、相互の友愛とでもいったものに変わってしまっている」と語っていたのだ。
『ネデーリャ』の記事のあと、私はやっとのことで彼と電話で接触することができた。
「どういったらいいか……われわれはひどく奇妙な事件に遭遇している。すごく巨大な物体だ。こんなのは見たこともない。それは、最初出現したクラゲ型のものより何倍も何十倍も大きいようだ」
「私は、少なくとも2時間の間、夜空にかかるその物体を自分の眼で見た。見たままをいえば、それは100キロメートルほどの上空にあり、直径は1キロメートルはあったろう」
「それは、球型でも円盤型でも葉巻型でもなかった。さまざまなサイズの突起物──棒のようなもの、軸をもった円盤のようなもの、S字型のもの、その他なんとも形容しようのないたくさんの突起物のついた実に異様な形をしていた。その物体は赤と黄色の光線で輝いていた」
「その物体はまた、さまざまの活動のセンターとなっていた。そこから多数の小さい物体が出て行き、発射されたりしているように見える一方、その巨大な物体に近づき、船の舷窓のように見えるたくさんの穴のなかに消えて行くらしい物体も見られた。それは、この空からの訪問者たちに慣れているはずのわれわれペトロザヴォツクの住民にとってさえ、実に幻想的な光景だった」
私は、その巨大な物体は宇宙母船で、そこに出たり入ったりしている小さな物体は偵察用の小宇宙船ではないかと訊ねた。
ミロフはちょっとためらった。
「そうかもしれない。私は自分の見たことをどう解釈していいのかわからない。あまりにも不思議な光景だった。しかし少なくともこんどの場合、目撃者の証言だけではなくて、写真も撮られている。物的証拠も写真もあるのだ。その写真を送るわけにはいかないが、こんどあなたがソビエトに来た際、お見せすることはできると思う」
その巨大な物体は畏怖の念を人々にひき起こしたことは確かだが、恐怖をひき起こすことはなかった。
「その物体は2時間ほど、雪に包まれた森の上にとどまっていた。ついに回っているように見える動きがとまり小さな物体がそのなかに消えて行くと、ゆっくり動きはじめ北の方に航行して視野から消えた。時刻はちょうど午前5時だった」
「私の見解では、その巨大な物体は宇宙船の母船にちがいないと思う」アザザ博士はこのペトロザヴォツクの出来事についてこう語る。
「こんどの事件は、ペトロザヴォツクの一帯が、地球外の文明が地球と直接の接触を図る最初の主要基地となりつつあることを物語っているようだ」
「この初めての宇宙母船の出現の次に起こるのは何か。地球外の知性ある生物とわれわれ人間との直接の交信か、宇宙人の地球への上陸か。どちらかはわからないが、私は直接の交信ではないかと思う。宇宙人の上陸はまだ早すぎるという気がする」
彼はさらに付け加えた。
「これまでに彼らはもう地球について充分な情報を集めているにちがいない。こんどの母船の出現は、最初にペトロザヴォツクにUFO現象が見られて以来、彼らがせっせと偵察をつづけてきた結果であるにちがいない。いずれにせよ、近く何事かが起こることはほぼ確かだと思う。それが何であれ、彼らはもうそのことを決定しているにちがいない」
「われわれは、いまや宇宙人との最初の交信に備えなければならない」
アザザ博士は言葉をついだ。
「わが国の科学アカデミーが、すでにこのことに気付いていることは確かだ。だからこそ、国民へのアピールを『ネデーリャ』で行なったのだ。このアピールは、地球上で最初の宇宙人警報といえるだろう」
彼は、“警報”という言葉を強調した。
ペトロザヴォツクの現象は、果たして何か。それと地球上を軌道を描いて回っている物体との関連はあるのか。ソビエトの科学者たちは、近いうちに何かが起こることを確信している。
それは、一体何だろう。蒔田圭介訳
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