投稿者 DC 日時 2001 年 8 月 14 日 22:57:12:
回答先: 暗い過去からの脱皮を目指すドイツ 投稿者 DC 日時 2001 年 8 月 14 日 12:56:51:
http://www.yorozubp.com/0009/000905.htm
「巨大な人工衛星」に乗り込む日本国民−「戦争と平和」を語る
私が暮らしているドイツでは、11月の第二もしくは第三日曜日が戦没者慰霊日で、第一次ならびに第二次世界
大戦両方の死者をまとめて偲ぶ。但し市町村単位で実施され、遺族や教会が中心の地味な行事である。日本
のようにメディアがとりあげることもないし、また戦没者慰霊と関連して「戦争と平和」について語られたり、議論
されることもない。
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こんな平和主義は、「僕はね二十歳のとき大病を野菜スープで直した。野菜スープこそ健康の秘訣」と説教を繰
り返すヘンなオジさんと変らないのではないのか。だから多分「戦争論」とかいうマンガを読む若者が増えている
のである。
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昔どこかで、安全保障専門家のヘルムート・シュミット元独首相が日本の平和主義を「敗戦後遺症」とはき捨て
るようにいったが、彼はこの倒錯した関係を直感し、病的と感じたからではないのか。
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このように考えると日本の平和主義ほどナショナルでかつ日本的思想はない。帰りの燃料をつまずに
飛び立った特攻機が戦後「平和の鳩」になって帰還したようなものである。
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「戦争は愚かである」とか「戦争は悪である」というのは日本の平和主義者の常套句である。このとき彼らは「戦
争一般が悪い(愚か)」といっているのである。次に、彼らは「日本は侵略戦争、すなわち悪い戦争をした」とも主
張する。この二つのことを平気で主張する人の頭のなかで、「論理回路」がどのようにつながっているのかが、私
には昔から不思議で仕方がなかった。
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またこの「戦争一般が悪い」という見解は、「世界の警察官」米国主催、「国際社会」協賛だった「ニュールンベル
ク裁判」や「東京裁判」とまったく無関係なメッセージである。だから、私は日本の戦後に「東京裁判」の亡霊を見
ようとする人が理解できない。
#注釈:東京裁判のせいにするバカウヨのことね。
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http://www.dandoweb.com/backno/980226.htm
>ヘルムート・シュミット西ドイツ前首相の忠告を、最後に引用
したい。周辺諸国との戦後の和解についてドイツのしたことや立場を説明した後で、「私が日本人の政
治家であるとすれば、一番重要なのは中国であり、その次がロシアではないかと思います。それから
そのほかの国々との和解を進めていくということだと思います。とくに土井党首に同行していらした記者
の方々に向かって申し上げたい
#とくに土井党首に同行していらした記者=これは朝日新聞が筆頭ですね。
http://www.yorozubp.com/0103/010308.htm
許文龍叩きに動いている人の大半が小林の本など読んではいまい。実際には「従軍慰安婦」も「植民地支配」もど
うでもよくて、陳水扁の大統領当選で最近実力をつけてきた台湾人勢力を叩いて、過去の中国人支配に戻そうという
動きと分析できる。小林が間違っている部分については粛々と言論で対抗していけばよいのだ。それをせずに大衆
煽動に向かうところに毛沢東流の作為を感じる。
