投稿者 SP' 日時 2001 年 6 月 26 日 08:18:12:
[株式会社溝口鉄工]溝口龍一の巻 遊星機構のあらまし 溝口龍一氏の発明した減速機。宇宙の運動にインスピレーションを得て考案された装置で、動力の大幅な増幅が実現されるという。エネルギー産業界に革命が起きかねない発明のため、特許が抹消されたという。 田中聡(フリーライター) |
大阪の岸和田市にたいへんな人がいると聞いて、どうしても会いたくなった。
その人は溝口鉄工所の社長、溝口龍一さん。昭和十一年生まれ。
ピーター・カッシング似の風貌がじつに渋く、格好いい。そしてその風貌を裏切ることなく、社会に大きな変革を招くような発明をしてきた人なのであった。
代表的な発明と思われるものは、〈遊星機構〉。名前からして、実にイイではありませんか。
しかも、それは幻の発明品となってしまったという。これが世に出ては産業社会が破綻するからと、特許庁が「特許抹消」の措置を取ったと溝口さんは言うのである。
なんと、そんなことが!?
これに限らず、天才にはありがちなことかもしれないが、溝口さんの人生には不遇な場面が多い。「毟られ続けた人生」と言ってもいいくらいなのである。その生い立ちから記さねば、溝口さんの仕事は理解しにくい。だが、あいにく紙幅に余裕なく、ごく簡単な紹介となることをお赦し願いたい。
旋盤に出会っていきなり鉄工所
六歳にして一家を背負って働かねばならなかった溝口さんは、小学校卒業後、さまざまな工夫をして、みかんや花の栽培で大人以上の収入を得るようになる。しかし、親戚や近所の人びとの妨害などにうんざりし、農業をやめて転職しようと考えるようになった。
そんな折、奥さんの実家の風呂釜を修理してもらうために訪れた鉄工所で、旋盤機械に出会う。その工場はちょうど廃業するところで、旋盤をスクラップ屋に出す直前だったという。
「鉄を、大根を切るように切るんですよ。サラサラと皮を剥くように。あれにものすごく魅力を感じましてね。それをスクラップにするちゅうからね、ま、欲しくなったんです」
そうして溝口さんは、まず納屋に旋盤の機械を自分で設置し、何の予備知識もないまま、溝口鉄工所を創業したのだった。
「スイッチ入れるとブワアッと(両手で建物がグラグラ揺れる様子を表現しながら)なって、瓦が落ちるんですよ。そういうところで、やりだしたんです」
溝口さんは加工の技術も用語も知らなかったが、即座に独力で旋盤の扱い方を会得する。独特な精度の感覚もあった(それについても驚くべき話が多い)。旋盤の改良も行ない、ほんの数カ月で、発注された会社から表彰を受けるほどの実力をつける。
そして数年後には、機械開発の仕事も請けるようになった。
発注する会社は、これこれの機械ができないかと打診してくる。その依頼の電話を受けている時、すでに溝口さんの頭のなかには完成品ができているという。
「例えば茶碗を一時間に十個作る機械があるんやけども、二十個作りたいと、で予算はこれしかないと。そういうことを聞いているうちに、できてくるんですよ。
一般的には、基礎から考えますよね。私は完成品から考えるんです。すると早いわけですね。できたものから構造を考えていくから、完璧なものができるわけです。基礎からやっていくと、どこか計算に合わないところが出てきて、クレームついたりするんですよ」
──依頼を受けた時点で、それは無理だという場合はないですか?
