投稿者 incidents 日時 2001 年 9 月 04 日 17:34:02:
回答先: 前田前警視総監が始めた「SCIP JAPAN」って何? 投稿者 ぺいどぱぶ? 日時 2001 年 9 月 04 日 17:31:20:
警視庁がひた隠す懲戒免職者2名(1998年度)
1999年9月、神奈川県警相模原南署の巡査長が女子大生を脅迫していた事件が発覚した。神奈川県警は巡査長を懲戒免職としな
がら、発表していなかった。1998年度、警視庁にも未発表の懲戒免職者2名がいたことが、このたび入手した東京都の公文書から
判明した。
寺澤有(『The Incidents』編集長) 2000年2月22日
前田健治・前警視総監は取材にほおかぶり
警視庁が1998年度(1998年4月〜1999年3月)の懲戒免職者のうち、2名を発表していないことがわ
かった。「免職」は「地方公務員法」上の懲戒処分で最も重く、通常は罪を犯した者に適用される。
地方公務員の懲戒処分者数について、自治省は毎年1回、各都道府県の総務担当部局へ調査票を配布、回
収し、その数字を把握している。今回、筆者は警視庁に関する調査票(1998年度)を「東京都公文書の開
示等に関する条例」を使い、東京都総務局人事部から入手した。〈警視庁に関する調査票(1998年度)〉
これによると、1998年度の警視庁の懲戒免職者数は3名。いずれも理由は「一般非行関係」の「その
他」となっている。ところが、1998年度で警視庁が発表した懲戒免職者は1名のみ。自宅にけん銃と実弾
を隠し持ち、1999年2月12日、逮捕された三鷹署地域課の巡査長(当時47)だけである。
それならば、残り2名はいかなる「非行」をはたらき、懲戒免職となったのか。自治省と東京都総務局人
事部によれば、「調査票の分類で記載された数字以外、さらに詳細なデータは集めていない」という。
「地方公務員法」などでは、「警視総監が職員の免職及び懲戒等を行う」と定めている。1998年度当時、警視総監は1996年12月
3日就任の前田健治氏(60)だった(1999年8月26日辞任)。
現在、前田氏は特殊法人「自動車安全運転センター」(東京都港区)の理事長へ天下りしている。この特殊法人は全国47都道府
県に事務所を持ち、「運転経歴証明書」や「SD(SAFE DRIVER)カード」、「交通事故証明書」の発行、警察官や自動車教習所指
導員に対する研修などを行う。歴代理事長が警察庁長官か警視総監の経験者という「天下りの名門」である。
2000年1月13日午前9時過ぎ、東京都目黒区の自宅から迎えのハイヤーで出勤する前田氏を直撃した。
「前田さんが警視総監の時、懲戒免職者で発表していないものがありますが、その具体的な内容や(未発表の)理由などについてお
うかがいしたい」と筆者が尋ねると、前田氏は「もう私は(警視総監を)辞めたから。答えられません」と言ったきり、足早にハイ
ヤーへ乗り込んだ。
そのハイヤーが「自動車安全運転センター」に到着して間もなく、筆者は職員を通じて再度、前田氏へ取材を申し込んだ。する
と、職員が「(前田)理事長は『お会いしない』と言っています」と答えた。
筆者は前田氏の自宅へ電報を打ち、重ねて取材に応じるよう申し入れた。しかし、結局、前田氏からは何の連絡も来なかった。
1998年度の懲戒免職者で発表していない者がいることにつき、警視庁広報課は次のようなコメントを寄せた。
「懲戒免職処分については、個別のケースに応じ、関係者(相手方)保護の強い必要性等から公表しない場合もあります」
このコメントから想起するのは、1999年9月、神奈川県警で発覚した女子大生恐喝事件だ。相模原南署の巡査長(当時42)が押
収品の写真を持ち出し、暴力団関係者と写っていた女子大生に金銭や肉体関係を要求したもの。神奈川県警は巡査長を懲戒免職にし
ていたが発表せず、発覚後も「女子大生の人権保護のため」と弁解した。
警視庁の裏ガネ追及などに取り組んでいる堀敏明弁護士(「東京市民オンブズマン」代表)は言う。
「被害者のプライバシー等に配慮することは大切だが、懲戒免職を発表しない理由にはならない。警察の腐敗が進んだ原因は情報公
開の制度がないから。第三者のチェックが入らず、不正や不祥事が簡単に隠せる。そういう意味で東京都が手持ちの資料から警視庁
の懲戒処分者数を明らかにしたことは画期的だ。今後、ほかの道府県でも公文書開示請求をすれば、同様の資料が出てくる可能性が
高い」
警視庁が1998年度に懲戒免職としながら発表していない元職員2名。その「非行」の具体的な内容が明らかになれば、前田・前
警視総監はもとより野田健・現警視総監(56)も不祥事隠しの責任を追及されるであろう。
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