朝日新聞は陳総統が「こうした悲劇はあってはならない」と記者発表したことを伝える。「やはり強制だった」とは言わ
なかったことには触れていない。産経新聞は外省人(台湾の中国人)と本省人(日本時代以前から住んでいる人)の
対立に発展していると伝える。日本から小林反対派がわざわざ行って論争を焚きつけている。
「反日」の機運が盛り上がっているわけだが、こういう時日本の平和運動家は「日本は平和主義です。台湾と敵対す
る人なんていません」となだめに行ったりは決してしない。ここぞとばかり、小林を叩きに行く。自分たちの敵を叩くた
めなら外国勢力を利用する。行動の方向性がなぜか逆なのだ。日本と外国の感情対立が減るように行動するのが
平和主義者の役目のはずなのだけれど。
小林の論が日本をすべて代表するわけではない。「私たちがいる限り、日本が台湾を侵略することは絶対ありませ
ん」となぜ呼びかけに行かないのだろう。小林がどんな意見を持っていようが、「平和主義者」自身が戦争を防ぐ努力
をしたら良い。中国や台湾で武器の放棄と平和を説いて回れば良いのだ。ところが彼らが常にやっているのは「小林
はこんなことを言っていますよ、あんなこともやっていますよ」という「御注進」活動なのだ。
中国人の論理は@小林は従軍慰安婦を認めないAだから植民地支配を正当化しているB再び軍隊を派遣し占領す
る考えの古い体質の右翼だC中国人なら日本人を警戒しなければならない――という流れになっている。黒と認め
なければ白になるという考え。
一般の日本人はそうは考えない。小林も「慰安婦は居たけれど言われているような強制的な集め方をしたわけでは
ない」「日本は台湾でりっぱなこともした」と漫画に描いているに過ぎない。けっして「日本が全部いいことをしてやった
のだから再び占領してやる」とゴーマン宣言しているのではない。しかし、右翼のレッテルを貼られ、再び軍隊を派遣
すると批判されている。
日本に住む台湾人Sさんの反応は「やはり台湾人は馬鹿」というものだ。日本の知識人の九割が「台湾存在無視・台
湾消滅容認・親中国」なのに対し小林は台湾の存在を認め、愛情を持って描く稀有な存在の作家だ。そうとも知らず
政治家に踊らされて騒いでいるのを嘆いていた。
100%中国の歴史観を受け入れない限り、日本は軍国化すると言われる。1%でも訂正を試みると軍国主義で右傾
化だとされる。こういう論理を許していては決して日本と台湾の、日本と中国の友好関係など築けないのではないだ
ろうか。
#だから、土井さんや朝日新聞が親中派という認識はあやまりです。
#日本の右翼と中国がモメルことを喜ぶ、それを利権としている日本の国益を損ねる連中です。
http://www.yorozubp.com/0103/010313.htm
●エリザベス女王は謝罪したか?
この日本の侵略に対して「日本は中国に謝罪していない」というのが江沢民がこの前、天皇
陛下の前で偉そうに言っていたことだ。ところで香港返還の時、エリザベス女王は江沢民に謝
罪したのだろうか。そもそも謝罪要求しただろうか。日本は15年間ほど、英国は150年間も侵
略していたのだが。英国のような常任理事国には媚びを売り、日本のような非常任理事国で政
治的に弱い国には居丈高になる。
もちろん侵略という歴史用語を使ってもいいのだが、それならば、蒋介石による台湾侵略と
か、毛沢東によるチベット侵略とか、マッカーサーによる日本侵略とかいう表現も同時に使って
もらいたい。
このように侵略というのは、被害を受けたと思っている側が憎らしい相手に対して使う感情的
な表現であって、公平な言葉ではない。
ロジックを捻るとこんな例ができる。明治天皇による徳川幕府侵略。徳川家康による大阪侵
略。神武天皇による日本人侵略。中国共産党もほかの軍閥を侵略したから現在の国がある。こ
うした表現がおかしいと感じるかどうかは何によるのかといえば、現在の支配者を当人が受け
入れているかどうかという基準だけだ。絶対的な正義の基準などない。
