投稿者 sankei 日時 2001 年 6 月 18 日 10:33:33:
野田少尉“百人斬り”虚構裏付け
南京で死刑前の獄中手記発見
戦意高揚記事「記者が創作」
日中戦争の南京戦で“百人斬り”競争をしたと当時の新聞に報じら
れ、戦後、記事を理由に中国・南京で処刑された野田毅少尉が獄中
で書き残した手記が、十七日までに見つかった。手記には新聞記者と
の会話が記され、記者が「記事ハ一切記者ニ任セテ下サイ」などと戦
意高揚記事を持ち掛けた様子が生々しく伝えられている。“百人斬り”
の創作説は、過去にも指摘されてきたが、手記の発見は記事が作り
話であったことを改めて裏付ける資料となりそうだ。
野田少尉の手記は今年三月、鹿児島県在住の実妹、野田マサさん
(七二)が保管していた遺品の中から見つかった。B4判のわら半紙の
表裏に鉛筆の細かい文字で書かれており、執筆時期は昭和二十二
年十二月十八日に死刑判決を受けてから、翌年一月二十八日の処刑
までの間とみられる。
手記で野田少尉は「被告等ノ個人的面子(めんつ)ハ一切放擲(ほう
てき)シテ新聞記事ノ真相ヲ発表ス」として、自分と向井敏明少尉の二
人が昭和十二年秋、中国・無錫で、記事を書いた東京日日新聞の記
者(故人)と交わした会話を再現している。
当時の新聞記事では、野田少尉ら二人が戦場で“百人斬り”競争を
始め、その途中経過を記者らに逐次伝えたことになっている。しかし、
野田少尉の手記によると、記者が二人に「ドウデス無錫カラ南京マデ
何人斬レルモノカ競争シテミタラ。記事ノ特種ヲ探シテヰルンデスガ」
と逆に持ちかけている。向井少尉が冗談として「ソウデスネ無錫附近ノ
戦斗デ向井二〇人野田一〇人トスルカ、無錫カラ常州マデノ間ノ戦斗
デハ向井四〇人野田三〇人…(中略)無錫カラ南京マデノ間ノ戦斗デ
ハ向井野田共ニ一〇〇人以上ト云フコトニシタラ」と数字を挙げて応じ
ると、記者は「百人斬競争ノ武勇伝ガ記事ニ出タラ花嫁サンガ殺到シ
マスゾ」「記事ハ一切記者ニ任セテ下サイ」と二人に話したと書かれて
いる。
手記によれば、二少尉と記者は無錫で別れ、その後、野田少尉が
記者と次に会ったときには既に“百人斬り”競争の記事が日本で話題
になっていたという。
野田少尉は「被告等ハ職務上絶対ニカゝル百人斬競争ノ如キハ為
ザリキ」と「百人斬り」を否定。「被告等ノ冗談笑話ニヨリ事実無根ノ嘘
報ノ出デタルハ全ク被告等ノ責任」と自分たちの責任を認めながらも、
「記者ガ目撃セザルニモカカハラズ筆ノ走ルガママニ興味的ニ記事ヲ
創作セルハ一体ノ責任アリ」と記者を批判している。
野田少尉と向井少尉は戦後、記事を理由に処刑された。
昭和四十六年に朝日新聞で連載された「中国の旅」でも取り上げら
れたが、その後、ノンフィクション作家、鈴木明氏が、大宅壮一ノンフィ
クション賞受賞作「『南京大虐殺』のまぼろし」で、記事中にある二少
尉の行動経路が事実と異なっていることなどが書かれた文書の存在
を明らかにし、虚構だったことを指摘している。