「それはあります。大量生産やってるところと同じ方法で、もっと安くやれって言われても無理です。しかし、そことまるっきり違った方法でも、できる品物さえ同じになればいい、ということならできます」
コンピュータ制御付きの機械がやっているような作業を、溝口さんはごく単純な機械で、しかもより水準高く実現してしまう。その結果、二千万円以上もする機械でやっていた仕事が、数十万円の機械でやれるということになる。
その見積もり価格を聞いて、「遊んでないで、真面目に考えてくれ」などと叱る人もいたというくらい、ほとんどの人は真に受けない。しかし、実際にできてしまうのである。しかも一度もクレームのついたことがないという。
自動車のタイヤに、小さな丸いマークがついているのに見覚えがあると思う。タイヤの歪みをリムと合わせるための目印である。かつて、あのマークをつける装置は二千数百万円もする、大きなものだったという。それを溝口さんは九十五万円と見積もった。
「あのマークは瞬間的に打たないといけないんです。回転してる状態で。シンナーで拭き取って、インクでマークをつけて、乾燥させる。この工程を、どのくらい時間短縮できるかっていうんです。向こうは五分かかってたんですね。私が考えたのは、だいたい〇・五秒」
──依頼された時点で、すぐにその返事を?
「ええ。そしたら、何か間違ってるって言って、何度も工程を説明するんです(笑)。でも、私の方法は簡単なんですよ。棒の先を熱くして、フィルムを置いてポンと瞬間的に叩くだけ。入れ墨方式っていうんです」
この方法は、今では世界中で行なわれている。しかし、溝口さんが考案した時には、なかなか真に受けてもらえなかった。しかもいざ製品を見るや、あまりの簡単さに、今度は金を払おうとしなかったという。同様なことは他の発明についてもよく起きたそうだ。
そのうえ特許などについてよく知らなかった溝口さんは、数々の発明の権利をほとんど大企業に持っていかれてしまった。
「私は当時、商売する気持ちがなかったんです。だからカタログを作ったり広告したりっていうことは考えつきもしなかった。それに一つ考えて成功すると、次のことを考えたかったんですね。
(商売する)希望があっても、契約書とか書類がいろいろ出てきますでしょ。書類とかの読み書きのあるものは、触ったら怖いという気持ちがあったんです」
一家六人の生活を担っていた溝口さんは、小学校もしばしば休まねばならず、教材を買うお金もなかったため、つい数年前まで読み書きもあまりできなかったという。学校教育もろくに受けず、人に仕事を教わるという経験もなかったことが、溝口さんの発想を常識の粋から自由にしたが、同時に仕事上の障害ともなった。
何より困ったのは、製品について、説明がうまくできないことだったという。客先ばかりか、自社の従業員に説明することも難しかったというのである。
もっともそれは、説明を受ける側の頭の不自由さに問題があると見るべきかもしれない。取材中、僕も言葉の意味をつかみかねて、何度も悩んだものだった。
体重自動ドアは時流に合わなかった
〈電気を使わない自動ドア〉という発明もあったという。
──何の力で動くんですか?
「人の重量です。人が乗ったら、重い人でも軽い人でも、だいたい同じスピードで開いたり閉まったりするんです。建築業界が血眼になってましたよ。展示会もやったんです。ほんとに電気使ったように開くんです、シューッと。みんな、土を掘ったりしてましたよ。電気の線がないかって。
それで広島の建築資材店と契約したんですけど、それが手形だったんです。私は手形も小切手もわかりません。それでコロッとひっかかったんです。詐欺ですわ」
結局、この発明品は自然消滅してしまったそうだ。
「岸和田周辺の小さな病院とか事務所には、今でもついてますよ。ええ、動いてますよ。もう二十五、六年になりますかね。
その当時は、世の中が昇り坂いうんですか、電気使ってないようなもんは近代的なもんじゃないと、原始的やというて、駄目になったようなとこもありますわ。値段が高いほど売れるんやって。だからモーターは使うてないのに、スイッチだけつけて売ったところもあるんですよ」
うーん、今なら絶対もてはやされると思うけどなあ。
