投稿者 天声人語 日時 2001 年 10 月 19 日 08:02:30:
《天声人語》 10月19日
笑いを職業にする人たちが、深刻な状態に置かれている。実際、笑い事ではない。もちろん9月11日の同時多発テロ以来のことである。
英国では「ミスター・ビーン」でわが国にもおなじみのコメディアン、ローワン・アトキンソン氏がタイムズ紙にたいへんまじめな投書をした。英国政府が準備している反テロ法案が「宗教的憎しみをあおること」を禁じる内容を含んでいることに懸念を示したのだ。
「宗教者をパロディーにするのが私の大事な仕事だった」という氏は「宗教も含めて笑いの対象にならないものはないと信じている」と言い、そのよしあしは、法ではなく観客、聴衆に判断を任せるべきだと訴えた。
米国では、たとえば、ユーモアを売り物にするコラムニストがぼやいている。「以前はブッシュ大統領のことを書けば皆大笑いしてくれた。いまは彼をリンカーン大統領みたいに扱わなければならない」(A・バックウォルド)。
確かにあれは笑いを凍りつかせる事件だった。その事態が依然として続く。しかし一方、笑いや皮肉やユーモアのない世界はつまらないだけでなく、危険でもあるだろう。笑いにもいろいろあるにせよ、多くは対象を突き放して見るところから生まれる。大げさにいえば批評精神の産物だ。笑いを封じ込めることはしばしば批評の抑圧につながる。
きのうふれたわが国会のトマホーク論争などは、アトキンソン氏の手にかかったら爆笑劇に仕立てられるだろう。ただし、見せられるわれらは、引きつった笑いを強いられる。いや笑い事でない、と。