投稿者 平成の鞍馬天狗 日時 2001 年 11 月 25 日 06:11:17:
政治権力の使い方を学ぼう
2001年は何の年であったか。自民党から政治権力が国民に移った年である。問題は、国民が政治権力を使うための責任を持ち合わせていなかったことにある。
昨年の総選挙で、自民党は公明票なしでは勝てないまでになった。その後の各知事選での与党の連敗が、結局、自民党総裁選での郵便局長夫人の造反も含む小泉の圧勝となる。この時に、政治権力は戦後の長期自民党政権から国民に「大政奉還」された。その後の、参議院選での小泉・真紀子フィーバー、靖国参拝の変更、テロ対策特別法の成立までの顛末、今回の特殊法人見直しの決着などなど、全ての政局の背後に、小泉首相の支持率優先、抵抗勢力の孤立化への恐怖、国民の責任を問えない野党の自らの責任への曖昧さと妥協、あるいは支持者しか見えず一般国民が持つ政治権力への無関心がある。そして、彼らを右往左往させているのは、渡された政治権力を発動できない国民自身の非組織性である。構造改革の先送り・国際政治の動向への無反応の最大の原因は、今や自民党が手放した政治権力を使い切れない国民の無責任さにあり、日本が再生するか/崩落するかは国民が握っている。
今、日本に必要な「構造改革」とは、
1.国難に際し、憂国の志士も現われない、庶民の草莽崛起も起こらないエネルギー低下の克服;
2.国民の意思(選挙)で国つくりの方向が決まらない「民主主義」の改造;
3.21世紀の世界へ日本の価値・知恵を伝える自信の回復、
である。これは、システムの問題以上に人間の問題であり、不良債権問題などは後始末で構造改革ではない。人間の問題なら、85年プラザ合意から今までの経済政策責任者・経営責任者の無作為責任までを厳しく問うしかない。
2001年も後一月、この一年を振りかえって、政治権力が自分達国民の手中にある事実を認め、国民主権・主権在民を担う責任の自覚を高めて、新しい年を迎えよう。