投稿者 付箋 日時 2001 年 10 月 07 日 01:15:57:
外務省汚職と機密費:日本政治の病理現象
1.外務省汚職:官尊民卑の精神構造の反映
外務省の汚職のすさまじさには、多くの国民が驚き、あきれ、激しい怒りを感じたに違いありません。マスコミが外務省を糾弾したのも、国民感情を考えれば当然のことでした。
かつて外務省で二五年間働いた私の感想は、「ついに氷山の一角が明るみに出たか」でした。マスコミの「外務省たたき」には、表面的な事実関係だけを追い、センセーショナルな報道に終始する姿勢に割り切れない気持ちを味わいました。このままでは、「トカゲのしっぽ切り」で終わってしまうと思ったのです。
「ついに氷山の一角が明るみに出たか」という感想は、問題は外務省に特有のことではないという実感があるからです。おそらく、中央官庁(のみならず、およそ官庁であれば、中央、地方を問わず)において当たり前のように行われてきたことではないでしょうか。つまり、今回発覚した外務省の汚職の体質・構造は、実は戦前から続いてきた、官僚組織における官尊民卑の精神構造の反映であり、ことは外務省だけの問題ではないのです。
私は、問題の以上の本質を見据えない限り、しょせんは「トカゲのしっぽ切り」に終わってしまうと思います。その点で、マスコミ報道の姿勢には根本的な疑問を感じます。
私が官庁で働いた実感として、マスコミは、官僚組織に巣くう官尊民卑の精神構造を肌身で感じていると思うし、実はその精神構造から生み出される汚職体質も知らないはずはない、と確信しています。それのみではありません。日本特有の記者クラブ制度を介して、マスコミ自体がその精神構造、汚職体質に染まっています。だから、問題の本質に迫ることができず、外務省の問題ということに限定して処理しようとしているのです。
2.機密費問題
一連の外務省汚職の発端は、いわゆる機密費問題でした。外務省予算として計上される機密費は、外交につきものの、秘密を要する活動を支えるために必要不可欠なものです。私自身、外交にかかわる情報収集に携わった経験を持つものの一人として、外務省が機密費をもつ必要性を認める立場です。
大げさな言い方かもしれませんが、国際社会が国家を基本として成り立ち、国際関係において、それぞれの国家が国益(その定義・内容については立ち入りません)のために行動し、国家が国際関係の重要な担い手である状況が続く限り、機密費の必要性はなくならないでしょう(機密費を私利私欲に使うことが許されないことは、いうまでもありません)。
機密費に関して私が重大な問題と思うのは、外務省予算の中に官邸が使う機密費までが盛り込まれていることです。民主主義、法の支配を基本とする国内政治を担当する官邸が巨額の機密費を動かしているというのは、実に不可解なことです。国内政治で国民に明らかにできないことというのは、およそまともなことではありません。もし公明正大ならば、何故に外務省の機密費に、一部とはいえ、忍ばせなければならないのでしょうか。
さらに問題なのは、この点については徹底した真相解明を行わないまま、闇に葬り去られつつあることです。あれだけ外務省の問題を取り上げるマスコミが、官邸の機密費に関して口を閉ざしていることは、単なる不注意、無関心としては片づけられません。私は、官邸の機密費問題がうやむやにされようとしている流れに、どす黒い政治の意志の働きを感じますし、保守政治と癒着するマスコミの自己保存本能の働きを感じます。
3.問題解決の道:政治の根本的転換
官尊民卑の精神構造(外務省の汚職)、国民の目をかすめて金で政治を動かす手法(官邸の機密費)は、およそ民主国家であればあってはならないことです。今回の事件は、日本の政治が今日なお民主主義からはほど遠い状況にあることを明らかにしました。
私は、9月12日の事件を契機に保守政治が対米軍事協力に暴走するのに、外務省が「汚名返上、雪辱戦」として先頭を切っているという報道を見て、暗然としています。官尊民卑の精神構造丸出しだからです。
外務省の汚職、官邸機密費の問題を根本的に解決するためには、日本の政治を根本から改める以外に方法はありません。主権者である私たちが真に日本政治の主人公になることです。その自覚をしっかり我がものにすること、それが最大の課題ではないでしょうか。