滅ぼされたチャイナの人々からは中国共産党は侵略者だろう。それでも侵略を受け入れ、こ
れからは仲良くやっていこうと決めたからは侵略という言葉は使わないのだ。侵略という言葉を
使う限り、これまでのことに納得していないし、これからも敵対してやっていこうとする意思表示
になる。
日本がルーズベルトによる侵略と歴史書に書き出したら、アメリカと仲良くやっていけるはず
がない。こういう表現を持ち出す以上、謝ったくらいで納得するはずがない。そもそも謝って納得
する喧嘩はない。双方の心が互いに受け入れ合い、しかたないと思いつつ手を打つからその儀
式として謝るのであって、謝るから相手が許すというものではない。
日米の間は手打ち式が行われた。日中の間も手打ち式があったのだが、その中国とは中華
民国だった。
http://www.yorozubp.com/0104/010420.htm
国際社会でのこのような「歴史紛争」に、私たちはどのように考え、対処したらよいのだろうか。
問題となっているのは国内の刑事・民事事件でなく、昔戦争で起こった事件である。オスマン・
トルコに戻れば、アルメニア人を殺したり、また彼が所有していた家屋を奪い、そこに住んでい
るのは不正であり、正義を実施するために、補償したり、当時の加害者を処罰すべきであると
いうのは正しいのである。
でも国内法でも時効があることからわかるように、国際関係でそんな昔のことを蒸しかえさない
ほうがよいとする見解にも傾聴すべき点がある。いわんや国家間の関係も絡んでいる。国家間
の条約で貸借関係が精算されているとか、また経済援助で間接的に責任を果たしたとかいう
主張を、日本政府は繰返してきた。この立場が絶対間違っているとはいえないのである。そう
主張する人たちは、自身の判断が「過去志向型ユートピア思想」と関係ないかどうか考えるべ
きである。
世界中で日本と正反対と見なされるドイツも、事情次第では日本政府と同じことを言い出す。
例えば、それは1944年6月10日ギリシアのディストモ村でドイツの親衛隊(SS)が生後二カ
月の乳児から86歳の老人を含めて218人の村人を村の広場で虐殺(=「マサカー」)した事
件である。この数年来、この村の遺族がドイツ政府に対して補償するようにギリシア国内で訴
えて裁判になっている。昨年ドイツに支払いを命ずる最高裁判決がくだされたが、ドイツ政府は
従わない。その理由は戦後ギリシアに対してドイツが直接的にも、また欧州共同体を通して間
接的に経済的援助をしてきたことである。ということは、日本政府と同じ立場である。
ドイツをはじめ欧米のメディアがディストモ村の話を小さな外電記事以上に取り上げないのも、
ドイツ外務省の役人が日本政府と同じようなことをいっても大多数のドイツ人が気にもかけない
のも、このギリシアのディストモ村の人々が彼らの奇妙な「ホロコースト」史観のなかで「受難
者」でないからである。
この前の戦争で確かに日本軍は色々恨まれることをした。私たち日本人の意識のなかでは、
日本人から残酷な扱いを受けた人々がディストモ村の人々のような存在になっている。だから
ドイツが「受難者」でないディストモ村の人々を見たり、扱ったりしているのと同じように、私たち
日本人はアジアの被害者・犠牲者について考える。すでに述べたように、キリスト教的要素を
色濃く含む「ホロコースト」史観など私たちは無関係なので「受難者」などという特別枠を設ける
ことはできない。このように日本人の態度を解釈することもできる。
どうして欧米の人々はこのように考えることができないのだろうか。私はドイツ人をはじめヨーロ
ッパ文化圏の人々と議論したり、彼ら書いたものを読んだり、また自分が書いたものに対する反
応を見たりして、彼らが理解してくれないことに驚くし、時には絶望的になる。
彼らには「ホロコースト」史観的メガネで自分たちが多くのことを見ていることに気がつかない。
だからディストモ村の人々に対して日本政府と同じ態度をとっていることも彼らの意識にのぼら