溝口さんの発明は、二十件ほどあるという。PET(ペットボトルなどの素材)用の接着剤や、PET容器を折り畳みできるように加工する機械などは、世界的な注目を集めた発明である。
「鉄工所に接着剤を頼むちゅうのはそりゃ無理ですけど、でも話には出ますわな。PETは形成はできるけど張りあわせはできないて。それやったら作りましょうかってなる。何でも構わんわけですよ」
この接着剤は、なんとジャガイモのデンプンを使うというアイデアから生まれた。
「片栗粉を熱湯でとけば、透明になりますよね。それだけのことで、簡単なんです」
じつは溝口さんが「簡単なんです」と言う時が、こちらとしては一番難しい時なのである。
この他、晴雨に合わせて洗濯物を出し入れする装置、従来品より小さくはるかに安価で能率もいい缶詰機械、コンピュータ制御の二千数百万円の機械より高水準な熱転写印刷ができる五十万円の印刷機械……などなど、さまざまな発明品がある。そして、冒頭に名前をあげた〈遊星機構〉。
「太陽と月と地球ていうのは、軸はないけど、いつもグルグル回ってますね。それからの発想です。
そもそもは排気ガス規制の第一回目があったときに、ガソリンを少しだけ使って機動力を今まで通りに出せないかってことで始まったんです」
その構造は、図解しないと、ちょっと説明しづらい。装置のカバー自体が内側を向いた歯車になっていて、軸のない(二つのギアにはさまれて浮いている状態の)小さな歯車(四つないし八つ)を通じて、内部中央にある歯車に力を伝える仕組みになっている。モーターがカバーを回転させると、内部の歯車の軸に大きな駆動力が得られるという。
「これ何と言うたらいいのかな。宇宙みたいなもんです。己の回る力で、回そうと思うものが今度は回される役目になる減速機。二千馬力くらいは出ましたよ。オイルもいらないんです」
──実際に作られたんですか?
「ええ。三菱電気福岡工場に送って実験しました。トルク計算、加熱計算、ギアの磨耗計算、轟音計算、全部やるわけです。
自動車に乗せるものはもっと小さなもので、これは豊島区にある日本カーケアセンターっていう陸運局指定の共同試験場で、全部データ採りました」
──では、市販は?
「それが、発明というのは、お寺の石段と同じで一つずつ上がっていかないと特許の意味がないと言うんです。それから、今日までガソリン使うてきて、あくる日からいらないよって言うたら、日本の産業はこないに(手を倒れる様子を示して)なってしまいます。だから、特許抹消ですよ」
──抹消?
「抹消です。特許としては認められない、ではないんです。認めるけれども、使えない」
──正式に通達が?
「ええ。特許庁からの文書で。顧問弁護士がついてね。今から思えば、資料とか図面とか残しておけばよかったんやけどね」
──残ってないんですか?
「残してあったんやけど、知らん間にないよになってしもうた」
──特許庁からの文書は?
「それは弟が持ってます。品物は一個だけ残ってるんです。自動車につけるやつですよ」
溝口さんは、点火プラグを一つ見せてくれた。これも騒動のあげく、発売中止になったものという。〈遊星機構〉との関連はよくわからなかったが、これ自体、かなり重要な発明品のようである。
「私は知識とか技術とかそういうもんがないんで、何か落ちてるもんを、あるいは残してきたもんを、粗大ゴミの中から寄せてきてね、まとめたら、こんなもんができたんやと、そういうもんです。
今は原子炉やとかいろんなもんができても、廃棄物の処理なんかたいへんですね。だから自分が考えてきたものに対しては、よかったなと、今思うんですね。自動ドアなんか、停電でも開くしね」
溝口さんには面白い話がありすぎて、とても書き切れない。その凄さも、ほとんど伝えられなかった。たぶん単行本一冊を費やして紹介されるべき人なのだと思う。
幸い、少しずつ自伝を書いておられるという。みずから発明した漢字も使われているというその自伝が、いつか出版される日の来るのを、楽しみに待ちたい。
▲溝口さんの仕事場。ここでさまざまな機械が生み出されている
▲中国の合弁会社のパンフ
▲これが発売中止になった点火プラグ。発売元は湯浅電池だったりする
▲分子構造まで変化させてしまう加工機械
▲何でもなさそうだが、溝口さん以外作れないスグレモノ
▲「簡単なんですわ」が口癖の溝口氏。オウムも彼をスカウトすればよかったのに