ない。つまり「灯台下暗し」である。こうなるのは非西欧社会に対峙したときに彼らは自分たちの
社会が異質であるというイメージを抱きたいからである。また、この「ホロコースト」史観がどこか
世俗化した西欧社会で宗教のかわりになっていることも議論を困難なものにする。
私たちはどうしたらいいのだろうか。これは難しい問題である。多分何をしたらいけないかのほ
うがはっきりしていると思う。彼らが文化汚染された概念で思考したり、議論している以上、私た
ちが文化や歴史に逃げて文化汚染された概念で話しはじめるのは彼らの思う壺になるように
思われる。
この事情は欧米とアジアとの間で「人権論争」を考えるとわかりやすい。ヨーロッパが自分たち
の専売特許であるかのように人権を主張する。それに対して、文化的にニュートラルな、より普
遍主義的な立場からヨーロッパ人の主張に含まれる文化汚染を指摘するべきである。アジアの
人々が反発するのは自分の身の丈に合わない衣服を強要される気持を抱くからである。それ
なら「ヨーロッパの服」であるといえばよいので、「アジア的価値」を持ち出すのは、自分たちは
別だと思いたいヨーロッパ人を喜ばすだけである。
今回仏国会による「アルメニア人ジェノサイド認定」後こちらのメディアでトルコ国民がかなり一
方的に弾劾され、私の精神衛生に悪い日が何日か続いた。唯一の救いは、トルコ史を専門とす
歴史学者が「ホロコースト」史観的メガネで事件を見ることに協力的でなかった点である。トルコ
でも古い公文書を歴史研究者が閲覧できるようになり、色々なことがわかってきたからである。
確かにどんな学問もイデオロギーから自由でない。とはいっても、歴史研究の進展こそ、宣教
師等の当時の目撃談に基づいた「アルメニア人大虐殺」のイメージを相対化し、この事件を本
当に理解するのに役立つように思われる。というのは、本当の歴史学は「過去志向のユートピ
ア思想」と関係ないからである。
http://www.yorozubp.com/0104/010418.htm
問題は欧米人と大量殺人について議論するときである。彼らの区別はどうであろうか。私はドイ
ツに長く暮らしているせいかドイツ人の頭脳内回路について少しは見当がつくが、米国人、英国
人、フランス人となると本当は自信がない。それでも敢えて欧米人と書く。というのは、彼らは昔
から多数の人が殺されると「マサカー(英語の綴りではmassacre)」という単語を使うが、これは
欧州の色々な言語に共通するからである。日本の世界史で習った「聖バーソロミューの虐殺」を
はじめ歴史上の有名な大量殺人はヨーロッパではこのコトバで登録されている。私たちは昔か
らこの「マサカー」という単語に「虐殺」とか、「大虐殺」とかいった日本語をあててきた。有名な
「南京大虐殺」もこの「ナンキンのマサカー」である。
この「マサカー」という単語を、ドイツ人が聞くと流血惨事を連想するそうだが、血を流さずに大
量殺人が可能になってからも、この単語が使われる。次に「多数」という表現は不特定で、何百
万人殺されようが「マサカー」で、日本語訳では「虐殺」である。
反対に、人死の少ないほうはどうかというと、英国史のなかに「アンボイナの虐殺」というのがあ
るそうで、これは17世紀に12人の英国人商人がモルッカ諸島でオランダ人に殺された事件で
ある。これが死者数最小の「マサカー(=虐殺)」であるそうだ。要するに「多数」というのは数百
万から12人までで非常に幅が大きいのである。
12人殺されても「マサカー(虐殺)であった」と見なす文化圏の人々に「『南京大虐殺(ナンキン
のマサカー)』はまぼろしであった」というのは、下手すると「12人も死んでいなかった」と主張し
ていることにならないだろうか。幾ら身贔屓の強い日本人でもあの時の南京での死者数が11
人以下とまで主張する気はないはずである。
このように考えると、異文化間コミュニケーションは厄介である。自分ひとりで納得しているので
はなく、何を伝えたいか、本当にそのことが相手に伝わるのかを考えてから発言すべきである。